<23・勇者>

 自分が信じたいものを信じる。証拠があろうと、なかろうと。それは人として普通のことで、多くの人が無意識のうちにそうやって道を選んでいるものである。

 それでも、自分に都合の良い選択をして、“視界に映るもの”を主観的に取捨選択しているなんてことは、多くの人が積極的に認めたがらないものであるはずだ。それはけして悪いことではない。しかし、そうやって自分にだけ都合よく切り捨てた結果が誰かを傷つけ、最終的に自分のことも追い詰める場合もきっとあるのである。

 そして。

 誰もが主観的にしかものを見られないとしても。それを自覚して、自分勝手であることをちゃんと受け止めて、その上で選択することは本来可能であるはずである。

 マリナは思う。――シンプルであるようでいて、それは自分にとってはとても難しい、と。

 誰だって自分は凄いニンゲンで、強いニンゲンだと思いたい。間違っていないと信じたい。正直、今でさえそうだ。ケンイチはユキトの話に少なからず心動かされたようだし、マリナも多少ケンイチへの態度は反省したが――ユキトへの仕打を顧みることと、魔王を信じるかどうかはまったく別問題なのである。ただ、あのコンクリートの部屋から出るためには、嘘でも魔王を信じると言うしかなかっただけで。


「……ケンイチ」


 今。魔王城で、ケンイチとマリナは魔王アダムバードとユキトに扇動されて、地下からの階段を上がっているところだった。転送装置で転移させられた先が、魔王城の地下の一室だったというわけである。出して貰う条件として、一時的に魔封じの手錠をかけられることに同意していた。まだケンイチとマリナの二人は、ユキトほどの信用を得ていないということだろう。スキルが使えないのは癪だが、あのまま何もない部屋に閉じ込められ続けるよりは千倍マシなので今は仕方ない。


「何だよ、マリナ」

「あの、さ……」


 魔王アダムバードの赤いマントをちらちらと見ながら、マリナはケンイチに話しかけるのである。当然囁き声でだが。


「本気で、信じるつもり?……魔族と、魔王が言ってること」


 最大の問題はそこである。魔封じの手錠を外して貰えなければ、自分達が魔王にできることなど何もない。ゆえに、どのみち信用してもらうためには彼を信じるフリをしておくしかないわけだが。それはそれ、本気で“魔族が人間を、自分達を皆殺しにするつもりがない”“本当は人間との共存を望んでいる”なんて話を信じるかどうかは別問題なのである。女神が言っていた魔族の本質とあまりにも異なり過ぎている。大体、アダムバードの話が本当ならユキトが追放されるように仕向けたのだって彼等の手管だというではないか。ユキトもユキトだ、自分が離反する原因を作ったアダムバードを、なぜこういとも簡単に信じることができるのだろうか。


「……さあな」


 こちらの声が、どこまで前を歩く二人に聞こえているかわからない。ケンイチも一応、マリナに合わせるつもりはあるのか声を潜めてはいた。


「でも。……分からないからこそ、確かめなくちゃいけないとは思う。お前だって、女神に願いを叶えて貰いたいから魔王討伐なんて危ないことしようとしてたんだろ。その女神が、魔王を倒しても願いを叶えてくれる保証がないってなら凄く困った話だろうが。そもそも俺は、元から女神のことはあんま信じてないしな。……ラノベの異世界転生した奴らって、なんてほんと都合よすぎる展開なのに女神を全然疑わないのか不思議で仕方ないぜ」

「それはまあ……わからなくもないけど。それなら、魔王が私達の願いを叶えてくれるって保障もないじゃない」

「そうだな。だからこそ……最終的に俺らは、信じたいものを信じるしかないわけだけど。……俺は自分が見られるものや、得られる情報を全部得た上で、どれを信じるか決めるつもりだ。だから今は、素直にアダムバードに従っておくつもりでいる。お前もお前で、ちゃんと自分で決めてくれよ。俺が選んだから、なんてもう俺を言い訳にしないでくれよ」

「…………」


 最後の一言は、本気で疲れた声だった。その声が、ずっしりとマリナの背中にのしかかる。




『何だよ、いつも守って守ってって!俺だってただの中学生のガキなんだよ、何でもできるヒーローじゃないんだよ!そりゃ女の子だし助けてやりたい気持ちもあるけど、こういう時に都合よく奇跡なんか起こせないんだ……!見知らぬ異世界に来て、ぶっちゃけいっぱいいっぱいだったのにいつもいつもいつもプレッシャーかけさせやがって。お前は、お前を守って俺が死んでもいいのかよ。俺だってなあ……俺だって本当は、自分のことだけでいっぱいっぱいだったってのに!』




 分かっている。

 ケンイチに、あんなことを言わせてしまったのは、自分だ。


――何で勝手なこと言うんだって、一瞬そう思った。女の子だから守って貰って当たり前じゃん、って。でも。


 直後に気づいたのだ。自分はケンイチに、約束してもらっていたつもりだったけれど、果たしてそれは本当に“約束”になっていたのか。彼は心から同意をしていたか。自分が無理やり、彼にイエスと言わせていただけではないか。

