<22・勇気>
何故、こんなところでユキトの声がするのか。ケンイチは驚いたが、同じだけ今はほんの少しの安堵もあった。どうやら、このコンクリートの部屋にはどこかにスピーカーのようなものが仕掛けられていたということらしい。自分が目視で確認した限りではどこにあるのか全く判断がつかないが、そもそも魔族の科学技術はこの世界の人間達を遥かに超えるらしいということもわかっている。見えないカメラやスピーカーを取り付けるくらいは朝飯前なのだろう。
「な、何でユキトの声がするの……?」
トイレを終えて、下着とスカートを引き上げたらしいマリナの声がする。相応我慢していたからなのかややきつい臭いが漂っていたが今は無視するしかない。もう振り返ってもいいだろうと判断して、ケンイチも辺りをきょろきょろと見回す。
やっぱり裏切り者だったのか、という怒りもなくはない。しかし、この空間に永遠に二人で閉じ込められ続けるかもしれないという恐怖から比べれば、それこそ魔王の声であっても歓迎したい気持ちでいっぱいだった。
なんでもいい。こちらの声を聞いている誰かがいるのだとしたら、交渉することもできる。それこそうまく命乞いをすれば、ここから出して生き延びることも可能かもしれない。
『……そう、僕、ユキトだよ』
やがて。少々の沈黙の後、ユキトらしき少年の声は告げた。
『二人がいるそこの部屋は、魔王城の地下にあるらしいんだ。空間転移装置を使ってしか出入りはできない。壁を壊そうと頑張ってたみたいだけど、その向こうは天井も壁もがっしり固められた土だから、コンクリートに穴を空けても脱出はできないと思う……』
「じ、じゃぁ……っ」
『裏を返せば、魔王城の方から装置を起動すればそこから簡単に脱出させて貰えるってこと。……僕の手元にその装置はないけど、この会話は……魔王の、アダムバードさん達も聴いてるから。二人がそこから出してもらえるかどうかは、二人次第なんだと思う』
アダムバード、さん。彼は憎むべき魔王にそんな敬称をつけた。
そして、魔王城にあるというスピーカーから彼が話しているということ。それはつまり。
「……やっぱり、お前は俺らを裏切ってたんだな」
それ以外に、可能性はない。
頭の隅で、実は冤罪かもという気持ちが僅かにちらついていたが、どうやら自分たちの判断は正しかったということらしい。やはり、自分たちは間違っていなかった。あの時ユキトを追放したことに、僅かばかりの罪悪感も感じる必要はなかったというわけだ。
ショックはなかった。しかし、何故己がほんの少し安堵したのか、その理由はケンイチにもよくわかっていなかった。
『……裏切っていたのか?とは訊いてくれないんだね。ケンイチの中では、僕はもう……裏切り者確定、なんだね』
返ってきたのは、どこかしょんぼりしたようなユキトの声。
『僕は、裏切ってなんかないよ。……町で大荷物を抱えてへとへとになってたのを、変装した魔族の女の人に助けてもらっただけ。あのときは、あの女の人が魔族のスパイだなんてことも知らなかったよ』
「そんな都合のいいことあるか!そもそも、魔族がなんのメリットもなく人助けなんかするかよ!」
『そうだよね。……そういう前提もあって、ケンイチやマリナは僕のことを信じてくれなかったんだよ、ね。でも……僕がもし、みんなともっと信頼関係を築けてたら、みんなに信じてもらえるくらい頑張れてたら……多分、ケンイチも少しは疑ってくれたと思う。それができなかったのは、僕の責任だ。君を責めることはできない、と思う』
そして、彼は語った。パニックになって、町から逃げ出したあと。森に入って、大蛇のモンスターに襲われてしまったこと。そこに、さきほど自分を気にかけてくれた女の魔族が現れて自分を助け、気絶した自分を魔王城のに連れ帰って手当してくれたのこと。
そこで彼は魔王、アダムバードと直接話をしたこと。
魔族が魔界から現れた化け物ではなく、元々は人間界に生きていた人間で、異形の見た目のせいで女神に嫌われてしまい、女神に扇動された人間たちに魔界へと追いやられて封印されてしまったこと。千年かけてその封印を破り、人間界にやってきたのは。不毛な土地の魔界だけで、魔族がこれからも生きていくのが困難であったこと。
そして、魔族が望むのはあくまで人間界で人間と共生して生きること。そちらが魔族への不当な差別や迫害をやめ、争いをやめると言うのなら。こちらも和平を望む準備がある、と言っているのだということ。
それを一番邪魔しているのは女神であり、そもそも女神はこの世界で解決するべき問題を、無理やり殺した異世界人を転生させることで肩代わりさせようとしているということ。自分たちは女神に騙されている可能性があるということ――。
「……なんとも出来すぎたシナリオだな」
ケンイチは吐き捨てる。
