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和真の伝えたいこと。それはもしかしたら、和真の思い人についての話なのかもしれない。愛する人とこの先の人生を歩んでいきたい、だからもう縁談は受けないと、そう伝えるつもりなのかもしれない。
胸の奥がつきりと痛む。
けれどそれは、これまでずっと和真のためと思いいくつもの縁談を勧めてきた姉としてきちんと受け止めなければならないことでもある。
椿は覚悟を決め、こくりとうなずいたのだった。
「椿、椿は今幸せかい? この屋敷にきて、僕や両親と生きるこの暮らしに幸せを感じている?」
和真にそう尋ねられ、椿は迷いひとつなくうなずいた。
答えなんて決まっている。これが幸せじゃないなら、一体何を幸せと呼ぶのか。
「ええ。もちろん! 私には不相応なくらい、今までずっと幸せにしてもらったもの。幸せなんて言葉じゃ足りないくらい」
心からそう言うと、椿は和真を見つめた。
「でも、椿はこの屋敷を……僕のそばを離れるつもりでいるよね? これまでもずっと、そして今も。それはどうして?」
和真の問いに、椿は動きを止めた。
ずっと隠してきたつもりだった。この遠山の家を離れることも和真のそばから離れることも、一度たりとも口にしたことはないし、態度にも出したつもりはない。心の中にずっと隠してきたその思いを、なぜ和真が知っているのか。
もちろん和真の才があれば、こんな思いひとつくらい簡単に読み取れるのかもしれない。けれど、和真は家族に対して才を使うことはない。
ならばなぜ、和真が知っているのかと椿は息をのんだ。
「違うよ。読み取ったんじゃない。そんなの椿をそばで見ていればすぐにわかる。……どうして? 椿。なぜ幸せなのに僕たちの元からずっと離れようとしているのか、教えてほしい」
和真の顔には悲し気な色が浮かび、それが胸を締め付けた。
「私……ずっと幸せになってはいけないと思っていたの。自分のいるべき場所じゃないこんなにあたたかな場所で、こんなに幸せに守られて生きているなんて許されないって。だって、本当は遠山の家は私が迎え入れられるべき場所ではなかったんだから」
「養子に迎えられた時のことだね。じゃあ椿は、その子に申し訳がなくて幸せになるべきじゃないと? だから幸せな場所から早くいなくならないとと思ったの?」
和真の言葉に、小さくうなずいた。
「一日でも早く幸せをもらった恩を返して、和真の幸せを見届けたらこの屋敷を離れて孤児院にでも住み込むか、どこかで働きながら子どもたちの教育に携われたらって、そう思っていたの。皆が幸せでいてくれたら、自分のことはどうでもいいと思っていたから。皆を幸せにできたら、それだけでいいんだって……」
皆を幸せにしたい。そのために自分の人生があるのだと思っていた。皆を幸せにすることが、自分の幸せなんだと。
そう思っていた気持ちに嘘はないけれど、でもずっと心の奥底には願いがあって。それをずっと見て見ぬふりをして、その願望に、欲に目を背け続けてきたのだ。それは自分が望んでいいものではないからと。
でも美琴や当矢のこれまでの姿を見守ってきて、エレーヌや吉乃、そして大和とも再会した今は――。
「……でもね、私……私、気づいたの。本当の自分の気持ちに。美琴様と当矢様、孤児院の子どもたち、エレーヌ様、そして何より本来遠山に迎えられるはずだった大和と再会して、それは歪んだ思いだったのかもしれないって気づいたの」
「歪んだ、思い?」
一体どう話せば伝わるのだろう。今の自分の気持ちが。
幼い頃から感じていた罪悪感や後ろめたさ、そして幸せになればなるほど積み重なる心の中で密かに大きくふくらんでいく願い。そしてそれがたくさんの出会いによって、間違いだったと気づいて。
吉乃の思いと、そしてずっとわだかまっていた大和への罪悪感が霧のようにすうっと消えていって、今は心の中がきれいに澄んでいる。
頭の中に色々な言葉を思い浮かべながら、胸の内をどうかうまく伝わるようにと願いながら言葉を選ぶ。
「皆を幸せにしたい。それは今でも変わらない私の願いなの。でもそれだけじゃなくて……。私、……私は自分が思う以上に欲張りな人間で、自分も幸せになりたいってそう願っていることに気がついたの」
心の奥底にしまい込んでいた思いが、閉じ込めていた思いが一気に溢れ出す。
けれど、いざ和真を前にしてふと迷う。
心の内にある思いを、果たして本当に告げて後悔しないだろうか。弟と姉としての、家族として作り上げてきたあたたかなかけがえのないものを、壊してしまうことにはならないだろうか。
けれどもう、きっとこの思いは隠してはおけない。無意識に押し込めていた間は無自覚ゆえに隠していられたけろど、今はもう気づいてしまったのだから。
「私はもっと幸せになりたいの。皆を幸せにしたいと願うのと同じくらい、幸せになりたい。そして、私の幸せは……ここにあるの」
「……ここに?」
和真の目がふと揺れた気がした。
そこに浮かんでいるのは、なんの感情だろうか。嬉しさのようにも見えるし、どこか不安そうに揺れているようでもあって、椿は和真をじっと見つめた。
伝えたい、と思った。
このもう抑えつけることのできない、あたたかな溢れそうな思いをすべて。
「私は、遠山のお父様とお母様が好き。この屋敷の皆が好き。孤児院の子どもたちも院長先生も、美琴様も当矢様も。エレーヌ様だって。今まで私に幸せをくれた皆が大好きで、皆に幸せになってほしいの。そして、誰より――」
心からの声と一緒に、どうしてか目から涙がこぼれた。
頬をあたたかいものが伝うのを感じながら、椿は告げた。
「和真、私はあなたを愛しているの。姉としてだけじゃなく、ひとりの人としてあなたのことが好き。ずっと自分でも無意識に隠していたけれど、きっともう長いことあなたのことが好きだったの。だから、誰より幸せになってほしかったの」
すっと息を吸い込んで、続ける。
「……けれど、今は。今はできることならこの先もあなたのそばにずっといたいと願っているの。私が幸せでいられる場所は、あなたのいるこのお屋敷だから。大好きなあなたのいるここに、私の幸せはあるの」
その時庭を、さぁっと風が吹き渡った。
その冷たさに一瞬目を閉じた椿は、次の瞬間には和真の腕の中にいた。
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