十二 ステップ/タイムマシン/深く
僕は智に声をかける。
「智」
彼は僕の方を見る。曇っていた表情が僕を見つけると、幾分明るくなった。
「要か、どうした? もう誰も彼も、とっくに家に帰っている時間だろう」
僕はなんて答えようか迷う。そうしているうちに彼が僕のところに走ってきた。
「理由はいろいろあって、感情がぐちゃぐちゃになった。誰かに会えれば、気分も変わるかと思って来てみたけれど、もう誰もいなかった」
「今はもう俺くらいしかいないよ」
久しぶりにまじまじと見た彼の顔、確かにこれは女の子に好かれるだろう、と思った。
「部活の帰りだよな?」
僕は頷く。
「丁度いいや、乗せて行ってよ」
僕は鞄の底に隠してあるステップを自転車に取り付ける。こんなの見つかったら、言うまでもなくやばいんだけど、今日はもうどうでもいいやという気分だった。これは小学校時代からの愛用品だ。僕が自転車に跨ったまま、彼はステップに足をかけて僕の肩に手を回す。
「立ったままでいい?」
彼がそういう、僕は頷く。
「じゃあ行くよ」
「オーケー」
かなり重くなったペダルを漕ぐ。こんなの、何年ぶりだ? お互い、思い出すことが多過ぎたのか、暫く無言のまま走っていたのだけれど、それは話したくないからではなく、話す必要がないからだった。
とは言え、僕は彼に聞かなければいけないことがある。今日は彼の家に行くつもりだったくらいなんだから。ここ最近の出来事すべて、中心人物は彼なんだ。
「なあ」
「お?」
「久々の二人乗り、どう?」
「最高だわ、道端で瓶コーラとベビースター買おうぜ」
「今日は木曜、休みだよ」
道端ってのは小学校近くにある駄菓子屋のことだ。小学校時代、よく買い食いをして先生に見つかって怒られたものだ。今の時代、完全に田舎じゃないとこういう店ってのはないんだろうな。
不思議なんだが、どうして小学校時代の悪い行為ってのはすぐに見つかるものなんだろうか? 僕たちの笑い声があたりに響く。それが消えたところで、道端に着いた。定休日ですとシャッターに張り紙があるが、自動販売機は動いている。
「コーラで良いか?」
「……ああ、もちろん」
僕たちはもう、コーラがそんなに好きではなくなっているけれど、その時だけは昔を思い出す装置としてそれが必要だったんだ。タイムマシンはコーラ。青春じゃないか。
「コーラ飲むの久しぶりなんだよ」
「実は俺もだ」
缶を開けるプシュッって音と夏の日差し。昔の夏休みを思い出させる。今だって夏休みなんだ、何も変わらないはずなんだ。
「……智」
「ああ」
「智、誰か付き合っている人いるの?」
「誰だと思う?」
「高橋志穂」
「どうしてそう思う?」
「うちの部活で問題になっている。僕は部長だから、問題があれば、できればそれを解決したい。結局かき回すだけで何もできないかもしれない。でも、やるといったからには僕は、ちゃんと動きたいんだ」
智は目を細めて僕を見る。呆れと感心が混じったような奇妙な視線だった。
「思った通り、要は良い部長になれたわけだ。尊敬するよ、俺とは違う。全然違う」
皮肉は含まれていなかったと思う。僕たちは友達で、そんなことを思う筈がないってことが僕の頭にあったから。もしかしたら、智はそれに答える気が、最初からないのかもしれない。
「俺が瀬川皐月が好きなのは知っているか?」
彼は飲み干した缶を右手で握りつぶす。アルミ缶がグニャっと潰れた。何度もそれを繰り返すと、やがて缶が切れて手を切ることがある。小学校の帰りに買い食いして、そんなことを何度かやったことがある。あの時だって智と一緒だった。
「ああ」
「瀬川は良い女だ。中学校に入って、一番驚いた。何にって、俺自身に。俺自身にそういう感情があるなんて知らなかった。彼女に好きになって貰いたいって、心の底から思ったよ」
智の雰囲気が変わった。僕にもはっきりと分かった。
「でも、何度俺が何を言っても駄目だった。聞き出せたのは、好きな人がいるってことだけ。好きな人って何だ? どうして俺じゃない? 誰だと思う?」
「分からないし、分かるわけがない」
「そうか、俺もなんだ。まあ調査の最中さ。じゃあ、この話も知っているよな? 高橋志穂と上田里香が俺に告白してきたって話」
「ああ」
僕が知りたいのはその先だ。
「あれは四月か五月くらいだったかな。中二病ってのがあるけど、確かに中二ってのは何かが動き出すには最適な時期なのかも知れないな。……その時はちゃんと断った。だって俺は瀬川のことが好きなんだからね」
その時は、ね……。僕もコーラを全部飲んでしまったので、缶は潰さずにゴミ箱に入れた。
「でも、それからしばらくして、僕が心底参っているときにたまたま高橋志穂と会ったんだ。学校の帰りに。その時に俺が付き合おうかって言ったんだよ」
「……」
何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。彼が僕に嘘をつく理由はないと思うから、本当のことなんだろう。高橋の話とも、上田の話とも繋がる。
「でも、安心してくれよ。もう高橋とは別れたからさ」
「どうして?」
僕にはまるで経験値がないから、その理由がさっぱりわからない。
