四   制服/挨拶/返事

 学校に近づいていくと、制服を着た男女で溢れてくる。当たり前の話だ。知らない顔だったり、知った顔だったりと交互に。


 誰か一人くらいは、僕と同じようなことを考えたりする人はいるんだろうか。もしそうだとしたら、その人とは友人になれるような気がするな。


 人の波をうまくすり抜けて学校に到着。自転車で二十分程度っていうのは細かいことを考えるのには丁度いいのかもしれないけれど、毎日それをやっているはずなのに、考えることはずっと無くならない。どういうわけか、考えることは多いんだな。


 自転車を駐輪場に止める。田舎の学校だけあって、自転車通学が多い。だけど、朝、ここで知り合いに会うことはない。不思議なもんだ。ヘルメットを取って、下駄箱で靴を履き替えて教室に行く。


 思春期とかいう糞面倒な時期を通過中の僕たちは、どういうわけか『異性になんてまるで興味なんてありません』っていう顔をしなければいけない。


 どうしてかはわからないけれど、そうなっている。教室に入って挨拶をするときだって、そっけなく対応をする。でもそんなの言うまでも無く馬鹿な行為だろう? かっこいいとでも思ってんのか?


 うんざりした僕はもうそんなことをやめる決意を、今した。

「おはよう、大崎くん」


 同じソフトテニス部の副部長である高橋志穂だ。朝会えばこうやって挨拶してくれる。今までなら『うん』みたいな意味不明な挨拶をしていたが、誰にどう思われようと変えていく。だって僕の人生だぜ? 他人がなんだ?


「おはよう、高橋さん。今日もよろしく」

 なんだ、やってみれば簡単じゃないか。もっと早くからこうすれば良かったんだ。


 昨日まで馬鹿でしかなかったな。僕の挨拶を聞いて高橋は微笑んで頷いた。僕はとても満足して自分の席に向かう。


「よう、要。今日は早いじゃないか」

 席に着くと、声の大きい佐藤勉が挨拶をしてくる。机に向かって本を読んでいたから気が付かないと思ったが、そんなことはなかった。

「おはよう勉。そうかな? いつもと同じくらいだと思ったけど」


 正直なことを言うと、僕はあまり勉のことが好きではないんだ。昔から知っているし、今年、久しぶりに同じクラスになったわけだけど、友達かと言われればきっと答えに迷うだろうな。


 彼のことがあまり好きじゃないってのは、ちゃんとした理由があって、例えば隣のクラスと合同で体育の授業があったりすると、その時、僕より仲の良い人がいると僕の方には一切近寄らないんだよ。


 そういう浅はかな感じが目に付くと結構イライラするんだ。そういう人だからって、彼が百パーセント悪いかというとそんなことはなく、僕にも問題がある。


 僕は学校以外のどこかで誰かと会ったりすると、それがどんな人でも異様にテンションが上がってしまうってことなんだ。僕とはあまり親しくない相手がそれを見たら、きっと僕のことをとても親しい友達だとでも思ってしまうんじゃないかって気がするんだ。


 勉にも去年何度かそれをやってしまったことがある。でもそれ自体はそんなに問題ってもわけでもなくて、一番の問題は『誰かに見せるための自分』を演じているってことなんだ。


 誰かと会えて嬉しいかもしれないけれど、本当に、そんなに嬉しいことなのか? そんなことはないだろうよ。そういうことも少しづつ直していかないといけないよな。


 まあいいや、勉の話だ。彼との付き合い自体は長くて、小学校の時に何度か同じクラスだったことがある。当時、僕は前田智という人間と仲が良く、彼とはずっと同じクラスで馬鹿やっていた。


 勉とはこれまでに二、三回同じクラスになったことがあったと思うんだけれど、その時も特別仲良くしたような記憶はないんだ。時々話をするくらい。


 だから今年、彼と同じクラスになって、教室で会った時には心底驚いたもんだ。まるで昔からの親友みたいな感じで話しかけてくるからさ。そういうことがあったから、僕はこいつのことがあんまり好きじゃないんだ。


 クラスに知り合いがいなくてもいいじゃないか、別に一人だって良いだろうよ。一人の何がいけないってんだ。


 でも、そんなことは絶対に口に出さない。たぶん僕は基本的に八方美人なんだろうな。自転車投げるときと同じだ。そんな自分にまた、心底ウンザリする。


 勉は昨日の部活がどうたらこうたら、今度の数学の小テストがなんたらかんたらと延々と話を続けている。僕は一応話を聞いて相槌を打ちつつ、バッグから教科書やノートを机にしまう。


 普段はあんまり勉強なんてしないから、教科書を持って帰ることはないんだけれど、国語の教科書に乗っている詩が気に入っていて、家でも読みたくなることがあるから時々、こうやって持って帰っている。


 でも教科書には少ししか載ってなかったから、後で図書室にでも行って借りるかな。勉はさっきと変わらず何がどうした、何がこうしたと言い続けている。


 彼はどこまで本気で僕に話をしているんだろう。ふとそんなことを思ってしまったから、僕は彼の話がひと段落したところで口を挟んでみる。


 いつもはそんなことはしない。ただ彼の話を聞いているだけ。彼は、自分のことになるととにかく良く話をするんだ。


「ねえ勉、ちょっと聞いていいかな?」

 僕がそう言うと、彼は一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐに嬉しそうに言った。

「ああいいよ、どうした改まって?」


 彼は感情がすぐに表情に出る。僕が普段、彼に何かを聞くことがないからそう言われて不思議に思ったんじゃないかな。

「勉って確かサッカー部だったよな?」


 僕の頼りない記憶ではそうだったはず。放課後、テニスコートから見えるサッカー部の中に彼の姿を見たような記憶がある。


「ああそうだよ。入学したとき、サッカー部が一番モテるって話を先輩から聞いたんだ。でも入って分かったけど、全然駄目だね。モテる気配なんて微塵もないよ。むしろ、小学校の頃よりも俺の人気はなくなっているんじゃないかな」

