きた時とはうって変わって身軽になった大和は、見事に空になった麻袋を肩にかけ、にかっと白い歯をのぞかせて笑った。


「じゃあまたくるわ。次くる時は、野菜だけじゃなくて種とか苗も持ってくる。ちょっとした野菜なら小さい子たちでも育てられるし、葉物は採りたてが絶対にうまいからな。ここで育てられるように俺が教えてやるよ」


 大和の言葉に、子どもたちが歓声を上げた。

 たくましく立派に成長した大和をどうしても見送りたいと、まだ病床にいる院長が美琴に支えられてやってきた。


「ありがとう。大和。本当にあなたが立派になって、嬉しく誇りに思いますよ。お父様とお母様にもくれぐれもよろしく伝えてね」


 目を潤ませた院長に手を強く握られ、大和はひどく照れていたけれどその顔は確かに子どもの頃の面影を感じさせた。


「じゃあな。……椿、お前も頑張れよ。けどその前にお前、もっとしっかり食え。そんなひょろっとした身体じゃ、子どもたちのパワーに負けっちまうぞ。こいつらのためにこれからも頑張るんだろ? なら、しっかり栄養を取って体を整えておかねぇとな」


 大和がにやりと笑う。


「あとな、俺は俺で勝手に幸せになるし、お前が変に気を回すようなことはひとつもないからな。お前もしっかり幸せになれ! 皆、お天道様のもとでは等しく幸せになっていいんだからな!」


 ほんの少しまだ心に残る罪悪感を見透かしたように、大和はやわらかい笑みを浮かべ、椿の背中をバシンッと叩いた。

 その強さに一瞬よろめいたけれど、その力強さがまるで頑張れと激励する気持ちの表れのようで、嬉しくもある。


「はい! この子たちを幸せにしたいなら、まずは私がしっかりしないとね。いっぱいあなたの育てた野菜を食べて、力をつけることにするわ! ……本当にありがとう。大和。あなたに再会できて、本当に良かった」


 椿は、心から大和に感謝を告げた。

 大和が運んできてくれたたくさんのものは、今や椿に大きな力となっていた。


 それは、誰かの幸せを望むのと同じだけ、自分も幸せになりたいと思うそんな気持ちで。そのどちらが欠けても、きっと歪になってしまうのだと思う。どちらも大切で、どちらも尊くて。


 真っ直ぐに視線を向ける椿に、大和は嬉しそうにうん、と大きく満足げにうなずき帰っていった。



 

 大和が去り子どもたちはがっくりと肩を落としていたけれど、孤児院にようやく日常の空気が戻り始めていた。

 この数日の間にたくさんのことが目まぐるしく起きたようで、椿は思わずふう、っと大きく息を吐く。


 満足に寝てもいないし動きっぱなしだったせいか体があちこち悲鳴を上げていたけれど、心は驚くほどに軽かった。けれど、なにか大切なことを忘れているようなそんな気持ちにかられ、ふと首を傾げていると。


「そういえば、そろそろ商談も終わった頃ですわね。どうだったかしら……」


 美琴の一言に、椿は小さく叫んだ。


「……っ! そういえばそうだったわ。ばたばたしていて、すっかり頭から抜け落ちてたわ……。そうよ、どうしてそんな大切なことをすっかり忘れていたのかしら……」


 和真と当矢が屋敷を出てから、今日で三日。ということはそろそろ商談を終え、屋敷へと戻ってくる頃だ。

 あんなにエレーヌのことや商談のことが気になって眠れないほどだったのに、子どもたちの看病に追われてすっかり忘れていたなんて。


 どんなに無我夢中でこの数日間を過ごしていたのかと、椿は美琴と顔を見合わせ苦笑した。


「なんだか申し訳ない気もしますけど、こればかりは仕方ありませんわね。こちらも必死だったのですし」

「そうですね……。でもそろそろ私たちも屋敷に戻って、せめて湯浴みくらい済ませておかないと。さすがにこんな格好を帰宅した和真や当矢様を出迎えるわけにはいきませんし……」


 椿の情けない声に、美琴がはっと自分の姿を見下ろし絶望的な表情を浮かべた。

 自分たちがいかにひどい格好をしているかと互いに認識しあい、こくりとうなずきあう二人である。


 こうしてようやく孤児院をあとにした椿と美琴は、遠山家の屋敷へと戻ったのだった。


 けれど椿はもうひとつ、大切なことを忘れていた。

 商談が終わったということは、和真へ抱いている本当の気持ちに今度こそきちんと向き合わなければならないのだということを。そしてそれは、エレーヌと和真の間に何か進展があった可能性とも向き合わなければならないのだということに――。




 ◇◇◇◇



 屋敷へ戻り、なんとか身支度をきれいに整え和真と当矢の帰りを待ちつつひと心地ついていると。


「椿、ちょっといいかい? お前に会いたいという客がきているんだが……」

 

 そう告げにきたのは、なぜか使用人でも母でもなく父だった。


 しかもなぜかこそこそと小声で。おかしな態度を見せる父に、椿は首を傾げた。


「私に? 一体私にどなたが……?」


 思い当たるような相手はいないし、孤児院からの知らせならばいつものように使用人たちが知らせにきてくれるはずだし。それにこそこそと伝えるような相手でもない。


「それが実は、エレーヌ嬢なんだ……。お前と内密にどうしても話がしたいと知らせをもらってな。この間の晩餐でも二人で何か話をしていたようだし、その時のお前の様子が気になってな……。大丈夫かい? もし嫌なら私が何か適当な理由をつけて断ってもいいんだが……」


 来客の名を聞いて、椿は納得した。


「エレーヌ様が……。そう、わかりました。すぐに伺いますと伝えていただけますか? お父様」


 心配そうな表情を浮かべる父に、安心させるようににっこりと微笑んだ。


 もしかしたら、和真との間で何か変化があったのかもしれない。それを和真から聞くより先に、自分の口から直接伝えたいと思ったのかもしれないと椿は思った。

 そしてそれは、椿にとって胸が苦しくなるようなことなのかもしれないとも。


 ざわざわと騒ぐ胸に少し痛みが走るのを感じながら、椿はエレーヌの待つ庭へとゆっくりと、確かな足取りで向かったのだった。



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