大和が描く理想に感激して、気づけば興奮気味に身を乗り出していた。


「あのね、実は私もなの。ここの子どもたちに勉強を教えているの。将来働くのに必要な読み書きとか、計算とか。そうしたらきっと良い働き口も見つかるし、立派に自活できるかと思って! 私も、命を助けて育ててくれた恩返しをどうしてもしたくて始めたの」


 椿が目を輝かせてそう言えば。


「おっ? お前もかっ! そりゃ気が合うな。そっかそっかぁ」


 大和は驚いたように目を丸くして、そして少しはにかんだように笑う。


「なんだ、似た者同士だな。俺とお前は。なんかしたくてたまんないんだよな。孤児院にもここにいる子どもらにも、他の世話になった大事な人にもさ」


 心からの共感を込めて、こくこくと大きくうなずいた。


 大和もそれに応えるように大きくうなずくと、ふいに真面目な顔つきでこちらをのぞき込んだ。

 

「ならさ、分かんだろ。恩返しって、罪悪感とか申し訳ないとかそんな気持ちをごまかすためにするもんじゃねえよ。そんな気持ちでなんかされてもさ、重いしちっとも嬉しくねえよ。お前はさっき罪悪感がどうのとか、申し分けないとか言ってたけどさ」


 大和にそう言われ、はっとした。


「ただお前は、何かしたいだけだろ。ただここにいる子どもらが好きで、自分にできることがあったら何かしてやりたくてうずうずしてるだけだろ。ただ好きなんだよ。申し訳ないとかごめんとかそんな言葉言われたって、ちっとも嬉しくねえよ。好きだから何かしたいで、いいじゃねえか。きっとその方が皆にも喜んでもらえるし、どっちも幸せになれる。……違うか?」

 

 吉乃に言われた言葉が、よみがえった。


『椿姉はさ。手を握ってくれるの。汚れていてもボロボロの服を着ていても、気にせずただ優しくぎゅっと握ってくれる。抱きしめてくれるんだよ。それがどんなに嬉しいか、わかる?』


『それだけでいいの。私たちは、それが欲しいの。それだけなんだよ? 椿姉がいてくれて、私たちがどんなに嬉しいか。すごく幸せをもらってるんだよ。椿姉はそれをちゃあんと分かっててよ。私たちがどんなに椿姉が大好きか、感謝しているかちゃんと知ってて欲しいな』


 好きだから助けになりたい。幸せになってほしいと心から願うから、何かしたい。

 それは本当に罪悪感を打ち消すための偽物の願いだろうか。


 椿は自問自答し、首を振った。


「私……、ただ幸せにしたいと思ったの。両親も弟も、子どもたちも。自分の周りにいる大切な人たちに、幸せに笑っていてほしいと思ったの。ただ、それだけ……」


 顔を上げてそう言うと、大和はにっこりと嬉しそうに笑った。


「だろ? お前を見ていたらそれくらい分かる。それに、俺はお前を恨んだことなんて一度もないし、むしろ良かったと思ってる。お前のおかげで、俺は今の暮らしを手に入れられたんだ。お前が幸せでいてくれて、嬉しいとも思ってる」


 大和の声は、どこまでも優しい響きをともなって耳に届く。


「むしろ堅苦しいいいとこの商家より、農家の方が俺には向いてるよ。汗だくになって泥だらけになってさ。でも体を動かすのも気持ちいいし、大地と一緒に生きてるって感じがさ。好きなんだよな。だから、これは俺たちの運命だったんだ。どっちも幸せでさ、最高じゃねえか」

「運命……?」

「そう! お前があの日遠山の屋敷に行ったのも、そうして迎えられたのも。俺が今の両親と出会って農家の息子になったのも、全部運命だ。とびっきりの幸せ付きのな!」


 そう言って、大和ががっはっはっ、と豪快に笑った。それにつられて、椿も笑う。

 顔を見合わせて笑い合う幼なじみの二人の間に、もう垣根などない気がした。


 椿は、心の中にずっとわだかまっていた暗く澱んだものがすうっと溶けて消えていくのを感じたのだった。




 二人の楽しそうな笑い声が聞こえてしまったのだろう。すっかり熱も下がって元気を取り戻し始めた子どもたちが、興味津々な顔をしてかけよってくるのが見えた。


「あ! あなたたち、だめよ。待って! まだ寝てなくちゃっ」

 

 慌てて美琴が子どもたちを追いかけるけれど、元気を取り戻した子どもたちの好奇心は止めようもない。

 気がつけば、大和の周りには子どもたちが群がっていた。


「ごめんなさいっ! お客様だって言ったんだけれど、もう元気がありあまってるみたいで」


 美琴が息を切らしている。


 元気を取り戻した子どもたちのパワーは、とてつもない。その上看病で疲れた美琴と椿では、元気を取り戻した子どもたちを押さえられるわけもなかった。


「あなたたち! 病み上がりなんだから、ちゃんと上に何か着てちょうだいったら。そんなにはしゃいだら、また熱が……! もうっ」


 すっかり子どもたちと打ち解けた様子の美琴が、なんとか子どもたちに寝床に戻らせようとするけれど、誰も聞いていない。


 つい少し前まであんなりぐったりしていたはずなのに、今ではもう目を好奇心にキラキラと輝かせて元気いっぱいだ。その様子に苦笑しつつも、心から安堵する椿だった。


「なんだなんだ。お前ら皆、病気だったのか?」


 事情を知らない大和が、寝間着姿の子どもたちに目を丸くして驚いている。


「もう平気だよ。ちょっと熱出ただけだもん。俺さ、もう腹が減っちゃって! ずっと寝てたからさぁ」

「僕も! お腹すいたぁ!」

「あたしもっ。お腹ぺこぺこ!」


 椿は思わず美琴と顔を見合わせ、失笑した。


「実はね……」


 いきなり子どもたちに囲まれ困惑気味の大和に事情を説明すると、なるほどと納得したように手を打ち合わせ、にやりと笑った。


「そうかそうか。お前ら病人だったのか。……おい! お前たち、そんなに腹ペコか? ん?」


 大和が口元ににかっとした笑みを浮かべながら、子どもたちに問いかける。


「うん! 背中とお腹の皮がくっつくくらい、腹減った!」

「おじちゃん、だあれ? 熊しゃん?」

「違う、お兄ちゃんだ。大和お兄ちゃん! 俺まだ二十一才だぞ。おじちゃんはないだろ、おじちゃんは」

「熊しゃーんっ!」

「熊おじちゃーん!!」

「お腹すいたぁーっ!」


 もうてんやわんやである。

 けれど大和は元気いっぱいの子どもたちにまとわりつかれて、とても嬉しそうだ。

 

「ようし! 待ってろ。俺が今からお前たちに、うんとうまい野菜をたっぷり食わせてやる! 皆寝込んでたんだろ? ならうんと栄養のあるもん、食わないとな。俺に任せとけっ! もう食えないってくらい、たくさん食わせてやる」


 大和のその自信たっぷりな宣言に、子どもたちから病み上がりとはとても思えないほど元気いっぱいな歓声が湧きあがったのだった。



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