「一部は信じてもいい。魔族の見た目って人間っぽいし、元々人間界にいたってのは本当かもな。あと、女神様に妙なところがあるのも確かだ。俺らを呼んだくせに、チートスキルだけ与えてそれ以降はいくら呼びかけても放置って感じだし……無責任そうだし。でもそれ以外が、完全に魔族に都合良すぎるだろ。信じろってのが無理な話だ」
女神に関しては自分も疑いを持っていた。そもそも、ライトノベルの世界ならいざ知れず、なんで都合よくトラックが突っ込んできてクラスメート四人がまとめて死んだ上、まとめて異世界に飛ばされるなんてことになるのか。さらにはまるで用意していたかのように与えられるいくつものチートスキルと来ている。それこそ、現代日本のお約束小説やアニメでも見て、それ通りのシチュエーションを誰かが演じたようではないか。
しかし、そんな疑念を持ちながらも女神の言うとおり魔王退治に邁進したのは。他でもなく、夢のような異世界で夢のようなスキルを振り回せる快感を味わいたかったからに他ならない。願いを叶えてもらえるというのも実に魅力的だった。多少思惑があろうと、約束を守ってもらえるならそれでいいと考えていたのだ。
たが。それと、魔族が悪か否かは完全に別問題である。
仮にユキトが本当に裏切っていなくて、魔族に助けられただけなんだとしても。そこで、都合のいい情報を吹き込まれていない保証が、一体何処にあるのか。
『ケンイチが言いたいこともわかる。ていうか、僕もまだ全部は信じてないし。……ただ、確かなのは。女神様から聞いていたのと、僕がこの目で見た魔王様や魔族の様子が……あんまりにも違いすぎたってことだけ。……ケンイチとマリナに言われてた通り、僕は大したスキルもないし、みんなに頼りきりで守られっぱなしのお荷物だったと思う。つまり、僕なんか味方にしても魔族にメリットなんかないんだよ。それでも邪魔な勇者の一人なら、見せしめにして残酷に殺すのが一番いいとは思わないか?実際僕達は、魔族は人間を生きたまま拷問して殺すのが大好きだって聞かされてたはすだ』
「そりゃ、そうかもだけど」
『でも実際は……僕はモンスターから救われて手当されて、あったかいベッドを用意されて、美味しいご馳走を貰って歓迎されただけ。魔王城の外では人間の子供みたいに、魔王様が助けた孤児たちが遊んでる。敵であるはずの僕が城を歩き回ってても誰も酷いことなんかしない。……そこまでのことをして、僕一人を騙す必要があるのかな』
「…………」
それは、確かにそうなのかもしれないが。
「あんた一人を騙すメリットはなくても、私達全員を騙すメリットならあるでしょ!」
食ってかかったのはマリナだった。泣いていたせいで目元は真っ赤になっているが、ユキトへの怒りと苛立ちでだいぶ気持ちを持ち直したらしい。顔をごしごしと服の裾で拭って、少女は叫ぶ。
「私はあんたを許さないから!そうよ、私達がこんな状況になってるのだって、あんたが情報を流したせいじゃないの!?」
『僕がみんなのところからいなくなったの、アテナ基地の作戦を立てる前じゃんか。それで僕に何ができるのさ。みんなの能力だって中途半端にしか知らないのに』
「しらばっくれないで!じゃなきゃ、私達が失敗するなんてことあるわけないじゃない!私達は、私達がこんな目にあって、勝てなくて、こんな惨めなことになる理由なんかどこにも……!そうよ、あんたのせいよ、あんたのせいでしょ!!」
マリナの証言が支離滅裂になっているのは、ケンイチの目から見ても明らかだった。自分もユキトへの疑惑を晴らしたわけではないが、さすがにユキトが離反したあとの出来事まで全部ユキトのせいにするのは無理があるだろう。本人が目の前に現れて自分達を罠に嵌めたわけでもないし、そもそもユキト自身は回復のスキルしか持っていないのだから。
『人は真実じゃなくて……自分に都合のいい真実しか求めてないものだよね。……僕ももう、わかってる。不都合なことが起きた時、それが自分のせいだなんて思いたくないんだ。誰かが悪かったって、誰かに責任転嫁したくなるんだ』
だから、とユキトは続ける。
『だからもう、やめよう……マリナ。誰かのせいにしても何も変わらない。僕も君も、ケンイチに責任をおっ被せたりしないで……自分の意思で何かを選んで、自分でその結果に責任を持つってことをしなくちゃいけなかったんだ。その責任を取る勇気もなく、罪を罪とも思わなかったからこんなことになった。違う?』
驚いた。まさかユキトから、そんな言葉を聴くとは思わなかったから。彼は自覚していたのか――何も選ばず、選択のすべてをケンイチに丸投げして、それでいつも安全圏に逃げていた己を。
『僕も僕の罪を、懺悔する。僕はずっと……安全圏で穏便に過ごすことしか考えてなかった。自分の身が守れれば、他の誰かがどうにかなってもいいと思ってた。元の世界でも、他の世界でも』
どこか噛みしめるような、ユキトの声が響く。
