九   試合/友情/決心

 コートの向こうから、試合を応援している声援と、審判の鋭い叫び、ボールがラケットにに当たる音……それらが混ざって僕の耳に届くのだけれど、どうも現実感がまるでない。


 夏の日差しのせいか、もしくは僕の意識が、この暑さでぼんやりしているからか。今の時間は準決勝か、決勝か。


 どちらにせよ、僕たちには関係の無いことだ。言うまでも無いことだけれど僕たちは試合に負けて、コートの脇の木陰で三年生の引退セレモニーみたいなものをやっている。


 この運動公園には、どこの学校も各々そういう場所を持っている。僕たちは去年もここでやった。その時は僕にとって完全に他人事だったけれど、今は半分くらい当事者で、来年は全部が僕たちの為に行われるだろう。


 その時、僕は何を思うんだろうな。四月以降、ろくに部活に出てこなかった三年生の先輩方も、神妙な顔をして最後の挨拶をしている。僕はそれを聞くともなく聞いていた。


「大崎」

 件の先輩の話が終わり、僕に声をかけてくる。

「はい」


 受験に専念するという理由で四月にいなくなってしまった人たち。そんな感じだったから、特別な感情があるわけじゃない。結局、彼らとは一年しか一緒にやっていないからね。だけど。


「いろいろと迷惑かけてすまなかったね。結局、僕たちはまた一回戦負けだ。大崎たちは頑張ってくれ」

 彼は僕に手を差し出す。映画とか、ドラマみたいに最後に握手をするあれだ。

「わかりました」


 先輩の手を握り返す。進路のためだけにやっていると思っていたけれど、握った手の力強さで、それは僕の勘違いだと悟った。彼は僕に一礼して去っていく。


 女子の方は打って変わって賑やかで、泣いている三年生と二年、そして拍手をする一年。


 もちろん、高橋もそこに参加している。六月の終わりに、一緒に帰って以来、何度か一緒に帰っている。


 彼女は、何かのきっかけで、今まで仲が良かった親友とトラブルの最中らしい。その仲の良い親友ってのが、女子たちの中心人物だから、彼女は部内で孤立しているってのが現状。


 僕がその場面を直接見たわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけれど、確かに言われてみれば、春先に比べると曰く言い難いよそよそしさが練習中にも満ちている……気がする。


 セレモニーが終わった後、僕たちは何をどうすればいいのかを話し合いながら帰っていた。いつものことだけれど、明確な答えは出ない。


 さっきまでの引退式の余韻はどこへやら、僕たちは試合場所からずっと、二人で話をしながら自転車に乗っている。


 最初の話は高橋のこと。現状変わったのか、それとも今まで通りなのか。一旦、その話が終わると、その後は学校のことだったり、プライベートのことも少しだけ。


 僕たちは適当な理由を言って、皆より少し遅い時間に会場を出ることにした。変に纏まっている女子連中の中に高橋を入れる気にはならなかった。朝は三年生がいたから、多少はマシだったと彼女は言った。


 こんなに長く、そして遠くから二人で帰っていると、まるで付き合っているみたいな気がしてくるけれど、僕たちはそういうのとは程遠いんだ。彼女は僕に恋愛感情をもっていないから。


 どうしてそう思うかって? そういう雰囲気を感じないからさ。僕だってそうだ。


 もし、男女間での友情が成立するか? という質問を今投げかけられたら、成立すると答えるだろうな。おまけに部活の連中も僕たちの関係についてなにも思っていない。


 実際に何人かにそれとなく聞いてみたから間違いない。でも、それって残念なことなのだろうか?


