第17話 失われた2017年の記憶その2
さて。
記憶が欠落している2017年を証券口座の取引から思い出す企画、その後半。
9月にさらに追加で仲間になった銘柄がもうひとつある。
JPX<8697>(日本取引所グループ)。
もう言わずと知れた株式市場を運営されているところだ。
私も東証(東京証券取引所)でいつもお世話になっている。
JPXさんはマツキヨさんで日用品を買うために招聘したクオカード銘柄だ。
百株を持っていると千円ぶん。
一年以上保有していると二千円。
二年以上で三千円。
三年以上保有していれば最大四千円のクオカードを頂戴できる。
ちなみにJPXさんも、2025年3月期を最後に優待を廃止する予定だ。
なので、このエッセイを読んで出資しようかしら?と思われた方は注意されたし。
千円のクオカードだけで終わってしまいますよ。
しかしNISA制度を筆頭に株取引も活況ゆえか、近年の好業績と増配傾向が顕著で「全ての株主様への公平な還元策」も充分である。
非優待銘柄になるが事業の安定性は抜群でオススメ。
ってな感じで、村づくりの次は森林保全。
リコーリースさん、明光ネットワークさんに続いて、シンプルに金のなる木を植え始めた。
ちなみに私がまだ子供の頃は、実際に『金のなる木』が売られていた。
ベンケイソウ科の多肉植物で、葉の形が硬貨に似ていることから、海外でも日本でも古くから『金のなる木』として知られる。
祖母が生前、世話をしていた植木鉢や庭木に混じって『金のなる木』の種があったと記憶している。
しかしまぁ我ながら驚いたのが、当時の中小型株とは言え、この9月だけで3銘柄も購入していたこと。
いったいどこにその余裕資金と執念があったのだろうか?
なにせ当時を思い出せないので、全く分からない。
でも、思い出せないってのは良い事だと思うよ。
たぶんそれくらい、日常生活や仕事に邁進して充実してたんだろうね。
だってクッソ地獄を見た2019年~20年の事は忘れたいのに今だって忘れられないんだから。
春先には昇給もしたはずなので、前年より少しは余裕があったに違いない。
余談だが、私はお恥ずかしながら大学で単位が足りず、五年かけて卒業した。
以来、35歳前後まで、ずっと同じ夢を見ていた。
高校や大学で何かの単位が足りずに卒業できない。
身体は今のおっさんなのに、当時の学生服を着た教室だったり、大学のサークルの部室に居て焦っているのである。
もしくは新しい会社に出社しなきゃいけないのに、何故か過去の会社に在籍していて、そこでのタスクが完了していない状況に陥るパターンもあった。
でも夢の最後に必ず、
「あれ? でも自分はもう社会人で、今は○○社に在籍してるし……」
と気づくと、そこで急に夢が終わるというものだ。
たぶんいろいろ過去の失敗に対する後悔が拭いきれなかったんだろうね。
三十代後半くらいを過ぎて仕事も安定すると、不思議とその夢も見なくなった。
同年秋には、いつもの大型休暇を取得している。
10月14日(土)~19日(木)までの5泊6日。
昨年も付き合ってくれた友人が合流する予定。
前回は旅の最後に長野県の松本駅で集合だったが、今回は冒頭から一緒に出発して旅先を目指し、月曜まで有休を取った彼らと別れて、以降は私だけ旅を続けるというスタイルだ。
この友人達は大学の同期や後輩だが、今や投資家仲間でもあるのは、以前お伝えした通り。
この年の夏休みは、東日本大震災から六年も経ったので、ちょっと被災地をキチンと見ておこうと思って東北地方に向かった。
まずは福島県で二泊。
会津若松市と磐梯町にお邪魔した。
『
大学生の時、東山温泉への旅行で偶然出会った榮川さん。
知らぬ間に『リオン・ドール』さんの持ち株会社になってた榮川さん。
ホームページも新しくなってた榮川さん。
でもいいの。
リオン・ドールさんも会津若松市の会社だからね。
以来、機会があれば福島にお邪魔するのと榮川さんを飲むのはワンペアだ。
大学を卒業して会社員になって、3.11を迎えても。
震災のさなかも、震災後もずっと福島が気になっていた。
こうしてまた福島を訪問できてよかった。
なお、この時はまだ趣味で小説を書こうだなんて思っていなかった私。
旅先をお借りする聖地モチーフ系の私が、念願の福島県(と言っても南西の端っこ南会津だけど)を舞台にした作品が完成するまで、さらに六年の歳月を要す――。
次は一気に北上して、岩手県へ。
修学旅行だか部活の合宿以来、久しぶりに中尊寺金色堂にお邪魔した。
やっぱ若いうちはこういう寺社仏閣のありがたさって分からないものだよ。
