十 テニスコート/会話/表情
次の日。約束の日だ。僕は今日大変なことをするんだ。気合を入れる。とは言えなにをするっていうのでもないんだけれど。
来年の夏は、昨日見た三年生のように引退して勉強をしているだろうが、僕たちが今からすることは次の試合の為に練習しなければならないってこと。だけど、今日はちょっと違うんだ。
テニスコートはグラウンドの一番端、校舎から見た一番奥にある。コートの外は道路になっていて、時々(本当に時々だ。だって田舎だから)車が通るから、ボールをそっちに飛ばさないように、顧問からキツく言われる。
それがこの部活に入った新入生が、一番最初に教わること。出入り口から入るとコートは三面あって、男子は一番右端にある出入り口に近いコートを使う。
下座ってことなのかな。僕が一年のころから万年一回戦負けが僕たち男子、文句なんて言えるはずが無い。
先輩達が一度、冗談めかして『弱い男子はさっさと帰れってことなのかもしれないな』って言っていたが、あながち冗談ではないのがこの話の本当に面白いところだ。真ん中と左は女子が使っている。
人数比が違うっていうのもあるけれど、それでもやっぱり強さ、なんだろうな。少なくとも女子は一回戦負けなんてまず無いからね。でも、真相は案外、ただじゃんけんで決めたから、とかそんなことかもしれない。
誰も本当のことを確かめないから、噂だけが一人歩きするってことは、学校生活では良くあるからね。僕が今から解決させようとしていることだって、きっとそういう面がある筈なんだよな。
というわけで、僕はその人物である上田里香と話をしたいんだけれど、どうもタイミングがね。僕が理由もなく端のコートに行って『ちょっといいかな?』って呼び出すわけにはいかない。
かといって、ボールが偶然飛んでいくってこともない。ないから偶然って言うんだな、改めて実感した。ちらりとコートに目をやると、やっぱり高橋はいない。昨日夜、僕のスマートフォンに今日は休むと連絡が来た。
もちろん、体調が悪いってことはなくて、僕が上田と話をするからってのが理由。だから今日は、なんとしてもそれをやらなければならない。
僕も上田里香の連絡先を知っていればよかったのだが、そんなに気の利いた人間だったら、間違いなく今とは別の人生を歩んでいただろうな。
どうしようかと迷いながら練習していたが、僕が水を飲もうとコートの外に出たとき、上田も同じタイミングでコートの外に出てきた。
まるで彼女も、僕のことを見ていたかのような。僕は部室のドアを開けて、彼女が通るのを待つ。彼女は僕に目もくれないが、僕が「上田さん」と彼女に声をかけると、僕の方を見た。
その目は、『こんな人は初めて見る』といったような目つきだった。少なくとも一年以上、僕たちは同じ部活だったんだがな。
「ちょっといいかな? 話したいことがあるんだ」
僕が言った後、彼女は頷いた。頬には汗が伝っていて、今日はまだ、そんなに暑いというわけでは無いから、僕が声をかけるのをを待っていたような印象を受けた。そういうときはきっと緊張する。少なくとも、僕はそうだ。
顔を上げた彼女はもうさっきまでとは表情が変わっていて、話をする気になってるように見えた。彼女は勘が良いのかもしれない。そういう人だからこそ、高橋の何かが、きっと気に入らないのだろう。上田が部室に入る。僕はドアを開きっぱなしにすることにした。今の時間、誰も入ってなんてこないだろうから。
「大崎君……なに? 大体分かるけれどね、理由は」
彼女のことを僕が呼ぶ理由は一つしかない。上田もそれは百も承知だろうな。彼女は、僕と高橋の今の関係だってきっと気が付いているだろうから。
「ちょっと待ってもらえる?」
僕は自分のバッグに入れっぱなしにしていた水筒から水を飲む。傾けたときに氷の音がして、蒸した部室は多少涼しげな空気になる。部室はコートからフェンスを挟んだところにあるけれど、見えないように気をつけて少しだけ窓を開けた。
練習している男女が見えるが、誰もこちらに気が付いている様子は無かった。とはいえ、あんまり遅くなるわけにはいかないから、さっさと本題に入らなければならない。というわけで直球、最短距離を走る。
「呼んだのは他でもなくて、高橋さん……高橋志穂さんとのことなんだ」
「そうだと思った。大崎君が私に話をすることなんてそれしかないよね」
「そうかな? 実は、僕上田さんが好きだって、そう言うかもしれないじゃないか」
はっきりって、冗談なんて言っている場合では無いのだけれど、そういうくだらないことを言わないわけにはいかなかった。
だって話が本題になるにつれて、僕の緊張はとても高まっていたから。さっきまでの余裕はどこへ行ったのだろうか? 帰ってきてくれよ、頼むから。
「どうしたの? 大崎君がそんなこと言うなんて! まるで別の人みたい」
彼女は、僕がそういうと大きい声で笑った。こんなにおかしいことは無い、そんな感じだった。
