十一  制汗剤/青春漫画/職員玄関

 昼に練習が終わり、皆が帰っていくのを見ている。ついこの間、同じようなシチュエーションがあった。そのときとは状況がだいぶ違う。


 自転車置き場にはしっかりとした屋根があって、夏の日差しもここまでは届かないようになっているが、快適かと言われると全くそんなことはない。気温が高すぎるから。夏休みとは言え、こんな状況で練習させて意味あるのかな?


「お待たせ、帰りながら話そう」

 上田がやってきた。爽やかな制汗剤の匂いがした。僕もそういうの、多少は気にした方がいいんだろうな。彼女が自転車に乗って学校を出たので、僕も追いかけることにした。


 最初に思ったのは、彼女はずいぶん高橋と自転車の乗り方が違うんだなってことだった。そんなのは誰だって同じようになると思っていたけれど、一人一人違っているんだな。


 僕にもそう言うのがあるのだろうか? 自転車に乗るべくして生まれたような美しいフォームを持った人間ってのが、僕ら中学生の中にもいるのかな? それを見たら僕も、美しいと思うかな?


 彼女はずんずんと先に行ってしまうから、僕も必死になって追いかける。確か上田は高橋と同じ小学校だったと思うから、方向的には一緒の筈なんだけれど如何せん田舎だからな。


 とにかく広いんだ。途中、自動販売機が並んだ店の前で上田は止まったので、僕も降りてスポーツドリンクを買う。気分的にはブラックコーヒーだったけど、今はとてもじゃないが飲む気になれない。


「ありがとう、話した後ずっと考えていたんだけれど、大崎君って親切だよね。その良さは見た目だけじゃ分からないってのが残念だね」

「そうかもしれないけど、求めていないものだから、僕にとっては意味のないものなんだろうね」


 上田は微笑んで、僕から目をそらして今走ってきた道を眺めた。そこに何かがあって、誰かがいるような眼差しだった。僕には何も見えない。


「私と志穂は前田君に好きだって言いに行ったことがあるの」

 そんな青春漫画みたいなことってリアルにあるのことなのか。心底感心した。

「五月くらいだったかな。その時の返事は、『俺は瀬川皐月のことが好きだから、誰とも付き合う気はないんだ』っていって断られたの」


 小学校の時、僕は智と『誰々が好き云々』なんて話は一切したことがなかった。それは当時の僕たちがガキだったってこともあるかもしれないけれど、もしかしたら智はそういうことだって僕と、話をしたかったのかもしれないと、その話を聞いていて思ってしまった。僕と彼は友人だったはずだ。そうだろ?


「懐かしい。ほんの二か月前のことなのにね。どんなことだって、今じゃないことって懐かしくなっちゃうんだね」

「それで? もちろん続きがあるんだよね」


 僕はペットボトルのキャップを開ける。スマートフォンが震えたような気がしたが、今この時間にポケットから取り出すわけにはいかない。

「……それがよくわからないの。ただ、私の友達が、前田君と志穂が付き合い始めたって言っていたから。それで私、頭にきちゃったんだろうな。だから確かめることができなかった」


 どうしてそれを確かめなかったんだ? と聞くわけにはいかなかった。彼女は、彼女なりの立場があってそうしたんだろうと思ってしまったから。僕だって同じ状況だったとしたら……どうかな。そこまで考えられるだろうか。


「……でも、大人げなかったね。私、どうしても感情優先って言うか、そういうときに一番嫌な想像を自分で選択しちゃうんだよね。だから……」

「……」


 結局真相は藪の中、か。あと僕に出来ることは智と話をするってことだけだよね。今出てきた登場人物は高橋、上田、智しかいないんだから。


「分かった。話してくれてありがとう」

「どうするの? 私を軽蔑する?」


「そんなことはしないよ。人生ってのは大変だなってことを思っただけさ」

「……お爺ちゃんみたい」


 そう言って上田は笑った。部室で見たときからは想像も出来ないような顔に変わっていた。もちろん良い方に。

「実は八十六歳なのさ」

「……面白くない。ありがとう、このまま志穂の家行ってくる」


 僕は頷いて、彼女の自転車が見えなくなるまでそこに立っていた。スマートフォンを確認するとやはり高橋からだった。僕が何かを言うわけにはいかないから、『話は出来た。今、上田さんが高橋さんの家に向かっている』とだけ返信しておいた。そうだ上田の連絡先、聞いておくべきだったな。明日聞くしかないか……。


 僕は自転車の向きを変えて智の家に行く決意をした。スタンドを仕舞うと、僕は理由のわからない怒りじみたものが心の底に浮かんできていることに気が付いた。今までの、どの感情にも当てはまらないそれ。


 ……この思いは、認めたくないことだけれど、僕が智に感じる嫉妬なのかもしれない。正直なところ、僕は高橋志穂に恋愛感情を持ったことはなかった。上田に言ったことは本当だ。君島京子に対してもそう。純粋な友情、もしくは尊敬。それでしかなかったはずだ。


 でも、どういうわけか今、僕はものすごく苛ついている。自転車を投げていた時と同じ感情だ。この苛つきは何だ? どれが本当の僕の感情なんだ。わからないし、わかりたくさえもない。このまま智と会ったら、僕は何を言うか分かったもんじゃない。でも、今日智に会わないわけにはいかないんだ。


 少し考えた末に、僕は一度学校に行くことにした。行ったって、なにがどうってわけでもないけれど、誰かと会えれば気分も変わるだろうと思った。夏休みの部活は大体午前中で終わることが多いけれど、中には午後もやる部活だってあるはずだ。知り合いの一人くらいはいるだろう。


 学校に向けて自転車を走らせる。あまり遠くまで行っていなかったこともあり、ものの数分で着いてしまったが、門はもう閉まっていた。なんてこった、こういう日に限ってタイミングが悪いもんだ。


 どうしようかと考えていたら、職員玄関から誰かが出てくる。どこのクラスだか忘れたが、僕たちの学年の担任だ。後ろから、制服を着ている智も出てきた。


 二人は僕に気が付いておらず、智が先生に何かを言っている。先生はそれに答える。数回、それを繰り返したところで先生は戻って、智一人になる。僕は智に声をかける。

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