五 図書室/詩/恋
その日、昼休みが始まった時、図書室に行くと言うと勉も一緒に行くと言いだした。そういえば朝、彼が何かの本を読んでいたことを思い出した。彼に何かを借りるのかと聞くと返すだけだ、と言う。
何の本かは聞かなかった。聞かれたくないと彼が思っている雰囲気が感じ取れたから。そういう意味では、彼は分かりやすい人間なのかもしれない。いや、どうだろうな。聞かれたくないと思い込ませているけれども、その実聞いて欲しいと思っているのかもしれない。中学生にありがちな感情だ。僕だってそうだ。
本音なんて学校で出したことがない。となると、本音がわかりにくい僕みたいな人間は、きっと付き合いづらいだろうな、という気がする。
僕たちの通っている中学校は、職員室と各学年のクラスがある本棟と、今から行く図書室がある特別棟に分かれている。本棟と特別棟は一階と二階とで繋がっていて、校舎の間には中庭がある。
中庭の中央に小さい池があって、そこには金魚だか鯉だかが住んでいる。昼休みになると、誰かが餌をあげているのを見ることがある。そのあたりはまあどこの中学校も同じだと思うけれど、ちょっと変わっているのは昇降口が二階にあるってことかな。僕たちのクラスの前。
で、僕たちは今二階の渡り廊下を通って、図書室に向かっている。中庭には何人か人がいたのが見えたけれど、それが誰かは分からなかった。図書室に着くと勉はさっさとカウンターに行ってしまった。
このあとサッカー部で次の試合に向けてのミーティングがあるとのことで、本を返し終わった彼は僕に挨拶して出て行ってしまった。僕は一人本を探すが、目当ての本は見つけられなかった。
カウンターで聞こうと思って、踵を返すと、閲覧用机に二人知っている女子がいた。去年同じクラスだった瀬川皐月と深川希望だ。今朝、昇降口で見た二人。僕との関わりってほとんど無くて、二、三度会話をした程度だけど、二人ともルックスが良いとクラスで時々話題に上がることがある二人だ。
二人は僕のことなんて何も気にせず、本を開いてそれについて小さい声で何かを話しているように見えた。横目で見た二人とも、確かに顔は整っている。が、美人っていったい何だろうか? どんな顔がその基準に達するんだ? まあそんなことはいい、僕はそういうのはあんまり好きじゃないってだけの話。しかし、これも自分を偽っているだけなのかもしれないな。
もしかしたらそうじゃないのかもしれないし。学校で秘密の会話ができる場所ってのは結構、限られていて、放課後に人が少なくなる特別棟の校舎裏や、皆が帰った後の自転車置き場、とか。あとは意外かもしれないけれど、ここ図書室もそれに該当すると思う。
いつもあまり人がいないから。現に今日だって、閲覧机には瀬川達の姿しか見えない。例え誰かが来たとしても、今日の僕のように、本を探す目的があってここに来るわけだから、基本、人の話なんて聞いている暇は無い。
……まあ瀬川たちのことはいいか。僕はカウンターに行き、目当ての本を訪ねてみる。もし、無いなら無いで仕方ない。買うか、市の図書館に行くか。でも教科書に載っているくらいのやつだからな。カウンターに座る図書委員の女の子が、隣に座る男子生徒に僕の求めている本のことを伝えると、さっき返されたばかりでまだここにあるとのこと。
図書カードに僕の名前を書いてもらい、本を借りた。カウンターにいた二人は、本の取り扱い方が僕とは次元の違う丁寧さだった。持って渡すときの持ち方だったり、裏表紙を開いてカードを取り出すしぐさだったり。彼らだって学生だ、もちそん制服を着ていたのだけれど、一瞬、本物の図書館にいるような気分になった。そういうのを見ると、僕も借りた本を丁寧に扱わなくては、という気になる。
だから大事に持って教室に戻っていると、僕の横を誰かが通り過ぎて追い抜いて、僕の前で止まった。その人はさっき図書室にいた瀬川皐月だった。彼女は僕を追いかけてきたのだろうか? まさか、なんのために?
