6章 新しく描く夢

「お待たせしました。エレーヌ様」


 もうどの花期も終わり少し寂しく感じられる庭に、エレーヌはいた。

 先日会った時よりは簡素な服装ではあったが、その立ち姿からは相変わらずはつらつとした生命力のようなものが滲み出ていて、その鮮やかさに椿は見とれてしまう。


「あら、椿。……急に来て悪かったわ。和真が屋敷に戻る前に、どうしてもあなたと話がしたくてあなたのお父様に無理を言って通してもらったのよ」


 やっぱりきれいな人だ、と思った。自分にはない鮮やかな美しさとしなやかな強さを持った人。それが椿にはまぶしく、少しうらやましくも感じられる。


「あなたがここにいらっしゃるということは、商談はもう終わったのですね。それで結果は……」


 すでに和真たちも、ゴダルドの商談を終え船を下りたのだろうか。となれば、屋敷に戻ってくるのもそろそろかもしれない。

 商談がどうなったのかは父にもまだ連絡がきていないらしいけれど、エレーヌならば知っているはずだ。


「まぁそれについては、和真から直接お聞きなさいな。どうせまもなく帰ってくることだろうし。……今はあなたと話がしたいの。いいかしら?」


 いいかしら、と言いながらもきっと有無を言わせずなのだろう、と椿は苦笑する。

 それでもこくりとうなずけば、エレーヌは満足そうに笑みを浮かべた。 


「この間私、あなたに聞いたわよね。和真のことをあなたが欲しくないのなら、私がもらうけどいいかって。……それで、あなたの気持ちはもう固まった? 私と和真の結婚を認める気になった? それをあなたの口から直接聞いて見たくて、こうしてきてみたの」


 先日エレーヌに会ってから、まだたったの一週間ほどしかたっていない。

 しかもここ数日美琴と話している最中に倒れたり、孤児院で看病に追われてバタバタしていたせいで、すっかり忘れていたなんてとても言えない。

 でも――。


 椿は和真のことを思った。

 自分と四才年の離れた、血のつながらない弟を。


 和真が生まれた時、どうしてあんなに心が締め付けられるような切ないような愛しさでいっぱいになったのだろう。強くぎゅっと握る小さな赤い手を、どうしてあんなに守りたいと思ったのか。

 成長するにつれ愛しさがどんどん増して、時にはらはらしたり心配したり、涙が出るくらいに嬉しかったり。いつだって感情が大きく揺り動かされて。


 和真を愛している。その気持ちは今もこれまでも変わらない。けれど、それは姉として家族を大切に思う感情だとずっと思っていた。いや、そう思い込もうとしていた。でもそれも和真が結婚するまでの間だけ、と自分にずっと言い聞かせていた気がする。


 和真の縁談が幸せなものであるようにと願っていた気持ちに嘘はないけれど、でも心の奥底には別の願いがあった気がする。ずっと隠し続けて目を背け続けていた願いが。


 不思議と、気持ちは凪いでいた。とても静かに穏やかに。


 椿は、エレーヌと静かに向き合った。


「あなた、この間会った時とはなんだか違うわ。……何かあった?」


 そんなに変わっただろうか。こんな短い時間の間に、ぱっとみて取れるほどにそれほど変わったのだろうか。


「自分でもよくわかりません。でも、ここ数日……いいえ、和真の縁談の頃から色々なことがあって。ずっと今まで気づかずにいたことに、気づきたくないと目を背け続けていたことが、ようやくわかった気がしたんです。……あなたの言った通りでした。私は……和真を愛しています」


 その言葉に、エレーヌの眉がくっと上がった。


「……その愛って、姉として?」


 エレーヌの問いかけに、ゆっくりと首を振る。


「私、和真が好きです。弟としても、もちろん愛しています。でもそれ以上に、一人の男性として世界で一番大切に思っています。……独り占めしたいくらいに。きっとこの気持ちを、愛と呼ぶのだと思います。……あなたがそれを気づかせてくれました」

「私に挑発されて、気がついたってこと? 私に和真を取られたくないって思ったの?」


 エレーヌの目が険しくなったのが分かった。

 エレーヌと和真との間にどんな変化があったのかは分からないけれど、自分と同じ男性を愛していると告げられればおもしろくないのは当然だろう。


「気持ちに気づくきっかけにはなったと思います。姉としてそんな気持ちを持つべきじゃないと思っていたし、それに何より自分の幸せのために何かを欲しがるなんて許されないと、ずっと思っていたので。気持ちに蓋をしてきたんです。もうずっと長いこと」

「幸せになってはいけないってこと? 許されないって、一体誰に?」


 エレーヌは少し呆れたように問いかけた。


 確かにそうだ。一体誰に許されないと思っていたのだろう、と椿は我ながら自らを縛り付けていた罪悪感という目に見えない鎖を不思議に思った。


「誰にでしょう? ふふっ。おかしいですよね。誰だってお天道様のもとでは皆幸せになっていいのに」


 大和の残していった言葉が、胸にあたたかく染みた。

 幸せになっていい。それは誰かに許されるとか許されないなんてことじゃなく、誰でもが望んでいい当たり前の欲求だ。それを、エレーヌも大和も表現の仕方は違えどきちんと教えてくれたのだ。


「ありがとうございます。エレーヌ様。幸せになるために欲を持つことは間違いじゃない、当たり前だって教えてくださって。……今ならエレーヌ様が言ったことが、よく理解できるんです。だから私、自分の願いに欲求に正直に、幸せになりたいと思ったんです。心から」


 真っ直ぐにそう言葉にしたら、心の中がすっきりと澄み切っていくような気がした。


 大和や吉乃、エレーヌの言葉がまるでろうそくの灯のようにあたたかく心の中に灯る。そしてそれが、頑なだった心の闇を明るく取り払っていく。


 そしてその先で気づいた、私の望みは――。




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