4章 嫉妬と独占欲


「ようこそおいでくださいました。お久しぶりですね。最後にお会いしたのは、昨年の冬頃でしたかな?」

「お待ちしておりました。ゴダルド様、……エレーヌ嬢」


 父に続いて和真が、ゴダルドとその娘エレーヌを出迎えた。


 エレーヌを見た時、遠山家の見慣れた玄関にまるで大輪の花が咲いたようだと椿は思った。


 シュタイン・セルゲンの作品を一手に扱う美術商であるゴダルドが、こうして特定の人間の屋敷を訪れることはそうあることではない。

 しかも、遠山家はそれほど名だたる商家ではない。なのになぜ、こうしてわざわざ屋敷にまで出向いて晩餐をしに訪れたのか。


 その理由はおそらく、目の前のこの美しい少女にあるのだろう。


 年の頃は、自分と同じか一つか二つ年下というところだろうか。

 和真より少し年上に見えるが、もしかしたら大人びた化粧とドレスとであえて実際よりも上に見せているのかもしれない。


 少なくとも自分よりは年下であろうエレーヌの立ち居振る舞いや表情からは、自信と生命力がみなぎっていた。ただそこにいるだけで人の視線を集めるような、そんな華やかな魅力にあふれた美少女だった。


「和真っ! 本当に今日が待ち遠しかったわ。あなたったら最近ちっとも港にこないんですもの。私を忘れてしまったのかと思ったくらいよ?」


 すねているような甘えた仕草に、和真がほんのりと微笑んだ。


「エレーヌ嬢、まずは姉をご紹介させてください。……こちらはエレーヌ嬢だよ、椿」


 和真にうながされ、一歩前に進み出て腰を折った。


「椿と申します。父と和真がいつもお世話になっております。お会いできて光栄です。ゴダルド様、エレーヌ様」


 心のざわめきを押し殺し、精一杯の笑みを浮かべて礼をする。


「そう。あなたが……。かわいらしいお姉様ね。初めまして、エレーヌよ。和真とはとても親しくさせていただいているの。どうぞ末永くよろしくね」


 その何かを含んだような言い方に、椿は必死に表情筋を動かし作り笑いを浮かべた。

 

 エレーヌは挨拶が済むとすぐに椿から視線を外し、和真だけに熱い視線を注いでいた。まるで他のものはなにも視界に入ってこないとでもいうように。その視線は、ただの商談相手に向けるそれでは、明らかになかった。


 それに微笑みで返す和真を、どこかもやもやとしながら椿は見やった。


 和真の微笑みが、仕事の時に見せる外向き用の顔だと分かってはいる。いるのだけれど、椿の視線はどうしても和真の二の腕辺りに押し付けられたそれに向いてしまう。

 下品に見えないかどうかのギリギリに開いたドレスからのぞいた豊かなふくらみが、和真の腕にぎゅっと押し付けられているのを。


 椿は必死にそれから目をそらそうとするのだけれど、どうしても目を離すことができない。

 

 他国では体の接触をともなった挨拶など珍しくもないと聞くし、きっと他意はないのだろうけれど。でもまだ結婚前の異性に、あれほど体をくっつけるなんて。恋人でもなければ伴侶でもなく、家族ですらないのに。


 どうにも胸がムカムカする。こんなふうに気持ちが波立つことなんてそうはないのだけれど、エレーヌの一挙手一投足が気になってしまう。


 けれど、これは大切な商談の一環である。今日の結果が美琴と当矢の幸せを、そして遠山家の名に左右すると思えば失態をするわけにはいかなかった。

 椿は必死に平静を装いながら、意識を和真が先日くれた椿の花を模した髪飾りへと向けた。少しでも、心を落ち着かせたくて。


「さぁ、夜は冷えますから中へどうぞ。家の料理人はなかなか優秀なのですよ。きっとお気に召していただけるかと」


 父の声がけに、皆ぞろぞろと屋敷の中へと入っていく。


「さ、中を案内してちょうだいな。和真」


 エレーヌの豊かに波打つ薄茶色の髪が、色っぽく空いたドレスの背中で嬉しそうに跳ねる。和真の体にその年頃には不似合いと言えるほどの豊満な体を密着させた弾むように歩く後ろ姿に、椿は硬い表情のまま晩餐は始まったのだった。


 


 そしてそれは、夕食の席に着いてからも増していく一方で、椿は今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちと必死に戦っていた。

 料理の味もわからないし、会話の内容もまったく頭に入ってこない。曖昧に笑みを浮かべてやり過ごすのがやっとだった。


 相変わらずエレーヌは和真の隣を陣取り、その視線は熱い。

 ゴダルドはそんな娘の行動を気にするふうもなく、いかにもゴダルドの国特有の豪放磊落な笑い声を上げ遠山家との夕食を心から楽しんでいるように見えた。


 これはきっと、遠山家との商談をするかしないかの分かれ目なのだろう。ここでゴダルドに気に入られれば、今度の商談の席には少なくともついてくれる可能性はある。もし気分を害すれば、結果は見えていた。


 だからこそ、椿はひたすらにこの胸がざわついて仕方ないひと時がただ早く過ぎ去ってくれるのを祈っていた。


「そろそろデザートをお持ちいたします」

「ああ、よろしく頼むよ。椿」


 父と小さく目配せをして、椿は席を立った。


「実は今夜のデザートは娘の椿が作ったのですよ。ゴダルド様の国に有名なケーキがあると聞きましてね。お口に合うとよろしいのですが」

「ほう、それは楽しみですね。どうやら家庭的な素晴らしいお嬢様をお持ちのようですな」


 父とゴダルドの会話を背中越しに聞きながら、この席から一瞬でも離れることができて椿はほっとしていた。


 厨房に入り、前日から仕込んで焼いておいたケーキを切り分け、果物やクリームと合わせて丁寧に皿に盛りつけていく。


 そして最後のひとつを乗せ終えた時、椿はここにいるはずのない人物に声をかけられたのだった。





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