第23話 悪夢の2020年その2
私はもうすでに色々なことがギリギリだったのであろう。
仕事も私生活も。
精神的にも肉体的にも。
加えて未知のウイルスは世間をも未体験の領域へと巻き込み、世界は混乱と混沌が支配していた。
ドリフターズのメンバーとして私も幼少期から楽しませて貰った、志村けんさんの訃報が入った。
私に残る一番古い記憶は、母方の伯父の部屋でドリフを観たことだ。
たぶん2歳半にもならない頃だが、鮮明に憶えている。
荷物だらけの少し汚くて狭い部屋で、伯父と一緒に向き合った小さな赤いブラウン管テレビの中では、『8時だョ!全員集合』のピラミッドコントが流れていた。
それから一年も経たず、伯父は亡くなった。
後になって聞いたが、伯父もメンタルを崩して療養中であったらしい。
その死は母も外祖母も多くを語らなかった。
葬儀のこともよく憶えている。
もう私はとっくに伯父の年齢を越えた。
今でも時折、墓参しては伯父も好きだったタバコに火を点けて、向き合う。
なんでこんなに大変でツラいことだらけなのに、生きてなきゃいけないんだろね?
以来、私の創作には主人公に近しい人物の死、生きる意味、人生の矛盾というものが徐々に支配してくるようになった。
これが友人達に言わしめる、邑楽作品の風体が出来上がってきた所以でもある。
隣駅同士の間柄で、終電終わりにタクシー代の割り勘もたくさんした、同じプロジェクトに配属された会社の後輩くんが休んだ。
いちおう上司から聞かされたのは『風邪』ということだった。
こうなると、私一人ではいよいよ右も左もわからない。
同僚達の手を借りながら、あれこれと順にこなしていくが、到底ひとりで賄えるような業務量ではなかった。
何をしたら良いのか分からず、でも4月という年度をまたいで、プロジェクト自体は既に走り出してしまっている。
私はもうシンプルにこの頃の記憶がほぼ無い。
脳と身体がキャパオーバーで、既に限界突破していたのだろう。
シフトも土日や祝日なんか関係なくなり、休みはなんとか週に1回。
それだって、会社のスマホにはひっきりなしに連絡が入り続けた。
とにかく死んだように寝るだけだと、妹に対して愚痴をこぼした記憶がある。
後輩くんはメンタルを壊して休職した。
それを聞かされたのも束の間。
私もアパートから一番近い心療内科を受診していた。
世の中にはもっと大変な思いをされている方も大勢いる。
過労死のニュースとかでも、遥かに過酷な環境に置かれていた方の報道もある。
経営層や上層部として頑張る皆様の方がもっと負荷が掛かっているに違いない。
やっぱり私はいつだって弱い人間だ。
こうして死ぬでもなく、いつも逃げて隠れて、臆病な人間なのだ。
それから私は、自宅に平日の昼夜も関係なく常駐した。
世の中を見れば、コロナ真っ只中にあり、お笑い番組やバラエティー番組も、スタジオに居るタレントは距離を置いて数人だけ。
それ以外の演者は、中継先の別室に居る。
ドラマ作りの現場も多数ストップしていた。
先行きの見えない状況の中、アパートに独り置かれた私は、家族や友人にも会えずに、孤独を深めてゆく。
あれだけ朝早く出て深夜に帰って来ていた人間が、急に平日も含めてアパートに居るものだから、ご近所には「いま流行りのテレワークってやつですよ」みたいなフリをして、平然を装いながらオフィスカジュアルっぽい部屋着を常用する。
バカみたいにちっぽけで、情けない自尊心を保つ私。
また、休職は徐々に家計に影響し始めた。
サラリーマンは通常、会社の給与から社会保険料が天引きされている。
だから労使折半と言えど、普段は支払っている感覚も無い。
給与は控除されたあとの残額が振り込まれるから。
しかし休職していれば当然、出勤していないわけで給与も発生しない。
なので労使折半である私の社会保険料の負担額を、自分が身銭を切って支払わなければいけない。
毎月、会社からは請求書が届く。
ATMに行って、決まった額の社会保険料を振り込む。
いくら株式投資をやっているとはいえ、先立つものは潤沢には無い。
傷病手当金の申請や、転職活動まで手も回らない。
