<24・魔王>

 地下の階段を上がったところで、アダムバードを取り囲んだのは――数名の子供達だった。全員が小さな角を持っている上、赤い目に白い肌をしている。魔族の子供達であることは、マリナの眼から見ても明らかだった。


「アダムバードさまぁ!」

「おいおい、こんな所まで来たら危ないだろう」

「地下には入ってないもん!階段の上までならセーフでしょ!」

「そりゃまあそうだが」


 わいのわいのと子供達はアダムバードのマントを引っ張り、その後ろから追いかけてきたアダムバードの部下らしき青年をおろおろさせている。


「アダムバード様、今日は僕に授業してくれる約束のはずですよ!カシヒリ語のレポート書いたんです、読んでください!」

「ちょっと、私が先!算数教えてもらうんだから!」

「おい抜け駆けはなしだぞ!俺はアダムバード様と鬼ごっこする約束した!」

「えええ、いいなあ!ぼくもまぜてよお!」


 大柄でいかにも!な見た目の美貌の魔王が、小さな子供達にまとわりつかれて困惑している様はなんともシュールである。後ろでアダムバードの部下が“すみません魔王様!”と頭をかかえていた。


「今日は魔王様はお忙しいから明日にするようにと言ったのですが……そしたら、誰が一番最初に魔王様を見つけるかゲームになってしまって!地下室まで行きそうな勢いだったので止めてたらこんなことに……」

「良い良いジョナサン。子供は元気なのが一番よな」


 呆れつつも、アダムバードはまったく嫌がっていない様子だった。一人の少年の頭をぽんぽんと撫でて、宥めるように言う。


「すまんな、ソータ。約束したのは事実だが、今日はどうしてもやらねばならぬ用事ができてしまった。約束は守るから、もうしばし待っていてはくれんか」


 宥められた少年は、恐らく七歳くらいだろう。まったくものがわからぬほど幼い年ではない。ぷくう、と頬を膨らませて文句を垂れるも、無理強いするつもりはないようだった。


「……また、お仕事のせい?アダムバード様、魔王のお仕事そんなに大変なの?」

「大変だが、もう少ししたら多分暇も増えよう。そうしたら必ず、我が勉強も遊びも見てやるぞ」

「嘘じゃないよね?ほんとのほんとだからね?ゆびきりだからね?」

「ああ」


 何なんだろう、この光景は。マリナは唖然として、アダムバードと子供達のやり取りを見つめるしかない。現代日本にもある、ゆびきりげんまん、をする魔王と子供。他の子達にもそれぞれ優しい声で約束をする彼の姿は、女神から教わり人々から伝えられてきた恐ろしい魔王の姿とはあまりにもかけ離れたものだった。子供達も――さすがにあれが演技ならアカデミー賞ものだろう。何故ユキトが、魔王を信じてみる気になったのか理解させられた瞬間だった。

 勿論、魔王が本当に魔族に対して優しかったとしても、人間に対しても優しいとは限らない。同族以外にはどこまでも冷酷で、それもまた真実の姿である可能性もあったけれど。子ども達が立ち去ったあと、次の話を聴いて、それさえもマリナにはわからなくなってしまった。


「ユキトにはもう話したろうが……ケンイチにマリナ。お前達も勝手に魔王城の外に出るでないぞ。命を落としても保証しかねるからな」

「え」

「本当に何も知らぬのだな。魔界の空気は人間には毒であるし、場所によっては触れただけで即死するようなレベルの毒の沼も存在している。土地勘もない人間が不用意に歩き回ったら最期、あっという間にお陀仏だぞ」


 だからな、と彼は続ける。


「アテナ基地を死守し、魔界の門の結界を維持できて本当に良かった。……人間どもに魔界まで踏み込んで来られたら大惨事だったところだ。魔族の未来も危ぶまれる上、人間も確実に死屍累々と死体が積み上がることになったに違いない。……お前達が連れてきた人間兵どもが体勢を立て直し、勇者ナシでも魔王城に突撃する決断を下してしまう前に話を終わらせなければならん」


 彼が、本気で結界を維持しようとしていたのは。魔族のためだけではなく、人間達のためでもあったというのか。魔界に大量の人間が踏み込んで来ることになれば、その人間達の命をも危ぶまれるがゆえに。

 そして同時に、衝撃を受けた。


「……そんな話、メガミサマから聞いてないわ……」


 そう。魔界に入れば、人間達の命も危ない、なんて。たくさんの死人が出るなんて。


「我の話を疑うならそれでもいいぞ、一歩魔王城に出て見ればすぐ実感できよう。空気を吸っているだけでもすぐに気分が悪くなるだろうからな。無防備に長くそうしていればそれだけで死に至るであろう。この魔王城の空気のみ、空調を使って人間でも生きられるようにしてあるから問題ないが」

