6
目の前にずらりと並んだ屋敷中から集まった皆の顔を、椿は呆然と見やった。
そして椿は、ようやくはたと思い至る。
和真は自分へ向ける恋心をとっくに知っていたと言っていた。となれば、もしかすると無自覚だった自分の恋心はもしやダダ漏れで、周囲はとっくに気がついて生ぬるい目で見守っていたのではないか、と。
そんなあまりに恥ずかしすぎる事実にようやく気が付き、椿は地面にめり込みそうな思いで顔を覆うしかできない。
「にしたって、なにも全員こうして見に来ることはないだろう! 仕事は? なんで庭に鍋やら針なんか持って出てきてるんだ? 庭に用なんてないだろうがっ」
和真が叫ぶ。
「いやぁ、庭に植えてあるハーブを料理に使おうかと……」
「わ、私はちょっと針仕事で肩が凝ったので、気分転換に外の空気でも吸おうかと……」
「俺は椿様がエレーヌとかいう娘にいじめられてやしないかと心配になっ……。いてっ! 何するんだ、頭はたくなよっ」
「本当のこと言ってどうすんだっ! お前はっ。のぞき見しにきたって白状するなっ」
使用人たちも両親もが勢ぞろいしたそのなんともいえない含みのある笑顔をみれば、きっと何もかも一部始終見られていたのだとわかる。
「まさかお父様もお母様もまで……。恥ずかしい」
使用人たちの後ろに両親の姿を認め、椿は穴を掘ってこの場から姿を消してしまいたい気持ちに襲われる。
それはもちろん和真も同じようで、ちらりと見たその横顔はほんのりと赤く染まっていた。
「しょうがないわよ。皆、あなたたちのことが心配だったんだもの。当矢さんと一緒に帰ってきたはずなのに、和真ったらなかなか屋敷に入ってこないから商談の結果も聞けないし。しかもあなたはエレーヌ様と対決してるって言うじゃない? 加勢が必要かと思って。もっとも出番はなかったけれど。ふふっ」
皆が嬉しそうににこにこと笑っている。それはきっと商談が成功したことと、自分と和真が無事に心を通わせたことを心から喜んでくれてのことなのだろうとは思うけれど。
でもやはり、今は恥ずかしさのほうが勝つのだ。
そして、今は少しだけ和真と二人、そっとしておいてほしい気持ちもあって。
「あああっ! 皆心配してくれているのは分かったから、とにかく今は二人だけにしてくれ! 今は椿と大事な話の最中なんだっ」
気持ちが伝わったのかまったく同じ言葉を叫んだ和真の顔もまた、今までみたことがないくらい真っ赤に染まっていた。
◇◇◇◇
そして、しばらくたち――。
二人の間の距離が大きく変わったかと言えば、そんなことはなく。
生活自体は目まぐるしく変わった。それはもう目が回るほどに慌ただしく、ゆっくりと過ごす間もないくらいに。
この国に輸入されたセルゲンの作品第一号は、予想通り矢波家の当主が法外な金と引き換えに手に入れた。それは上流階級の間でたちまち話題となり、今ではセルゲンの次なる作品を狙っていくつもの貴族や名家から商談の申し入れが来ている。
それを取りまとめるのは、当然のことながら遠山家と、そして。
ゴダルドとの商談を取りまとめたのが和真ともう一人、雪園家に仕える当矢であるという話は、あっという間に評判となった。結果、遠山家と雪園家とは、今後の美術品輸入に関わる共同事業を手を取り合って行うことが決定した。ゴダルドに気に入られた当矢もまた、引き続きゴダルドとの交渉役として和真とともに携わることとなっている。
雪園家にとっても相当に利のある結果を出した当矢を、父親も雪園家の当主も当然のことながら大いに認め、雪園家の娘である美琴との正式な婚約を結ぶ運びとなった。
もっとも当矢もあまりに多忙過ぎて、なかなか話が進まないと美琴が嘆いていたけれど。
そして椿もまた、多忙な日々を送っていた。
というのも――。
「では、来週の木曜の二時にお待ちしております。手に職をつけたいと考えている子はとても多いのです。きっと皆喜びます。どうぞよろしくお願いします」
椿は孤児院の隣にある真新しい木の匂いのする建物の中で、ばたばたと忙しく走り回っていた。
「いよいよ明日からですわね、椿様。なんだか私ドキドキしてしまって……」
隣で書類の整理に追われていた美琴が、胸に手を当ててほうっと息をついた。
この建設中の建物は、子どもたちに読み書き計算などの学習や職業教育を行うための学舎となる予定だ。
建設費用は娘の縁を取りまとめてくれた礼にと雪園家が負担してくれ、美琴もまたこの教育事業に参加してくれることになっている。
それもあり、学舎が完成するまでの準備も兼ねて美琴もこうして手伝いに来てくれているのだ。
「ひとまずきてくださる予定の方とはもうお約束が済んだから、あとは私がやっておきます。美琴様は今日はもうお屋敷に戻ってくださいな。当矢様もそろそろお帰りになられる頃ですし」
商談が終わってからも、なかなかゆっくりと一緒に過ごす時間を持てないのは椿も美琴も同じだった。きっと美琴だけでなく当矢もまた、いい加減焦れはじめているに違いない。
「どうか当矢様にもよろしくお伝え下さいね」
「わかりましたわ。椿様も、今日こそ和真様とゆっくりお話する時間が取れるといいですわね」
美琴はそう言って、帰っていった。
椿はその後ろ姿を笑顔で見送ると、コンコンコン、と小気味いい釘を打つ音に、ふと顔を上げた。
「いよいよ動き出すんだわ……。夢も、人生も、やっと」
心の中に隠し込んでいた本当の願いと正直な思いを口にしたその瞬間から、新しい時間が動き出したのだ。
止まっていた時計の針が、かちり、と音を立ててようやく動き出したように。
椿は完成間近な木の香り漂う学舎を見上げ、眩しそうに目を細めるのだった。
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