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椿は、甲板をゆっくりと見渡す。
気持ちのいい開放感たっぷりの船上に集まった招待客たちは、潮風と波の音をバックにおいしい料理と酒に舌鼓を打ち、このひとときを楽しんでいた。どの顔にも晴れやかな笑顔が浮かび、楽しい会話が途切れることはなかった。
ここに集ってくれているのは、椿にとって大切な人たちばかりだ。
息子と娘の晴れ姿にむせび泣く父と、それをやはりハンカチで目元を押さえながら優しく微笑みながら寄り添う母。
遠山家の使用人の代表として出席しているいつになく緊張した面持ちの早人と、少し先の自分たちの未来にうっとりと思いをはせる美琴と当矢。
最初は見慣れぬ景色とはじめて乗る船に緊張して縮こまっていた孤児院の子どもたちも、すっかり気持ちもほぐれたらしい。ゴダルドの船で働く屈強な男たちの腕にぶら下がってみたり肩車をしてもらったりと、ちょっと心配になるくらいのはしゃぎようだ。
そして甲板の中央に並べられた大きなテーブルには、たくさんの果物で美しく飾り付けられたケーキと見たこともないような豪勢な料理の数々が並んでいた。これらはすべて、すっかり和真と当矢を気に入ったゴダルドからの好意らしい。
それらの料理には、たくさんの野菜を抱えてかけつけてくれた大和の作った野菜たちがふんだんに使われているらしい。大和の農場で目下修行中の明之と吉乃も、すっかり日に焼けて元気そうだ。
どの顔も曇りなく晴れ渡り、希望に満ちた笑い声に溢れていた。
幸せを絵に描いたようなその光景に、椿は目を潤ませた。
「どうした? 椿。船に酔った?」
感極まってつい涙ぐんだのを隠そうとうつむいたのを心配した和真が、のぞきこんだ。
それに、ほほえみを浮かべ首を振る。
「幸せだなって思って……。こんな日がくるなんて、ほんの少し前まで思いもしなかったから」
本当にそうだ。
まさか自分が心から愛してきた和真と、姉としてではなく花嫁として隣に立つ日がくるなんて思いもしなかった。心の底では一緒に生きていきたいと望んでいたとはいえ、姉としてそんなことを望んではいけない、幸せになっていいはずがないと、ずっと押さえつけてきたのだ。
誰かの幸せの門出に立つことはあっても、自分が祝われる立場になるなんて考えたこともなかったのだから。
なのに、今日こうして世界でたった一つの素晴らしい花嫁衣装を身に着けてここに立っている。これ以上ないほどに、皆にあたたかく祝福されて。
潮の香りが鼻腔をくすぐり、椿は笑顔を浮かべて空を見上げた。
「幸せって、こんなにあたたかくて大きなものなのね。私、ここにいられることが本当に嬉しい。あなたの隣にこうして立てていることが、皆にこうして囲まれていることが、本当に」
心からそう口にすれば、和真が椿の手を取り穏やかに言葉を返す。
「うん。そうだね。……僕と椿も、ひとつでもタイミングがずれていたら出会ってさえいないのかもしれない。ここにきてくれた人たちとも、交わした言葉や行動ひとつ違っていたら、関係性も違っていたのかもしれない。こうして集えるのは、奇跡のようなものかもしれないな」
和真の言うとおりだ。
あの日自分が手違いで大和の代わりに遠山家に行かなければ、きっと今ここにいない。そして和真と出会わなければ、美琴や当矢とも出会うことはなかっただろう。もちろんエレーヌとも。
けれど、あの日遠山家で両親と出会い、遠山家に養女として迎えられ運命は回りだした。
そして和真が生まれ、愛を知った。
なんて幸せな人生だろう。幸せにしたいと心から思える人たちと、こうして出会えたことが嬉しい。
そして隣には、ずっと愛し続けてきた運命に結ばれた人がいる。
「奇跡……。本当にそうね。ひとつひとつが、本当に奇跡なんだわ」
言葉にならないほどの幸せに、椿はもう何度目かのあたたかな涙をこぼした。
「和真、私あなたを幸せにできるようこれからずっと頑張るわ。それにお父様もお母様も、こうして集まってくれた皆のことも。欲張りと言われても、それが私の望みなの。自分も自分のまわりにいてくれる皆のことも、幸せにしたいの。それこそが、私の幸せだから」
隣に立つ和真を見上げる。
いつもよりもずっと凛々しくたのもしく見える和真の姿に、胸が高鳴る。
これからこうしてずっと和真と離れることなく人生を歩んでいくことができるのだと思うと、これ以上ない嬉しさと同時に果たして本当に幸せにできるのかという少しの不安にもかられるけれど。
でも、幸せになることを、幸せにすることをあきらめたくない。欲張りといわれてもいいから、幸せをあきらめずに一生懸命でいたい。自分もまわりも皆幸せでいられるように。
「でもくれぐれも頑張りすぎて無理をしないように。椿に何かがあったら僕もまわりの人間も皆、幸せではいられないんだから。……椿、僕も椿を幸せにすると誓うよ。椿がこれまで何度も僕をすくい上げてきてくれたように、何があっても椿を守り抜くよ。だから、末永くよろしくね。奥さん」
和真の色気漂う優しく甘い表情と声に、椿は思わず顔を真っ赤に染める。
「は……、はいっ! こちらこそ、末永くよろしくお願いします。……だ、だだだ、旦那様」
和真の真似をしてそう呼びかけてはみたものの、照れと恥ずかしさにたまらずうつむけば。
そっと椿の手に和真の手が重なって、きゅっと握り込まれ。
くっつきあう二人の姿に、冷やかしを含んだ歓声が大きく湧き上がる。
雲ひとつなく晴れ渡った空と、気持ちの良い潮風、そしてあたたかなたくさんの祝福に包まれて、椿はにっこりと花開くように笑う。
不思議な縁に導かれた、幸せな、幸せな日々はこれからも続いていくーー。
盛大に催された椿と和真の船上結婚式は、その物珍しさと華やかさで国中で話題となった。商機と見込んだエレーヌが船上結婚式のプロデューサーとして活躍しはじめるのは、それからまもなくのこと。
そして、遠山家の屋敷ではーー。
満開の花が咲き乱れる庭で、元気な泣き声を上げるかわいらしい赤子を大事そうに抱く椿と、それを慈しむように和真が見つめるあの夢が現実のものになるのは、もう少し先のお話。
かわいい弟の破談の未来を変えるはずがなぜか弟の花嫁になりました 〜血のつながらない姉弟の無自覚な相思相愛 あゆみノワ☆書籍『完全別居〜』発売中 @yaneurakurumi
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