椿は、少しためらいつつ口を開いた。


「実は私と和真は、血がつながってないんです。私は孤児なので」


 椿は、前方を歩く和真の背中に目をやった。


「両親には本当に大切に育ててもらって、引き取られた翌年に和真が生まれた時は本当に嬉しくて。こんなにかわいらしく愛しく思える存在があるのかしらって思ったんです。この子のためならなんでもしてあげたいって、すべてをかけて守ってやりたいって、運命のように思えて」


 椿は、和真の大きく成長した姿に目を細めた。


 あんなに小さかった子が、今ではもう自分よりとうに背が伸びて、体つきもたくましくなった。それが少し寂しく、戸惑いを感じることもあり。胸がざわめくような、それでいて浮き立つような複雑な気持ちを感じることもある。

 

 和真がまだ幼かった頃、自身に備わった才に気がつきずいぶんと苦しむことも多かった。人に触れてしまうだけで、相手がどんな嘘をついているのかが分かってしまう。どんなに耳障りの良い言葉を吐き出そうとも、それが本心でなければそれが和真には分かってしまうのだ。


『こんな才、欲しくなかった! 人間は汚い生き物だ。皆嘘をつくし、人をだましてばかりでっ。何を信じればいいの? 誰を信じて生きていけばいいんだ!』


 まだ十才にも満たない頃だったろうか。和真がそう言って泣いたのは。

 

 和真には両親の嘘も自分の嘘も全部分かってしまう。たとえそれが愛情ゆえについた悪意のないものでも、表に見えるものとは違うそれに、まだ幼い和真は混乱したのだろう。

 そんな和真に何ができるのかと必死に考えた。でも繰り返し繰り返し、家族としての愛を注ぐことしかできなかった。


『私にはあなたが必要よ。だって私たちは運命で結ばれた姉弟だもの。あなたのための才を私は持って生まれて、これから先何があってもあなたを守り続けるわ。だから生きることに絶望しないで? 私がどんな時でもきっと守って見せるから』


 そう言って、小さな体を抱きしめたのを覚えている。


 その日から、和真はほんの少しだけ落ち着いたように見えた。持って生まれた才はどうにもできないけれど、それでもその心を少しでも軽くする手伝いができるのならそれが何より嬉しかった。

 かわいい和真。心から幸せになって欲しくて、これから先の人生もどうか幸せに笑っていて欲しいと願う。


 そしてその後成長するとともに、和真はある程度は才をコントロールできるようになったらしかった。今では自分を含めて親しい間柄の人間相手に、嘘を読む力をあえて閉じることができるのだという。


『だから椿が何か僕に嘘をついてもそれを僕が読み取るようなことはないから、安心して。もっとも椿はすごく分かりやすいから才なんてなくても見抜けるけどね』


 そう言って和真は笑うのだ。屈託なく、明るい陰りのない笑顔で。

 それが嬉しかった。才を気にしないでいられるのは多分、嘘をついているかどうか気にする必要がない信頼関係でちゃんと結ばれているからだ。


 幸せだと思った。大好きな優しい両親と、かわいい弟とあたたかく家族という絆で結ばれていることが。たとえ血のつながりがなくても――。





 椿は、隣に立つ美琴を見つめた。


「私も、和真といるとありのままでいられるんです。私は感情を表に出すことがとても不得意ですけど、和真と一緒にいると思い切り怒ったり泣いたりもできて。ここにいてもいいのかもしれないって、自分のいる意味はあるのかもしれないって思えます。……だから」


 恋のことはよく分からないけれど、誰かを心から大切に思う気持ちは椿にも分かる。自分が和真を深く思うように、一緒にいると心が和らいで自分のことを少しだけ好きになれる気がして。


「だから、美琴様が当矢様に対して抱いているそのお気持ちが、ほんの少し分かるような気がして。いえ! あの、もちろん恋とは全然違うんでけど。私は姉ですし……」


 おかしなことを言っているのかもしれない。恋と弟に対する気持ちが同じわけがないのに、と椿は的外れな自分が恥ずかしくなり口ごもる。

 けれど美琴はそんな椿を笑うでもなく、こくりとうなずき嬉しそうに微笑んだ。


「ええ、私たち同じ気持ちを抱いているのかもしれませんね。それが恋であれ家族への気持ちであれ、かけがえのない大切な思いであることは違いありませんもの。私たち、似た者同士ですわね。大切に思っている相手との関係性も似てますし」


 美琴の顔が嬉しそうに綻び、そのかわいらしさに椿は思わずぽうっとしてしまう。


「あの……椿様、私ひとつ椿様にお願いがあるのですけれど。その……できたら私と、お友だちになってはいただけませんか?」


 思いもよらない申し出に、椿は目を丸くした。


「私、……椿様が私のために怒ってくれて本当に嬉しかったの。大抵の人は私を雪園家の娘としてしか見てくださらないから、当たり障りのない表面的な会話ばかりで本音なんて打ち明けてはくれないわ。でも椿様は違った。きっと正直で嘘のない方なんだわって思って、そんな方が味方になってくださった気がして、私とても嬉しかったんです」


 そう言って、美琴はにっこりと嬉しそうに笑った。


「心から愛する方と出会えることもこの上なく幸せなことですけれど、心から信じられるお友だちを得ることもとても難しいことだと思いますの。私、椿様とそうした深く心のつながったお友だちになりたいのです」


 椿はあまりの喜びに、体を震わせた。


 うまく表情も作れないほどにあまりに不器用なせいか、はたまたこの生まれのせいなのか、これまで一度もお友だちができたことはない。だから、友だちという存在とはきっともう縁がないのだろうとあきらめていたのに、と。


「えっと、私……私なんかが美琴様のお友だちなんておこがましいのですけれど、私で良かったらぜひ……! ええ、ええ、喜んで……!」


 嬉しさのあまり震える声で答えてはみたものの、この喜びがうまく伝わっただろうか。


 心配になってふと顔を上げてみれば、美琴は嬉しそうに微笑んでいた。


「ふふっ。こちらこそどうぞよろしくお願いいたしますわ。お友だちになれて、とっても嬉しいです。椿様」


 この日、椿は二十才にして初めて友という存在を得たのだった。



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