「どうしてかな。たぶん、今の状況が間に合わせだって、高橋に気が付かれたからじゃないかな……ま、そんなことはどうでもいいんだ。俺は要、君のことが羨ましくてたまらないんだ」
「隣の芝生が青いってよく言うだろう」
僕がそういうと彼は小さく笑った。理由を言うつもりはないみたいだった。
「もう帰ろう、暑くて死んじゃうよ」
話は終わってしまった。というか、彼が終わらせたんだ。僕は自転車に乗って、彼はさっきと同じように後ろに立つ。そこからは、僕らは何も話をせずに彼の家まで行った。家に帰って着替えると、スマートフォンが鳴った。電話で、知らない番号からだったけれど、出たら上田里香からだった。彼女は高橋に僕の番号を聞いたと言う。彼女は『今から学校に来れないかと』言う。
正直、今からまた自転車に乗っていくのは面倒すぎたが、身体の疲労よりも頭の疲労の方が大きかったみたいだ。急いでいったから十五分程度で学校に着いた。校門には上田と高橋がいた。二人ともジャージだったから、あの後ずっと話しをしていたってことなんだろうな。
「大崎君」
「大崎くん」
二人を見たとき、手短にした方がよさそうな雰囲気があったので早速本題に入るこ
とにした。まず僕は、今日智と会って、彼が話したことをしたことを伝え(もちろん瀬川に対する具体的なことは端折った)、その後高橋からことのあらましを確認した。次に上田が話をした。僕たちは誰かが話をしている間、ずっと黙っていてその人の話を一字一句逃さずに聞いていた。
そうすることがたぶん何よりも大事だと思っていた。上田が話し終わったところで、疲労感が場を包んだ。心地良い疲労だったけれど、できればあまり味わいたくはない疲労感だった。話が終わったので、僕たちは帰る準備をした。上田が、一緒に来てくれというから頷いた。なんと高橋は上田の自転車に乗ってきたとこのと。
もう誰もいないとはいえ、学校に二人乗りで来るとはいい度胸だ。もっとも、僕もさっきここから智を乗せたわけだけれども。
彼女たちは二人、話しながら行く。僕は黙ってそれを見ながらついていく。二人は仲がいいな……でも、それを見ていると、二人がこの前まで喧嘩状態だったのは何だったのかなって思う。
この道はもう何度も通っているけれど、三人で通るのは初めてだって気が付いた。そして、こうやって、ここを通ることも少なくなっていくんだろうなって思った。だって、問題は一応、解決をした訳だからね。
高橋の方が近かったため、先に彼女の家に行く。ここで帰ろうかと思ったけれど、来てくれと言ってきたのは上田だ。だから、上田は僕になにか言いたいことがあるんだろうって思った。
僕は自転車を降りて、彼女の歩調に合わせる。十分くらいだろうか、彼女の家に着いたらしい。こっちのほうは、今までほとんど来ることがなかったからよく知らない。高橋の家くらいだ、知っているのは。彼女は僕の方に歩いてくる。
「少し話してもいい?」
「もちろん」
断る理由はないし、それがあるから来たんだ。
「志穂も、最初は嬉しかったみたいだよ、でもね、三日で志穂の方から断ったって。三日だよ? その間に志穂は何かを見たんだよね。正直に言うけれど、前田君って結構、やばい人のような気がする」
高橋と上田は、僕が小学校自体どの程度智と仲が良かったのかを知らない。だからこそ、彼女は僕にそう言ったんだと思う。でも、僕にも否定できる要素はまるでなかった。さっき、彼と話をするまでだったらそんなことはなかっただろう。でも今は違う。僕も、上田の意見に同意する。
「僕も、智はちょっとおかしくなっていると思う。瀬川さんのことが好きすぎておかしくなっているみたいな印象を受けた。前は違った。僕と一緒に馬鹿なことばかりやっていた。でも、彼はそのときから、もしかしたら今みたいな傾向があったのかもしれない。僕に見せないだけで」
「前田君は確かに、瀬川さんが好きってのが暴走しすぎているみたいだね。他のことは結構どうでもいいって感じがする」
どうでもいい、という言い方に少し引っかかった。だって、状況を考えてみると、『智と付き合い始めて別れてしまった高橋のこと』だってそれに含まれるということになる。そんなつもりは全くないのかもしれないけれども、なんとなく。
「これからどうするの?」
「また仲の良いテニス部に戻るよ。ちゃんと謝ったよ、志穂には? 許されるとは思っていないから、今まで通りにはならないかも知れないけれどね。もう前田君のことはどうでもいいねって志穂とも話したんだ」
「僕はこの話題には触れないようにするよ」
上田は声を上げて笑った。
「いいよ、そこまで気を遣わなくても。普通でいてくれればそれでいい。あと、動いてくれてありがとう。前田君以外は、大崎君に感謝しているんじゃないかな。……じゃあね、また明日」
家に入る彼女の背中がドアの中に消えたあと、僕は一人、まだ日が残っている夕暮れの中、自転車を家に向かって走らせるた。僕の中にある感情の全てが解決したわけじゃない。でも、自転車を投げる気にはならなかった。
それよりも、もっと深く考えることがあったから。
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