 試合の行われる運動公園は市の外れにあり、僕たちの学校から大体三十分くらい走る。そこから家に帰るわけだから、いつもの倍以上の時間がかかる。


 それに僕は一度高橋の家まで行って、そこからさらに帰るわけで、優に一時間以上は走るんだけど、今日は高橋のテンションがいつもと違っていて、試合のプレッシャーで疲れていたにも関わらずそのことをまるで感じさせなかった。元気になったと思ったら沈んだりと、感情の起伏が激しすぎるような気がした。


「来年は僕たちが引退だけど……」

「私も、三年生と一緒に今日で引退しようかな」


 彼女は笑って言ったけれど、そこには本気の人特有の雰囲気が漂っていた。他人から見ればたいしたことではないって思うのかもしれないけれど、彼女にとっては、多分部活をやめるやめないって結構大きいことだと思うんだよな。


 僕は彼女の方を見て自転車を走らせていたから電柱にぶつかりそうになった。いや、実際にぶつかるべきだったんだろうな。


 良く漫画とかで頭をぶつけると頭が良くなるってシーンがあるけれど、僕もそれをやったら今よりもっと頭の回転が速くなったりするんじゃないかな。


 痛そうだからやる気はないけれどさ。それに、今の高橋に新しい余計な心配を持ってほしくなかったってのもある。


「練習とかテニスそのものが嫌いでやめるんならいいと思う。でも、人間関係でやめてもいいのかなっていう気がするんだ。いや、そうでもないか。勝手なこと言ってごめん」

「ううん、私も……私もわかんないんだ。本当にやめたいのかって言われるとそうじゃないのかもしれないし」


 僕はこの件に関してはずっと傍観者で、彼女の言葉を聞く立場でいた。それは彼女が、自分の中で今起きている状況を飲み込むのを手伝うことが大事だと、僕自身が考えていたっていうのが大きいし、彼女もそういうことを言っていた。


 しかし、どうやらもうそんなことを言っている状況じゃなくなっている。それに、今の立場だと僕は口だけになってしまう。それだけじゃ駄目だよな。そんな格好の悪い人間にはなりたくないんだ。


「明日、上田里香と話をしてみるよ」

 上田里香っていうのは高橋の友人で、今彼女が仲違いしているその人。春休みくらいまでは、高橋と上田は仲良くやっていた。僕たちが二年になって、一年が入ってきたときもそうだった。その後……六月か七月くらいからか。高橋は部の連中とは必要以上の会話をしなくなっていた。


 上田はというと、相変わらず皆と仲良くやっている。それをなんとかしたいと思っていた僕。でも待っているだけじゃ駄目なんだよな。


「自分でなんとかしたいって思ってたから、何も言ってこなかったけど」

 そう言って彼女はまた笑ったんだけれど、さっきまでの元気はそこから見ることはできなかった。むしろ疲労感が見て取れた。そりゃヘビーだよな。良く毎日来ているよ。

「……なんとかするよ。動いてみる」


 僕が決心してそう言うと、彼女は頷いた。彼女と一緒に彼女の家まで行って、一人帰っている途中、もし僕が智だったら、もっとうまく解決できたのか、という疑問がわいてきた。


 どうして智がここで出てきたのか? この間久しぶりに彼と話をしたときの印象が僕の中に残っていたからか。


 自分が何をやっているのか全く分からなくなってきて、久しぶりに自転車を投げたくなった。奇しくもいつもの公園の近くだ。もうすぐ夕暮れも終わるから人はいない。投げるには打ってつけのタイミング。


 自転車を降りて公園に入る。スナイパーが照準を合わせるように目を細める。でも、やめた。それをしたところで何も解決しないって思ったから。それに、僕はテニスのユニフォームを着ていた。


 これ結構目立つよな。学校に寄らなかったから、ラケットもまだ持っているし。でも、一度行方不明になった気持ちは収まらず、しかたなく自転車を押して帰ることにした。


 乗った方が絶対に早いし楽だけれど、今日は少し頭を冷やす必要があると思った。


 あと、自転車押していれば別にヘルメットをかぶる必要も無いしね。頭が空冷なのかどうかは知らないが、少なくとも何もない方が冷えるだろう。そう思った。

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