「それって、もしかして……」

「お察しの通り。魔王城で働くスタッフには人間もいる。……人間の世界で、普通に生きることを許されなかった者達がな」


 マリナの言葉に、アダムバードは特に不快感を表すでもなくあっさりと答えた。ここで思い出したのは、女神が自分達に言った言葉である。




『あの世界の不幸の元凶は、全て魔族にあります。魔族さえいなくなれば、全ての闇は晴れ、人々は平和を取り戻すことでしょう』




 そんな簡単な話ではない、ことは。今回の事件が起きる前から、薄々気づいていたことだ。

 長い旅の道中では、現代の世界にもあるような浮浪者達の姿や、スラム街でスリをして生きる子供達の姿もたくさん見てきたからである。町によって多少違いがあるが、それでも多くの場合は貴族と庶民の間で激しい格差がある。貴族の乗った馬車に撥ねられた子供を、前に飛び出してきて危ないだろうと貴族が鞭で打つ姿を見たこともあった。飢えてパンを盗んだ子供が、身なりのいい中流階級の女に引きずられていく姿も見た。

 魔族がいなくなっても、あの世界が平和になることはない。

 魔族との戦争中でさえ――魔族という人類共通の敵がいてさえ、彼等は一枚岩としてまとまっているとは言い難いのだから。

 それでも実際、魔族がいるせいで、と口にする人間達は女神以外にも多く存在していた。世の中の不幸を全て彼等に責任転嫁しようとするかのように。あるいは、女神にそう刷り込まれているかのように。実際、彼等が魔族というだけで蔑まれて銃を向けられてきたのはそういうことなのだろう。それはただ、人と違う容姿だったからというだけではあるまい。

 さながら、現代でも良く見かけた構図であった。さながらどこかの国が自分達の国の政府に民の不満が向かないように、外国への憎悪をひたすら煽り続けているように。


「……人間が、嫌いじゃないの?」


 思わずマリナは口に出していた。


「そりゃ、あんな世界じゃ……貧しくて人間の世界で生きられなかった人とかもいたでしょうけど。でも、人間は魔族の敵、でしょ?二千年前に、無理やり魔界に魔族たちを追いやったってユキトからは聞いたけど……」

「憎いと思わないこともないさ」


 アダムバードは、どこか達観したように口にする。


「だが、我は魔王であるからな。……我が憎しみに染まっては、皆がその思想に取りつかれてしまうだけ。我が一番に考えるべきは人類への復讐ではなく、少しでも魔族が皆幸せに暮らせるかということだけよ。そのためには、人間を皆殺しにして人間界を乗っ取るよりも、共生した方が遥かに良き未来が導けると思ったまでのこと。ならば、多少禍根があろうが……我はその人間をしっかり見て、冷静に考えねばならぬ。実際人間達の一部とは交流を持って知った。……魔族に様々な者がいるように、人間にも様々な者がいる。一括りにして、種族そのものを好き嫌いと言うことはできんとな」


 それは、リーダーとして実際にあるべき、理想の姿なのかもしれなかった。勿論、本心では嫌いと思うことも少なからずあるのだろうが――それでも飲み込んで、魔族の未来を第一に考えることができるのは、まごうことなき正しい“王”の姿と言えよう。


「……あんた、ちょっとかっこいいな」


 ケンイチが、ぼそりと呟いた。


「まるで……ヒーローみたいだ」

「世事を言っても何も出ぬぞ、少年」


 魔王はまんざらでもなさそうに笑う。段々と、マリナにもユキトが言っていたことがわかってきたような気がしていた。――物的証拠など、何もない。絶対的に正しいことなど誰も教えてくれない。そして、本当の選択は誰かにゆだねることができるものではない。

 主観でしかものを図れない、個人であればこそ。自分は、自分の信じたいものを信じるしかなく、その自覚を持つべきなのだと。

 自分が今、信じたいものは何か。マリナはぐるぐると、自分の中で考えを回す。自分達が魔族を殺してきたのは事実で、それが“バケモノ殺し”ではなく“人殺し”であったということを受け止められるのか、どうか。正直それはまだわからない。それが真実であるのかも。でも。


――そうね。


 アダムバードとその部下。ユキト、ケンイチと共に魔王城の廊下を進みながらマリナは思う。


――後悔しないために。……もうケンイチに、あんなこと言わせないためにも私は……ちゃんと、本当の事が何であるのか、見に行かなくちゃいけないんだわ。どれほど苦しくても、目を逸らさずに。


 途中、すれ違う魔王城のスタッフたちは、皆アダムバードの姿を見ると気軽に挨拶をしてきた。中には目が青くて肌が黒い青年や、黒目黒髪の人間の女性らしき者の姿も見かけた。魔王城で変装する意味などないし、彼等が人間であるのはほぼ明らかだろう。アダムバードは、嘘など言ってはいなかったのだと知る。

 そして、最終的に辿りついたのは、ミーティングルームと書かれたドア。ドアを開くと、そこには。


「な、ナコ!?」

「ああ、戻って来られたのね、ケンイチにマリナ」


 見覚えのある、眼鏡の少女の姿が。彼女はアテナ基地の戦いに参加していたはずだったのだが、どうしてここに。


「私が、自分で来ると言ったのよ。……私も選んだから」


 ナコの方はさほど自分達に驚いた様子もなく、青く光るミーティングルームのテーブルの上に資料を広げて言ったのだった。


「さあ、最後の作戦会議を始めましょう」

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