「本当の僕はこんな感じなんだ。学校では猫かぶっているだけさ」
「本当? じゃあ、今だけ私だけに本当の大崎君を見せてよ。そうしたら、何でも話しするよ」
「そうは言っても、一体どう本当の僕を見せるんだ?」
「そうね……、じゃあ、今まで誰にも言ったことない、大崎君ならではのエピソードを教えてよ」
そんなの一つしかないじゃないか。
「僕は一年の終わりから、二年の初めにかけて矢鱈と苛々していた。もう、信じられないくらい。で、部活が終わった後、帰り一人で誰もいない公園で自転車を放り投げていた。一度や二度じゃない、何度もね」
「大崎君、あんまりストレス解消が上手じゃなさそうだもんね。そういうことをしてもおかしくなさそうだよ」
そう言って上田は笑った。今度はさっきと全然違って人なつっこい笑顔で。この笑顔を振りまいているのであれば、確かに部で人気者になれるだろうなと、この場にそぐわない見当違いのことを思った。でも、本当にそんな笑顔だった。
「今はもうそんなことはしないけれどね」
「どうして?」
「多分、多少なりとも成長したってことじゃないかな」
「ふーん」
上田は僕の答えに不満そうな表情を浮かべた。彼女は額の上に汗をかいていて、タオルでも渡そうと思ったけれど彼女は袖で拭った。今考えることじゃないけれど、そういう仕草って良いよな。絵になる。
「水分を取った方が良い」
僕が言うと、彼女は自分のバッグから水筒を取り出した。
「それで、話ってなにかしら? って、聞くまでもなくて、志穂のことでしょう? 彼女のこと、大崎君はどう思うの」
「どうもこうもなくて、同じ部活の人」
「それだけ? 実は好き、とかじゃなくて?」
「また本音を言わせてもらうけど、僕は好きっていうことが、よく分からないんだよ。本当に分からない」
「君島さん」
上田が言った名前は、今年引退した三年生の女子の名前だった。君島京子副部長。
「君島さんがどうかした?」
「大崎君、君島さんのことが好きなんだとばかり思っていた」
そうなのか? 僕は周りからそう見られていたってことなのか。
「違うと思う」
「……この話はまた今度ね。じゃあ今大崎君が動いているのは、純粋になんとかしたいって思いだけってこと?」
「そうだと思う」
そうとしか言えないよな。
「……」
上田はまた水を飲む。その間だけ純粋に会話が止まる。
「志穂はさ、前田君と付き合っているんだよ。知っていた?」
「前田って前田智?」
他に誰がいるんだと言わんばかりの顔を上田はした。彼女はクルクルと表情が変わるな。
「そう。みんなに大人気の前田智君。私も彼のこと好きなのに、志穂は抜け駆けしちゃったの。それはやめようねって約束したのに、ね」
「本当に好きなら、それは仕方ないんじゃないのか?」
「それを『好きって感情』が理解できない人が言う?」
確かに。彼女の言うとおりだ。僕は何も言い返せなくなってしまった。
「ごめん、今のは言い過ぎた」
上田は申し訳なさそうだ。
「いや、本当のことだから」
僕はそういったけれど、変な空気になってしまった。残念ながら、今のこの空気を変えるだけのスキルは持ち合わせていない。
「前田君、本当は瀬川さんのことが好きなのよ」
「ちょっと待ってくれ、智は瀬川が好きなのに、高橋さんとつきあっているってこと? そう言うのはありなの?」
「まあ、なしじゃないんでしょうね」
僕は頭が混乱してきた。登場人物が増えすぎだ。いや、そんなことはない。どう数えても数人しかいない。だから数の問題じゃないんだ。
「でも本当にそうなのか、分からない」
「そうって?」
「前田君と志穂がそういう関係なのかってことが」
「確証はないけど、疑惑はあるんだ」
「そういうことになるわね、だから、私もきちんと確かめるわよ。終わったら志穂の家行ってみる」
「分かった、お願い」
「一緒に来てよ。志穂に会う前まででいいから」
僕は頷いた。それを確認した上田はさっさと部室を出て行った。確かに、ちょっと休憩ってレベルの時間経過ではなくなっている。僕は水筒を仕舞って、窓を閉めて鍵をかけた。
閉めるとき、練習に参加する上田の姿が見えた。こうやって見ると、いくら恋敵だといえど、彼女が高橋にそんな態度を取るような人間には見えなかった。
でもこれこそまさに、この窓からしか見ていない僕の様に、一方の面でしか見ていないってことなのかもしれない。
僕は高橋の顔を思い浮かべてみた。彼女だって、そういうことをしそうには、とても思えなかった。
部室のドアを閉めて練習に戻る。コートに入ると、男子全員が『何やってたんだ?』という表情で僕を見たけれど、直ぐにその顔は変わってしまった。戸惑っているような顔に。
僕はそんなに恐ろしい顔をしていたのだろうか? 僕は単純に、考えるべきことが多すぎるとしか思っていなかったのだが。
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