その日はこれ以上ないほどの快晴だった。

 太陽の光をきらきらと反射する美しい海からは耳に心地よい波音が聴こえ、海鳥が舞う。


 そして、港に停泊している船の中でもひときわ目立つ大きなゴダルドの船。

 その甲板には、椿と和真の挙式に参列するためにたくさんの人が集っていた。


「ふん。さすが和真ね。生地のチョイスもデザインも悪くないわ。椿の髪や目の色にもよく似合っているし、裾周りの椿の刺繍とその髪飾りもぴったりだわ。どうせその髪飾りも特注品なんでしょう? 遠山家での晩餐でもこれみよがしに着けていたものね。憎たらしいくらいにきれいよ。椿」


 エレーヌが椿の全身をしげしげと見つめ、どこかおもしろくなさそうな顔でつぶやく。


「昨日今日用意したものではありませんからね。生地の織りと仕立てだけで半年はゆうにかかっていますし、デザインを考案する時間も含めればそうですね……一年は確実にかかっています。椿のために用意したこの世にたったひとつの花嫁衣装ですから、当然でしょう」


 和真が当たり前だと言わんばかりにそう返すと、エレーヌは顔をひきつらせた。


「和真……。あなたって……どれだけ椿のことを」


 エレーヌが呆れたように和真をげんなりとした顔で見やる。

 その隣に立つ美琴と当矢もそれに苦笑を浮かべ、こくりとうなずいているところを見ると皆同意見らしい。


「この素晴らしいお着物を見るだけで、椿様がどれだけ深く愛されていらっしゃるかがわかりますわね。本当にお似合いですわ、椿様。先を越されてしまったのはちょっぴり残念ですけれど、私たちのお式の参考にさせていただきますね!」


 そう言うと、美琴は目をきらきらと輝かせて隣に立つ当矢を頬を染め見上げ、当矢もまたそれを優しいまなざしで見つめ微笑む。

 二人の仲睦まじさに、椿もつられて微笑んだ。


「美琴様と当矢様のお式の準備も着々と進んでいらっしゃいますものね。出席させていただくのが、今から楽しみです」


 椿がそう返すと、美琴と当矢の顔がほんのりと色づいた。


 美琴は当矢と婚約中の身ではあるが、当矢の仕事が落ち着くまでは挙式はお預けらしい。


 もっとも、椿と和真も相思相愛であるとわかってまだ半年ほどしかたっていない。婚約期間をほとんどおかずこうして早々と挙式をする椿と和真が、性急なのだ。


 もちろん一日も早く挙式をと望んだのは、和真その人である。


 まさか心が通じ合う以前にすでに花嫁衣装がほぼ完成済みで、すぐにでも挙式できる準備が整っていると知ったときには、少々驚きと困惑を覚えもした。


 そして椿が和真への気持ちにこの先も気づかなければ、和真は花嫁衣装をそのまましまい込み、独身を貫き姉としての自分と暮らす心づもりであったらしい。


 それを聞いたときには、和真が孤独な人生を送らずに無事伴侶を得られたことを姉として安堵した反面、その相手がまさかの姉である自分であることに複雑な気持ちになったけれど。

 

 結果として、あの寂しい夢見の未来は変えられたということになるのだろう。

 

 今となっては、和真の縁談に一喜一憂していたあの時間が嘘のようだ。

 縁談相手との誰とも和真が結婚しなかったことに今さらながらほっともするし、なぜあんなに懸命になれたのかとも不思議に思える。


 気持ちというのは不思議なものだ。一度自覚してしまったら、もう見なかったふりなんて決してできないのだから。


「やれやれ。執着の強い男は嫌われるわよ。椿も大変ね。こんなにがっちり囲い込まれて、先々大変よ。もし逃げ出したくなったらいつでも船でどこにでも連れて行ってあげるから、言ってちょうだい」


 エレーヌはそう言うと、にやりと笑った。


 一体どう答えたらいいかと困惑して和真をちらとうかがえば、視線がばっちりと合い思わず頬を染める。


「もし逃げ出したくなるようなことがあったら、エレーヌのところへ行く前になんでも話すんだよ。椿の嫌がることはしないと約束するし、決して椿の気持ちを無下にしたりしないから」


 心が通じ合ってからというもの、和真の甘さと優しさはそれまでとは比にならないほどあからさまで、椿は戸惑ってばかりだ。

 その言葉や態度からにじむ愛情は、曇り一つなく真っ直ぐに向けられていて、嬉しいけれど面映い。


 でもそれも、それほどまでに和真が自分を愛してくれているからだ。それが嬉しいと思えてしまうのだから、きっと似合いの二人なんだろう。


「大丈夫よ。和真の気持ちが、その……とても嬉しいから。幸せです、とっても」

 

 思わずそう呟けば、和真の顔に甘く嬉しそうな微笑みが広がった。


 美琴やエレーヌから注がれる生温かい視線に気が付いて、姿勢を正せば。


「その自信がいつまで続くのか、楽しみにしているわ。あ、でも椿を泣かせたら私が許さないけど。美琴にも手伝ってもらって海に沈めてあげるから、覚悟しなさいね」


 バチバチとエレーヌと和真の視線がぶつかり合い、椿は苦笑するのだった。


「それにしても、船上で結婚式なんて素敵な試みですわね。海もとてもきれいですし、開放感があって門出にぴったり。さすがエレーヌ様ですわ」 

「ふふっ。せっかくの椿の晴れ舞台ですもの。こういうのは派手にいかなくちゃ! それに、今はこの国中からセルゲンの作品に注目が集まっているから、お父様の名を売る絶好の機会でもあるのだもの。きっと今日の結婚式も話題になるはずよ。遠山家にとっても雪園家にとっても、うちにとってもいい機会だわ」

 

 エレーヌの抜け目のない商才に、一同が目を丸くし感心する。


 船上で派手に式を挙げようと提案してくれたのは、エレーヌなのだ。


『椿のことだから、きっと孤児院の子どもたちも招きたいのでしょう。ならうんと広い場所が必要よ。うちの船ならどんなに騒いでもまわりに気を遣うこともないし、子どもたちも喜ぶに決まってるわ』といって。

 まさかその裏に、そんなビジネスチャンスが潜んでいたとはと感心しきりである。


 でもそのおかげで、椿と和真の新しい門出はこれ以上なく盛大で華やかなものになったのだった。

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