『僕は誓ってみんなを裏切ってここにいるつもりはない。スパイなんかしてない。でも……そう疑われても信じて貰えないくらい信頼関係が築けてなかったのは、僕自身にも非があったと今ならわかるよ。僕は、いじめられたくなくて、いつも誰かの後ろに隠れて無理矢理仲間に入れてもらうことで自分を守ってた。今のクラスでケンイチに近づいたのだって、ケンイチと友達になりたかったからじゃない。守られたかっただけなんだから』
そうだろうな、とケンイチは心の中で呟く。こいつは自分を防波堤にしているだけだと気づいていた。だからこそ、ケンイチもユキトを信じていなかったのだ。自分が危なくなれば、彼が散々責任を押し付けた挙げ句ケンイチを捨てて逃げるのが目に見えていたがゆえに。
『……完全に、ケンイチのことを自分の盾のように扱ってた。そして、責任ある決断をみんな君に押し付けて、それに付き従うことでいろんなことから逃げてた。……本当に、ごめん。ケンイチだって、ただの中学生で……好きなチート能力貰えたからって、見知らぬ世界に来て不安がなかったはずないのに。だからそれは本当に……本当に、ごめん』
「ユキト……」
追放した彼に、そのように謝られるのはあまりにもばつが悪い。ケンイチは何も言うことが出来ず、俯く。
『そして。僕が言えたクチじゃないけどマリナ……君もそうだったと思う。ケンイチのことが本当に大切なら、ケンイチに一方的に守ってもらったり、正しいことを選んでもらうばかりじゃ駄目だった。……これは、僕も君も、同じ罪だと思う』
「わ、私は!私は別にあんたみたいに……あんたほど臆病なわけじゃ……っ」
反射的に叫びかけて、マリナは口を噤む。気づいたのだろう。ついさっき、ケンイチが思わず叫んでしまったことの意味に。
本当はずっと不安だったこと。
自分がそうさせていたという、その事実に。
「……ごめん、ケンイチ。……そう、よね。この件に関しては、私も……。ごめん、なさい。自分が守ってくれることにばっかり、精一杯だったのは。女のコってことに甘えてたのは……私も……」
そこで彼女が謝罪をちゃんと口にできたことに、ケンイチは少しだけ驚いた。てっきり、最後まで自分の非を認めることのできない少女かと思っていたから。
「お前、謝れるんだな、人に」
「……何よ、その言い方」
「別に」
そしてその姿を見て、ケンイチも気付いたのだ。――謝罪するということは、自分の間違いを認めること。認める勇気を持つことであるということに。
何もかも完璧で、一切間違えない人間など誰一人とていない。しかし、それでも間違いを、弱さを認める人間だけがそれを克服し進化していくこともできるのではないか。
ユキトは、自分の過ちを認められた。――それはつまり、ケンイチが思っていたよりも強い人間だったということで。
――そんな奴が。……保身だけで、俺たちを裏切って魔王側につくなんてこと、するだろうか。
もう、わかっていた。
次に勇気を持つべきは、自分の方であるということくらいは。
「……俺も、悪かった。……イライラしてお前にあたりまくってたことも……物証もないのに一方的に裏切り者扱いしたこと、も」
ごめん、と。思っていたよりもするりと、その言葉は出た。
「それから。……ありがとな。俺を、理解しようとしてくれて」
『ケンイチ……』
「もちろん、お前のことを完全に信じたわけじゃねえし、それで魔族が言ってることを鵜呑みにするかどうかは話が別だけどな。……お前は、魔族が正しいことを言ってると思うのかよ。それこそ、証拠なんかねぇだろ」
壁の向こうで、ユキトがどんな顔をしているのかはこちら側からは見えない。それでも、なんとなくケンイチは思ったのだ。
『ない。魔王様が真実を語ってる証拠も、女神様の方が正しい証拠も同じくらいに、無いよ。……今までの僕なら、きっとまたケンイチに正しい方を決めて貰って、それに従ってたと思う。でも、それじゃ何も変わらないって、本当に願う強い自分になんかなれないって気づいたから』
きっと、今。心から決意した顔で、笑っているのだろうと。
『だから、僕は。真実がどうであれ、自分が信じたいものを信じることにした。……魔族の力でも、僕達の願いは叶えられるらしい。あとは僕達が、魔王様と女神様のどっちに願いを叶えてもらうか決めるだけ。……本当に自分のためになる選択が何であるのか、それから……本当にこの世界のために僕達が出来ることはなんなのか』
「……私達が、できること?そんなの……」
『あるって、僕は信じてる。……偉そうで、ごめん。でもどうしても、二人にはちゃんと僕から話したかったんだ』
だから選んで、と。ユキトは話を締めくくった。
『魔族たちは、“人間”だ。人間界の人々もみんな“人間”だ。それを容易く殺したり、死に追いやってきた僕達には相応の罪がある。……それを君達が認められるなら……魔王様はきっと、君達を許して力を貸してくれるはずだよ』
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