椿は、美琴の美しさに圧倒されていた。


 白百合令嬢の名の通り、凛とした気品を感じさせる立ち姿と輝くばかりのあでやかさは、通りを挟んだこちらにも濃厚で甘い香りが漂ってきそうなほどで、気づけば椿はぽうっと見とれてしまっていた。


(……あの方が雪園家のご令嬢、そして和真の縁談相手なのね)


 その美琴は今まさに屋敷から出てきたところで、門の前にいた一人の青年と言葉親しげに言葉を交わしていた。


 年の頃は美琴よりもいくつか年上といったくらいだろうか。楽しげに笑い合う様からすると、ずいぶん親しい間柄のようだ。


(一体どなたかしら……。お兄様がお二人いらっしゃるという話だけれど、服装からいって違うかも。もしかして使用人の誰かかしら?)


 それにしても、と椿は感嘆の息をもらした。


(なんて美しくてかわいらしいの……。凛としてあでやかで、本当に素敵だわ)


 思わず、その姿に目が吸い寄せられてしまう。


 これまでの縁談相手も皆かわいらしいご令嬢たちではあったけれど、美琴の容姿とその身にまとう華やかな雰囲気は一線を画していた。


 それになんといっても目を引くのは、その表情だ。

 文字通り花開いた、とでもいえばいいのだろうか。こらえきれない喜びにあふれたその明るく曇りのない表情とそこに垣間見える恥じらいのような色が、椿をなぜかどきどきさせた。


(どうしてかしら。あの二人を見ているとこちらまで嬉しいようなちょっと恥ずかしいような、不思議な気持ちになってしまうのは)


 美琴の目はひとときも離れず青年に向けられていて、まるで夢を見るような表情を浮かべている。そして、美琴を見るその青年の顔にもどこか甘くやわらかな微笑みが浮かんでいた。


 二人の雰囲気になんだか見てはいけないものを覗き見ているようで椿は慌てて視線をそらし、物陰深くに身を隠し、高鳴る胸を押さえた。


 その椿の肩を、ポンと何者かが叩いた。


「椿。こんなところで一体何をしているの?」


 驚き振り返ってみれば、そこには和真の姿があった。


「和真っ? いったいどうしてここに?」


 慌てて和真を物陰深くに引きずり込むと、和真に詰め寄った。


「……あなたが来たら、さすがに美琴様に気づかれてしまうわ。自分の目で確かめたい気持ちはわかるけれど、ここは私に任せて早く屋敷へ帰りなさい」


 そう言い、和真の体をぐいぐいと雪園家とは逆の方向へと押し出す。けれど、椿よりも頭一つ分も背が高く体も大きい和真の体はびくともしない。


「椿こそこそこそ覗き見なんて、趣味が悪いですよ。それにその格好は?」


 和真がため息交じりに呆れた声を出した。


「変装よ、もちろん。もし姉の私がこそこそ偵察していたなんて分かったら、それこそ破談になってしまうもの。着物だって地味だし、これなら私だって気づかれないでしょう?」


 自信満々に答える椿に、和真は今度こそ心の底から呆れた顔でため息をついた。


「まったくもう……。とにかく、さっさとそのおかしな布を取って。この際あきらめて堂々としていたほうが、かえって目立たなくて済みますよ。少なくとも不審者には見えないでしょうから」

「ええ……? そう、かしら。でも」


 四の五の言っている間に和真は椿の頭から布をさっさと取り去ると、椿の手を引いて雪園家の屋敷の裏口のある細い通りへと回る。

 そこでは、数人の女中が馬丁らしき男とおしゃべりを楽しんでいる最中だった。


「美琴お嬢様も、もうそんな年頃なんだねぇ。あんなに小さくてかわいらしかったお嬢様が結婚なんてねぇ」

「お相手は、なんでも格下の商家だっていうじゃねえか。いいとこの貴族様ならともかくも、なんでそんなお相手をお選びなさったのか……」

「そりゃお嬢様ならどんなお相手だって選べるだろうけど、惚れたもんは仕方ないでしょうよ。ここの跡取りはもう直良様がいらっしゃるから、どうしたって外に嫁ぐことにはなるんだし。だったらせめて好いた相手のところに嫁に出したいって親心だろうさ」


 使用人たちのどことなく寂しさを含んだ明るい声に、椿は安堵した。


 どうやら美琴は使用人たちにもとても慕われているらしかった。ということはきっと、美琴はその外見に違わず内面も裏表のない心根の美しい令嬢であるに違いない。


「ねえ、和真。やっぱり今回の縁はうまくいくかもしれないわ。そうは思わない?」

「さあ、……それはどうでしょうね」


 小さく声を潜めて、けれど喜びを隠しきれずに声をかけた椿だったが、返ってきたのは少々引っ掛かりを覚える物言いで。


「……もしかして、何か気になることでもあるの? 和真」


 もし少しでも憂慮があるのなら今のうちになんとかしなければと、椿は真剣な眼差しで和真の顔をのぞき込んだ。


 一瞬和真は驚いたように目を見開き目元を赤らめたが、ふいっと視線をそらし小さく咳払いをした後小さく呟いた。


「まあ、そのうちに分かると思いますよ」


 その唇の端に、薄っすらと笑みがうかんだ。

 その何か思惑のありそうな笑みに、椿はなんとなく不安を覚えた。



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