「その本」
そう言って彼女は僕の借りた本を指す。
「ああ、読みたかった? 先に貸そうか?」
僕が借りた本だから、それを誰かに貸すことなんて良いことではないんだけれど、彼女が読みたいのならそうするしかないだろう。
「違うの、貸して欲しいんじゃなくて、それ私も好きなの。……本当よ」
本当、といった意味がよくわからなかったが、僕は何も聞かないことにした。というか、驚いて何も言えなかったという方が正しい。
「どれが好き?」
「頑是ない歌。もっとも、それしか知らないんだけどね」
「ちゃんと答えられた人初めて。私も良いと思うな。……じゃあね」
それだけ話をすると、彼女は行ってしまった。図書室にいる深川のところに戻ったんだろう。女の子同士の友情、僕には理解できそうにもない。教室に戻ると、勉はミーティングを終えたらしく、自分の机でぼんやりとしていたが、僕が戻ったことがわかると顔を明るくして僕に微笑んだ。
「何を借りたの?」
「中原中也って人の詩集。本当は買いたいんだけどね」
彼はそれを見てなんとも言えない顔をした。去年国語で習った、『苦虫を噛みつぶしたような』顔ってのはきっとこういう感じだろう。
「どうかしたの?」
僕が聞くと、彼はすぐにいつもの顔に戻った。さっきまでのことなんて何もなかったみたいに。
「いや、今日は十日だろ? 俺が当てられる日だなと今になって思ったんだ。こういう日だってのに予習も何もしてないよ」
彼はいつもと変わらない調子でそう言ったけれど、そこには嘘が含まれているだろうと思った。根拠はないけれど、彼の声がいつもより固くなっていたってのがその理由。ここ二か月、学校ではほとんど一緒にいるんだ。いくら彼に良い印象を持っていない僕でもそれくらいは気が付く。
何かを聞くべきか迷ったけれど、ちょうどチャイムが鳴ってしまった。直ぐに先生が来るだろう。どうも僕はこういう時タイミングが悪い気がする。僕は彼に『本当はどうしたんだ? この本になにかあるのか?』って聞きたかったんだ。僕は、彼のことがあまり好きじゃないと思いこんでいたけれど、実はそんなことはないのかもしれなくて、実は友達だと思っているのかもしれない。
授業が始まるから、出しっぱなしだった本を鞄にしまおうとしたとき、背表紙に挟まれている図書カードが落ちた。持ってきているときに落ちなくて良かった。カードを拾い上げて見ると、一番下は【大崎 要】と僕の名前、さっき書いてもらったやつだ。その上には、【佐藤 勉】と書いてある。彼はこの本を今日返したってわけか。返却日も今日だ。
でもどうして何も言わなかったんだ? 同じ本を読んだってだけじゃないか。カードをもとに戻そうと思ったとき、いくつか上にある【瀬川 皐月】の名を見つけた。彼女の名前は何個かあった。本当に好きなんだな。……ん? 同じ本を読むってことは、もしかしたら勉は瀬川のことが好きなのかもしれないな。気を引くために同じ本を読んだってことは考えられないことじゃない。
特に、瀬川みたいに何を考えているのかよく分からない人間は、共通の話題をつくることにも苦労しそうだし。今日話した印象はそんな感じだった。カードをはさんで本をしまう。そんなことがずっと頭に浮かんでいたから、午後の授業はあまり頭に入らなかった。小学生は気になる相手には意地悪をしてしまう。確かにそういう例は何度か見てきた。でも中学生は? どうするんだろう。
勉の心配通り、先生は勉を指して問題の答えを聞いている。勉はあんなことを言っていたけれど、何の問題もなく答えている。彼は(僕がどう思うかは別として)悪い奴じゃない。勉強が出来ないわけじゃない。部活に関しては分からないが、楽しんでいるくらいだからうまくやっているんだろう。彼女がいるようにも見えない。今度聞いてみるか。一体、どうすれば恋人ができるのかなぁ。僕がそれがほしいとかではなくて、単純な疑問として、ね。
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