 ケンイチがどこかで無理をしているかもしれないと、この世界に来る前からなんとなく気づいていたことである。それでも彼が自分の理想の王子様になってくれることを願って、そんな可能性など見ないフリをしてきたのだ。本当の彼を、知ってしまうのが怖かったから。そこで自分の理想が崩れてしまう瞬間など見たくなかったから。

 ゆえに、“命令”をすることで、縛りつけていたのではないか。ケンイチの弱さも悩みも、全て封殺した上で。


――ケンイチのことが、好き。そう思ってた。でも。


 自分が本当に好きだったのは、自分の中の理想の王子様であるケンイチでしかなかったのではないか。

 だって、彼はさっきユキトにこう言ったのだ。




『それから。……ありがとな。俺を、理解しようとしてくれて』




 マリナはずっと、誰かに理解されて、認められて、愛されたかった。それはずっとケンイチも同じだったのではないか、と。

 本当の彼を理解しようともしていなかったのに、それで好き、だなんて言う資格が自分にあるのだろうか、と。


「……私」


 零れたのは、飾る余裕もない正直な言葉。


「自分が、何か大きなことを間違えてたのかもしれないなんて、思いたくない。……その可能性を突きつけられるかもしれないものなんて、見たくないわ」


 みっともないと思われるかもしれないが、それが本音だった。だから、あの部屋から出して貰った今でも別の恐怖が拭えないのだ。

 目の前にした魔王が、思っていたよりも恐ろしい印象ではなかったことも怖い。

 ユキトが想像していた以上に、何かを吹っ切った顔をしているのも怖い。

 そして、自分達の罪を突きつけられるかもしれないのが怖い。




『魔族たちは、“人間”だ。人間界の人々もみんな“人間”だ。それを容易く殺したり、死に追いやってきた僕達には相応の罪がある。……それを君達が認められるなら……魔王様はきっと、君達を許して力を貸してくれるはずだよ』




 魔族たちは、魔界からやってきた、人間を嬲り殺しにする残酷なバケモノでしかない。そう思っていた方が、ずっと楽だった。バケモノを殺すことは、ニンゲンを殺すことではない。自分達は人々を守るためにモンスターを狩っただけで、人殺しになったわけではないと考えることができたから。

 いくら強がっていても結局、マリナも中学生の女の子に過ぎないのだ。出来ることなら人生で、人殺しなんて真似したくないに決まっている。異世界で、仮にそれが法律で裁かれない行為と定義されていたとしてもだ。

 だから、見たくないものからはずっと目を塞いでいたかった。魔族に余計な愛など持ってしまえば、見なくてもいいものまで見えてしまうかもしれないのだから。


「……それが、普通だ。俺だって、そうだ」


 ケンイチは、どこか絞り出すように言った。


「でも。……そもそも俺が、こういう異世界に憧れてたのはさ。もっと別の、新しくて強い自分になりたかったのもあるんだよな。みんなに憧れられて、愛されて、認められる……ヒーローみたいなやつに。今まで俺が演じてきた、かりそめのヒーローじゃなくて」

「……うん」

「でもって。俺が子供の頃憧れた戦隊系のヒーローってさ。……弱い奴にはちゃんと手を差し伸べるし……悪者の事情にだって想いを馳せて、場合によってはちゃんと助けようとするようんな、そういう優しい奴だったんだよな。思い出したよ。俺、本当はそういうヒーローになりたかったんだって。なんで最強のスキルを貰っても満たされなかったのか。それは、俺の心が全然ヒーローじゃなかったからだって。それにやっと、気づいたというか……思い出したというか、さ」


 ヒーロー。

 なんとなく、わかるような気がした。少年達が熱狂する彼等には、テンプレートと呼ばれる型がある。実は、幼い頃はマリナもそういったものをいくつか見ていたから想像がつくのだ。

 確かに。本当の正義の味方という者は、ただ最強無敵のスキルで無双するだけの存在では、ない。


「……そういうヒーローなら、きっと自分に都合の良いところだけ見て、誰かを悪者だと決めつけて退治しようとしないんじゃないかって。そう思ったんだ」

「……そうね」


 マリナは、頷いた。


「そして。戦隊ヒーローって大抵……仲間がいて、一人じゃない。みんなで一つの、ヒーロー、なんだよね」


 誰か一人に全部背負わせたりしない。誰か一人に責任をなすりつけたりもしない。

 自分はずっと、そういうものから逃げて逃げて逃げ続けていたから、パーティはバラバラになって。ケンイチを追い詰めてしまう結果になったのだろう。


「ごめんね、ケンイチ。……私」


 いつでも守って、なんて本当は言うべきではないのだ。

 自分を守って、大切な人が死ぬのを見たくないのならば。


「私も、ケンイチのこと……守れるように頑張るから」


 本物のヒーローは、どれほど怖い現実からも逃げないだろう。

 そしてきっと自分のことも守って、誰かのことも守り抜ける存在なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る