5章 過去との再会
1
玄関には、見覚えのない大柄ながっちりとした身体つきの青年が立っていた。ちょうど太陽を背にしているために顔は良く見えない。何やら重そうな麻袋をしょって、その足元には大きな木箱が二つ置いてあった。
よく日に焼けた肌と筋肉に覆われたがっちりとした身体つきはまるで熊のように大きく、その迫力に椿は息をのんだ。
「ど……どちら様でしょうか?」
孤児院に出入りする馴染みの配達人でもないし、時折食べ物などを差し入れてくれる近所の人でもない。
首を傾げる椿を、その青年はしげしげと眺め出した。じろじろと観察される居心地の悪さに、椿が困惑していると。
「ん? んんん……? お前、もしかして椿じゃないか? 昔ここにいた、おかっぱのこけしみたいなチビっ子!」
青年はぱっと顔を輝かせて、椿を指さしたのだった。
「え? こけし……?」
こけしとは失礼な、と思いつつも確かに昔そんなことを誰かに言われた記憶がある。チビッ子ということは、小さい頃の知り合いだろうか。となるとこの孤児院にいた子以外に知り合いはいないから、ということは――。
「なんだよ。忘れちまったのか? ほら、この傷。覚えてないか? そこにある柿の木から落っこちてけがしたのを、お前が手当してくれたじゃないか!」
そう言って、青年は自分の頬にある薄く残った傷跡を指さした。
ふと椿の脳裏に、遠い日の記憶がよみがえる。その記憶の中にある男の子の頬の傷と、目の前の人物のそれとが重なった。
「まさか……あなた、大和? 大和なの?」
椿が驚きと困惑を隠せずに叫ぶと、青年は少し照れたようににかっと笑うと鼻の下を手の甲で擦った。
「元気だったか? 椿。なんだ、お前ひょろひょろじゃねぇか。しっかり食ってるか?」
呆然と言葉を失うこちらとは対照的に、大和は嬉しそうに歯をのぞかせてはっはっはっ、と快活な笑い声を上げたのだった。
◇◇◇◇
椿は美琴に子どもたちの面倒を任せ、裏庭で冷たい水でじゃぶじゃぶと汗まみれのタオルやシーツを洗いながら、そっと大和と名乗るその青年を観察していた。
大和は、遠山家に養子として本来迎えられるはずの男の子だった。
あの頃はまだ体もひょろひょろとしていて、同じ年頃の子どもたちと比べても小柄な方だった気がする。その見た目とは反して、少々わんぱくだった記憶もあるけれど。
それがまさか、こんなに大きくたくましい青年に成長するなんて分からないものだ。
年齢は自分と同じくらいだった気がするから、今二十才前後だろう。けれどその熊のようながっちりとした体つきと比べると、まるで自分が子どものように見える。
椿は、まさかあの大和が目の前にいるとはどうしても信じられず、困惑していた。
「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してるな、椿。お前、遠山のお屋敷に今もいるんだろ? 幸せにやってんのか? ん?」
「え、ええ。もちろん。……大和はあの後どうしていたの? 農家に迎えられたあと行方知れずだと聞いて、院長先生も皆もずいぶん心配していたの」
大和はああ、と呟き困ったようにぽりぽりと頭をかいた。
「ああ、実はもっと西の町に引っ越したんだ。良い農地が手に入ったもんでな。手紙のひとつも出せば良かったんだが、あいにく手紙の書き方なんて知らないからな。悪かった、連絡もしないで」
きっと元気で暮らしていたのだろうということは、その明るい笑顔をみれば分かる。心配するようなことなどなかったのだろう。迎えられた夫婦の元で、日々元気に畑を耕していたに違いない。
その姿に安堵しつつ、でも心の奥でちりちりとした痛みがうずくのを感じていた。ずっと大和に対して抱いていた思い。それを何の心の準備もないまま伝える日がやってくるなんて、とそれをどう切り出したらいいのかと考えあぐねていた。
「元気そうで、本当に良かったわ。院長先生も、あなたのことをずっと気にかけていたの。それと、それとね……。私、ずっとあなたにあやまらなきゃって思っていたの」
こくり、と息をのむ。
きっと今伝えなければこの先も伝えられない。このまま伝えずにあやまらずに生きてしまったら、きっと後悔する。それだけは分かっていた。
「……あやまる?」
大和がその顔から笑みを消して、ふと真顔になった。
「私があの日、遠山家に間違えて行ってしまったためにあなたの養子縁組が流れてしまったでしょう。でももし私があの時もっとちゃんと遠山の両親に事情をうまく説明できていたら、あなたは今頃遠山の家に迎えられて……。それを、ずっとあやまりたくて」
きっとここで大和に会えたのは、運命に違いない。
ここのところ、どうしてか自分の気持ちと向き合うことが多かった。
エレーヌと出会い自分の中に眠っていた強い気持ちに気がついて、吉乃の言葉にこれからどうしていけばいいのかわからなくなって、でもすべてが間違いだったわけではないと教えられた。
そして、まさか大和までがこうして孤児院に長い年月をへてやってきたのだ。
過去のわだかまりときちんと見つめ合って、自分がどうすればいいのかを知るためにきっと必要な機会を与えられているのかもしれない。そう思った。
「……本当にごめんなさい。あなたの本来得るはずだった居場所を取り上げるような真似をして。本当ならあの日遠山のお家に迎えられたのは、あなただったはずなのに。本当に申し訳な……」
きちんと自分の中にある気持ちを伝えてあやまらなければと思うのに、どこか怖くて大和の顔を見られない。うつむいた自分の顔が、たらいの中に張った水面に揺れる。
「……はぁ」
頭上から聞こえてきた小さなため息に思わず顔を上げる。
「なんだよ、それ」
そう呟くと、大和はどこかおもしろくなさそうな表情を浮かべ、無言で椿の手の中で握りしめられていた濡れたシーツを取り上げた。そして手慣れた様子でぎゅっと水気を絞り、ぱんぱんと伸ばすと木と木の間に張ったロープにかけていく。
慌てて椿もそれを手伝い、沈黙が怖くて大和の方に視線を向けられないまま、無言で残りの洗濯物を干し終える。
「なぁ、椿。お前、もしかしてずっとそんなことうじうじ考えてたのか? 自分が俺の場所を取り上げたんじゃないかって?」
大和が、こちらに視線を向けないまま問いかける。
それにこくりとうなずき、うつむくことしかできないのだった。
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