おっさんになってその美しさが理解できる。
「中高生で京都・奈良みたいな古都を周るのは必要?」って当時は思ってた。
でも当時の記憶が無ければ、再訪しようとは思わないから、やはり経験として必要だったのかもしれないね。
そこから徐々に南下して、宮城県の塩竈市へ。
高台の中腹にある
その道中、比較的新しい石碑が立っていたので刻まれた文字を覗き込む。
『東日本大震災による津波、この地点まで到達する』
登って来た道を振り返れば、長い下り坂。
塩釜港とマリンゲート塩釜が見える。
ついさっき、あそこで昼食として新鮮な魚介を頂いたばかりだ。
マイカー『ラク太郎』もそこに停めている。
それにしたって相当な高低差である。
だとしたら、今眼下に広がるそこは水の底だったということだ。
私も痛ましい津波の動画をたくさん観た。
震災当日のその映像はまるで非現実的で、私も関東住まいなのでそれなりに揺れて驚いたのだが、それ以上に東北で何が起きているのか理解できなかった。
いま思い出しても胸を締め付けられる。
だから私は震災から六年を経たこの年まで、気安く東北にお邪魔できなかったし、被災して復興するまでに大変なご苦労をされているであろう街には、安易な気持ちで足を運べなかった。
もちろん私だって出来る範囲での支援はしたけども。
それが果たして支援と呼べるのであろうか。
何と言えばいいのか上手く表現できないのは、執筆をする人間として情けないが、同じ日本人として被災地を『被災者』、その他の地域を『支援者』とする風潮に少しだけ違和感を覚えた。
それはもちろん、後に続く熊本や能登の地震とかでもね。
この辺の葛藤は福島を舞台にした新作にも盛り込んだ。
例えまだ震災以前の状況に戻るには道半ばだとしても、そこにお住まいの方が心の底から「いらっしゃい、ようこそこの街へ!」って言えた時こそ、本当の復興なのかなと願ってやまない。
最後の夜は宮城県にお邪魔した。
サッポロさんの仙台工場に併設されたビール園で、株主優待券でお得に20%オフの豪華な晩餐と決め込んだ。
宿はもちろん、後半戦のソロ旅を支えてくれたルートインホテルさん。
Pontaが税抜き百円ごとに3%は、やっぱデカい。
さて、このサッポロビール仙台工場さん。
千葉や栃木や北海道と比べてもビール醸造量が極端に少ないため、今後はRTD(Ready To Drink=開けてすぐ飲める缶チューハイやカクテル缶を指す)の製造に特化するための設備更新がされる。
その際に、老朽化したビール園もいったん閉鎖されることになったようだ。
営業は2024年12月末まで。
再開時期は未定で、もしかしたらこのまま直営飲食店が無くなるかもしれない。
是非とも年内にお邪魔したいものである。
全5泊の運転の疲れも吹き飛ぶ、樽生エビスの美味さ。至福であった。
ちなみにさすがのお膝元とあって、ルートインホテルさんにはいつものキリンさんの一番搾りだけでなく、サッポロさん専用の自販機があったとさ。
こういう柔軟さもルートインホテルさんの良さである。
旅を終えたあとの村づくりでは、この年最後の銘柄を購入していた。
畜舎こと吉野家さんと同じく、畑でつくる農作物以外での食料自給である。敢えて言えばシーフードかしら?
チムニー<3178>。
こちらは第14話でご紹介した、『はなの舞』『さかなや道場』でお馴染み、居酒屋
チェーン店である。
同僚と飲みに行く機会も多く、dポイントも貯まるので購入した訳ではない。
ランチ代の節約だ。
チムニーさんは株主優待として半年に一度500円のお食事券を10枚くれる。
しかし使用制限があって、入店お一人様につき一枚ずつという縛りがある。
(現在は同6枚、3千円と減額された代わりに使用制限が撤廃されています)
ところが優待券はランチでも使えるというから、ありがたい。
日替わり定食700円の支払いで優待券を出す。
残額200円にはしっかりdポイントを付けて貰う。
高楊枝で店を出たら、道すがらポッカサッポロさんの自販機でウーロン茶を買う。
これだけでなんとなく良い日だと思える。
安い男である。
2017年最後、秋のパン祭り。
全ての銘柄が配当金振り込みを終えて、税引き後の総額は106,764円。
なんだか知らんが、ここでようやく村のシムが10万人に!
完全に記憶からは消失されていたが、2017年は大変な年だったようだ。
開拓から4年目の冬を迎えて、村はメトロポリスになった!
いよいよ村づくりも一気に進むに違いないね、こりゃ!
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