「小学校の時、そんなに人気だったのか?」


 僕は彼とは当時、少し話をする程度で、多分一緒に遊んだことさえ数えるほどだったはず。だから、そのときの彼がどんな具合だったのかよく覚えていない。


 僕がそう聞くと彼は盛大な苦笑いをした。苦笑いにも、大笑いとか大泣きみたいな大がつくことがあるんだとその時初めて知った。体験は本よりよっぽど実感できる。


「それ言っちゃう? ……もともとなかったけどね。多少はあったんだぜ、俺にも……。部活の話に戻るけど、結局、部活だからモテるってのは幻想で、俺にそんなことを言った先輩や、要と仲が良かった前田智みたいな、もともとある程度、見た目がカッコいい男じゃないと駄目なんだろう。そんな気がするよ。というか、部活でモテるって何だろうな? 冷静に考えれば、そんなことおかしいってわかるよな。俺は気が付くのが遅すぎたな。中学校に入って、クラスが増えて浮かれてたのかもしれない。女の子も増えたし」


 僕らの通っていた小学校は学年二クラスしかなかった。とはいえ、勉と二回か三回同じクラスというのは少なすぎるし、さっき勉が言った前田智とずっと同じクラスってのはどうも不自然な気がした。クラス替えは適当だったのかな。


「その事実に気が付くのに一年以上かかったってわけだ」

 言った後にちょっと皮肉っぽいかなとは思ったが、勉は特に気にする素振りは見せなかった。


「うん。あまりにも長かったよ。俺は心底、馬鹿なのかも知れない」

 そう言ってため息をつく彼。そのときふと、彼はそんなに悪い奴じゃ無いのかもしれないと思った。理由は、彼が言った一連の中に、本音が含まれていたような気がしたから。いつもとは違う表情に、それが表れていたような。


「気が付いてよかったじゃないか。それに、部活自体は楽しいんだろう?」

 彼は僕の目を見てからそらして、教室の出入り口に目をやった。僕もそこを見たら、ちょうど去年同じクラスだった瀬川皐月と深川希望が通ったところだった。


 僕たちのクラスは昇降口から一番近くにあることもあって、この時間常に誰かが通るのだ。瀬川皐月と目が合ったような気がしたけれど、まあ気のせいだろう。いったい誰が、僕たちに注目するんだって話。


「そうだな。うん、そうだ。面倒なことも多いけれど、楽しいは楽しいよ。少なくとも授業よりは良いね。でも、給食よりは下だ」


 彼はそう言って笑った。僕が視線を戻すと、彼はちゃんと僕を見ていた。瀬川達の方を見たのはただの偶然だったのだろう。


「なんにせよ、学校に楽しみがあって羨ましいよ」

 正直にそう思った。僕は別に楽しいことなんてないからな。


 他に行くべきところがないから来ているだけだ。勉はそれを聞いて不思議そうな顔をしたが、深く追求することはしなかった。


「しかし、要が俺に何かを聞くなんて珍しいな」

「そうかな……。なんか今朝さ、どうしてかわかんないんだけど、田んぼの緑を見てたら、人生について少し考えちゃってね。勉強とか部活とか将来のこととか。勉は何か楽しみにしていることがあるのかと思って聞いてみたくなったってわけ」


 勉はきょとんとした表情を僕に向けた。

「……要はいつも、そんなことを考えているのか?」


「まさか、今日たまたまさ。思い付きに近いよ」

「だとしてもだ、俺なんて……」


 勉が言いかけたところでガラッと前の扉が開き、担任の工藤先生が入ってくる。彼は去年この学校に来た新人の先生だ。数学を担当している。

「おはよう、静かに! 出席とるよ」


 彼がクラスを受け持つのは僕たちが初めてだ。でも、生徒は誰も、担任が新人かどうかなんて気にしていない。


 もしかしたら、誰かの親はそうじゃないのかもしれないけれど、僕たちにとっては、担任なんて親しみやすいかそうじゃないかくらいしか気にするものがないんだ。


 幸い、僕が中学生になってからはまだそんな人とは出会っていないけれど、時々とても偉そうにしている教師がいる。彼らもたぶん、新人の時は謙虚で、誰かの話もきちんと聞いたんだと思うけれど、どのタイミングで『自分は偉い』という思い込みに変わってしまうんだろうか?


 自分は『教師』で、『生徒の人生』を左右できる(はず)だから、神様か何かだと思ってしまうのだろうか? 人間ってのは不思議だ、慣れが偉いに昇華することだってあるんだから。


 さっきまでは騒がしかった教室も急に静かになる。他のクラスだってそう。工藤先生が生徒を呼ぶ声だけが響く教室で、自分の名前が呼ばれるまでの間、僕はそんなことを考えていた。


「大崎要」

「はい」


 返事だけは良いんだ、僕は。自慢じゃないけれどね。でも、それって別に良いことって訳でもないよな。もちろん、悪くもないけれどさ。

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