「早人か。どうだった?」


 和真は視界の隅に人の気配を感じ、そちらへと視線を向けた。


「和真様のにらんだ通りでしたよ。相手の男は使用人の息子で、当矢というそうです。父親はあの屋敷の倉庫番みたいなことを任されていて、主人の信も篤く評判のいい男みたいですよ。相当頭の固い頑固者らしいですけど。当矢はその手伝いや事務方なんかをしているようです」

「……へぇ」


 あれほど裕福な屋敷で倉庫番を任されているということは、父子ともどもよほど信頼されているのだろう。となると、なかなか優秀な信頼に足る人物とみていいと和真は判断した。


「それと、美琴の両親は二人の関係についてはまったく知らず、娘からどこかの商家の息子に一目惚れしたって話を聞いて、ならその恋心を叶えてやろうって美琴の承諾も得ずに勝手に和真様との縁談を申し入れたんだって。貴族からの縁談も、もう断っちゃったらしいです」

「そうか。じゃあ美琴が親の目を誤魔化すために、この縁談を申し入れたわけではないんだな。親の早合点か」


 和真はふむ、と考え込んだ。


 当矢にしてももし父親に知られればとっくに勘当されているだろうから、二人の関係は周囲にはひた隠しにしているのだろう。


「他には?」


 早人ははっと思い出したように、手を叩いた。


「二人は毎週琴の稽古帰りに、二番町の外れにある植物園で逢瀬を楽しんでいるようですよ。まぁ、二人とも堅物みたいでまだ清い関係みたいですけど」


 まだ子どもの早人の口からまさか清い関係などという言葉が出るとは思わず、和真は早人をたしなめた。




 早人は遠山家に仕える使用人の息子で、まだ九才になったばかりの少年である。


 くりくりとした好奇心に輝く目とまるで爆発したようなくせっ毛が、どこか腕白な子犬を思わせる。が、その愛嬌のある見た目とは裏腹に、早人は有能な情報屋でもあった。


 対象となる人物の屋敷や出入り先などに入り込み、一見取るに足らないような情報もその愛嬌とすばしっこさを武器に細かく集め、その情報を和真へと伝えるのが、早人の役割だった。

 早人には、そうした情報収集力や勘の良さ、容易く人に取り入る才能があった。これもある意味持って生まれた特殊な才と言っていいかもしれない。


 その力は、四度に渡る縁談においても大いに役立っていた。早人のもたらした情報を元に和真はこれまでの縁談をすべて破談に持ち込んでいたのだから。

 そして今回もまた、早人は和真に命じられ早速動き出していたのだった。




「なんでも当矢の母親が産後すぐ亡くなって、それを不憫に思った主が引き取ってくれたとかで。親子ともども助けてくれた雪園家に大恩を感じているそうです。美琴と当矢は年もそう離れてませんし、兄妹みたいな間柄みたいですよ。なんかちょっとだけ、和真様と椿様に似てますよね」


 早人の言葉に、和真は苦笑した。


 確かに早人の言う通りおかしな符合ではある。自分は血のつながらない姉の椿と、そして美琴は同じ屋敷で兄のように一緒に育ってきた当矢と思いを寄せ合っているとは。


 にしても、と和真は思案した。

 

 いくら名家とはいえ、貴族の申し入れを断るのは簡単ではないはずだ。最悪今後の商売にはもちろん、家の存続にも影響を及ぼしかねない。それでも娘の気持ちを何より優先するというのだから、よほど一人娘である美琴をかわいがっているのだろう。


 となるともしかしたらこれは、遠山家にとって良いチャンスかもしれないと和真はほくそ笑んだ。


「となると……あの男をうまく使えば……」


 ついこれからのことに策を巡らせていた和真は、早人を待たせたままだったことを思い出し視線を向けた。


 報告を終えた早人は、まるで上手に取ってこいができた犬のようにきらきらと目を輝かせてその時を今か今かと待っていた。


 その様子に、和真は思わず吹き出す。


「なんだよ。そんな難しい顔して、もしかしてモテモテじゃなくてがっかりしてるの? でもまあ和真様には椿様がいるもんね。白百合令嬢もきれいだけど、俺は椿様の方がずっといいな。なんたって、お菓子作り上手だしさ」


 早人はそう言うと鼻をこすり、へへっと笑った。


「早人、余計なおしゃべりは報酬減の元だぞ」


 和真の一言に、早人の口から悲鳴が上がった。


「ごめんよ、和真様。もう言わないからさ、いつもの頼むよぉ」


 目を真ん丸に見開き手をすり合わせながら笑みを浮かべて報酬をねだるその姿は、やはりお腹をすかせた子犬だ。


「分かった分かった。報酬はいつものでいいのか」

「へへっ。できたらかけうどん付きでお願いします。育ち盛りなもんで」


 こうした裏仕事の報酬は、隣町にある飯屋の特上カツ丼と決まっている。

 小さな体で大人でも腹がふくれるほどの量をぺろりと平らげるのだから、大したものだ。


 苦笑して、なんなら肉うどんでもいいぞと声をかければ、早人は歓声を上げ嬉々とした様子でスキップなどしながら去っていった。


 その小さく跳ねる背中を見やりながら、和真は一人椅子にゆったりともたれかかった。


「植物園か……。二人の逢瀬に水を差すのも気が引けるが、行ってみるか……」


 和真の口元に、にやり、と打算的な黒い笑みが浮かんだ。


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