「では今夜、お願いしますね。椿様」


 美琴はどこかいたずらっ子のような楽しげな表情を浮かべて、屋敷へと帰っていった。


 美琴が子どもの頃から当矢とともに食べていたというスープは、どこか懐かしく心がほっとする味わいがした。その優しい味のあたたかなスープが、美琴と当矢の思い出そのものを凝縮しているようでどこかくすぐったくもある。


 椿の指導の元、美琴は心を込めて安眠効果のあるハーブを使ったサシェを作った。美琴はすっかりサシェ作りが気に入ったらしく、今度は私にもハーブを摘むところから教えてくださいませ、と頼み込んだほどである。


 椿は、手の中のトレイを満足そうに見つめた。


 トレイの上には、美琴が当矢のために作ったサシェがひとつとそして椿が和真のために用意したサシェ、そして二人分のスープ。それぞれにあてた手紙が乗っている。


「喜んでくれるかしら。二人とも」


 椿は離れへと続く廊下を、スープをこぼさないようにゆっくりと進んでいく。いつもは二人の邪魔をしないようにあまり離れには近づかないようにしているのだが、今日は特別だ。

 なんといっても、美琴手製の思い出と愛情たっぷりのスープと思いを込めたサシェを差し入れるのだから。


「和真、当矢様。ちょっとよろしいでしょうか」


 驚いて顔を見せた和真は、トレイの上に乗ったものを見て笑みをこぼした。


「当矢。美琴さんから差し入れのようだよ」


 当矢は、すぐにそれが二人の思い出のスープだと気づいたらしかった。


「美琴様が何か役に立ちたいとおっしゃっていたのでお夜食でも作って差し入れたらと提案したら、これを、と。私もお手伝いさせていただいたので、和真も一緒に飲んでみてね。それとこれは当矢様に、美琴様が安眠できるようにと作ったサシェですわ。こっちはあなたの分よ。お手紙もありますからね」


 実は和真に作ったサシェには、これといった効用はさしてない。けれど、和真はこのハーブの組み合わせが好きなのだ。気持ちが落ち着くといって、よく子どもの頃から枕に忍ばせていた。

 きっと和真なら、これがいいというだろうと思って。


 和真にはすぐにわかったのだろう。鼻をくん、と近づけてにっこりと笑みを浮かべていたから。


「では、あまり二人とも無理はしないでね。……おやすみなさい。和真、当矢様」


 二人の嬉しそうな顔に、椿は心があたたかく満たされて軽い足取りで離れを後にしたのだった。





 ◇◇◇◇



 翌朝、庭園で椿は和真から一通の手紙を渡された。


「当矢から美琴さん宛ての手紙だそうだ。渡しておいてくれるかい?」

「ふふっ。きっと美琴様、大喜びだわ。ありがとう」


 美琴の喜ぶ顔を想像すると、早く手渡したい気持ちが募る。

 きっとスープの反応も気になっているだろうし、話を聞きたくてうずうずしているに決まっているから。


 思わず椿の口から小さな笑い声がこぼれた。

 それを見た和真が、苦笑する。


「相変わらず椿は、誰かのために何かしている時が一番嬉しそうだね」

「そう? でも自分がしたことで誰かが喜んでくれるのならとても嬉しいわ。なんだかわくわくするし、した以上の大切なものを受け取った気持ちにもなるんだもの。誰かの役に立てることが、一番の幸せだわ」


 椿がそう微笑んで答えると、和真の顔に少し困ったような表情が浮かぶ。


「でも同じことを周りの人間も椿に対して思っているということを、忘れないでね。椿はいつも自分の幸せは後回しにするから。……それと、これはサシェのお返し」


 和真はそう言うと、椿の手のひらにポンと小さなリボンで結ばれた小箱を乗せた。

 そっとリボンを解き箱を開けると、中にあったのは小さな髪飾りだった。


「わぁ……。きれい」


 それは赤い小さな硝子をたくさん並べて花の形を模した、手の込んだ髪飾りだった。中央には黄色のガラスが埋め込まれていて、朝日に反射して美しくきらめいていた。


「こんなに高そうなもの……何かのお祝いでもないのに一体どうしたの?」

「サシェのお返し、というよりは今度ゴダルドとの晩餐の折につけたらきっといいだろうと思ってね。この花、何か分かる?」


 椿は、胸の中にふわりとくすぐったさと嬉しさがこみ上げてきてふわりと微笑んだ。


「椿、ね? 赤い椿」

「そう。本当は誕生日にでもと思って特注しておいたんだけど、思いのほか早く仕上がったから。これなら着物でもドレスでもどちらでもきっと映えると思うよ」


 その繊細なきらめきと、わざわざ自分のために特注までしてくれたのかという喜びに胸がいっぱいになる。


「ありがとう……。和真。とても嬉しいわ。本当にきれい」


 肌寒いはずの朝の空気が、ほんの少しあたたかくなった気がする。心も体もほんのりと。

 椿の髪飾りをそっと大事に箱にしまい、椿は胸に抱きしめたのだった。





「そういえば今日は孤児院へ勉強を教えに行く日だったよね。もう準備はすっかり済んだの?」

「ええ。明日は美琴様も一緒なの。礼儀作法を教えてくれるんですって。私はその辺はあまりしっかりしていないから、美琴様が教えてくれると安心だわ」


 そろそろ朝のひと時も終わりが近づいていた。

 お互いになかなかゆっくりと話す時間も取れずにいるけれど、こうして短い時間でも一緒に過ごすと気持ちが安らぐ。


 今日は夕方まで孤児院にいる予定だし、数日後にはゴダルドとの晩餐の予定が控えている。晩餐に向けてデザート作りの仕込みもしなければならないし、屋敷もきれいに整える手伝いもしたい。もちろん屋敷の使用人たちに任せきりにしても大丈夫なのだけれど、どうせなら皆で一緒にやったほうが楽しいし。


「そう。美琴さんにも子どもたちにもよろしく伝えて。それと……」

「無理はするな、でしょう?」


 少しおどけたように言葉を返すと、和真が声を上げて笑った。


 こうして朝の平和なひと時は、あっという間に過ぎていくのだった。



 この時はまさか、あんな騒動が起きるなんて思いもせずに。




 



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