厳密に言うと、そんなことを考えている心の余裕も無い。
とにかく貯金を取り崩しつつ、いただいた配当金も生活費に充当するだけ。
もちろんゴリラ村長としては、村づくりも道半ばだ。
こんなことでせっかく育てた村を放棄するなんて有り得ない。
共に歩んだ投資先を決して売りたくない、とほぼ売却せずに糊口を凌ぐ。
愛車ラク太郎の24回払いローンと転職活動が重なった10年前を彷彿とさせる。
そういう意味では株式投資をやっていて、メンタル的にも本当に救われたのがこの期間だ。
アパートでふさぎこむ私の元に、春のパン祭りで各社から議決権行使書が届く。
昼過ぎの配達の時間に、アパートの郵便受けが「ガコンッ」と鳴るのだけを、待ち続けていた。
これだけで、社会から完全に必要とされていない訳ではないと実感できるし、何よりこうして、休職している間も収入を途絶えさせない方法が確立していたのは、幸いであった。
逆に増えすぎた優待のカタログギフトも生活費の足しになった。
リコーリースさんや明光ネットワークさん達のクオカード優待にも、ニプロ貫一のJCBギフトカード優待にも助けられた。
だから私は出資した各社さまのおかげで、今の状況がある。
すなわちこのエッセイでご紹介した各社は、言うなれば私の暗黒時代を救ってくれた命の恩人だ。
それゆえ瀕死のゴリラはその恩義に報いようと、各社の株式を大切にホールドするスタイルへと変化させていった。
この間、私を救ってくれたもうひとつが、執筆だ。
パソコンの前にかじりついて、寸暇を惜しんでは書き続けた。
『越の翠華』の初期バージョン(註:元をベースに大幅に改稿してカクヨムに投稿したものの、2024年現在エタってます、すいません)
https://kakuyomu.jp/works/16817139555314461456
『太陽が2個あってもいいじゃない!』(書き上げたものの「なんかノリが違う」と公募には出しませんでした)
https://kakuyomu.jp/works/16816452220762751241
『東洋の魔女』(調子に乗って、第18回MF文庫Jライトノベル新人賞さんに二度目の公募に出してみたものの一次落ちでした)
https://kakuyomu.jp/works/16816410413898025305
『あの娘に「すき」と言えないワケで』(第28回電撃大賞さんに出す前の、初期バージョン)
https://kakuyomu.jp/works/16816700428502371673
長編だけで4本。
およそ40万文字以上を書いた。
カクヨムの掲載順はバラバラだが、いずれもこの頃に書き上げたものである。
執筆という始めたばかりの趣味が楽しかったのもあるし、書くことでとにかく思考を切り替えて、鬱屈とした日常を忘れようと必死であった。
7月。
役員と面談を兼ねて、ファミレスで食事をした。
結局このまま休職するのか否か、どうするんだ、と圧を掛けられただけと私は率直に感じたのであった。
心の中ではもうこの会社には未練は無いのに、やっぱり休職中とは言え会社員という肩書に未練を感じて、復職という一縷の望みを模索してしまう。
株主であるすかいらーくさんのガストに行ったのに、全然美味しくなかった。
8月。
何度も妹と連絡を取り合い、最終的に私は退職を決意する。
ただそうなると、いよいよ収入が途絶えてしまう。
すぐに転職できるかは不透明だ。
オマケにまだメンタルを病んでる最中なので、万事が上手くいくかわからない。
もちろん傷病手当金も手付かずだし、失業手当も貰えるだろう。
でもそれだけで、生活を賄えるか不安は大きい。
毎月のように家賃の支払いや、車の維持費だってかかるというのに。
なので、ここはシンプルに父親に頭を下げよう。
あーもう、なんでこんなことになっちゃったのかなぁ?
ホント人生って上手くいかないよな。
ついこないだまで薔薇色だったのに。
私は5年ぶり(2度目)の、こどおじになる道を選ぶ――。
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