十四  彼女の部屋/通話/テスト

 僕は、お邪魔しますと言ってからそこに向かう。彼女の部屋は和室で、机とベッドと洋服箪笥があるシンプルな部屋だった。


 壁には夏服の制服が掛かっている。その隣に本棚があって、参考書と有名なテニス漫画が沢山入っていた。高橋はこれ読んでテニスに興味を持ったのかもな。


 机の上には上田と写った写真があって、その隣にはスペースが空いていた。最近までそこに何かが置いてあって、でも取り外したみたいだった。


 手持ち無沙汰だけれど、本人がいないのだから勝手に物を見るわけにはいかない。スマートフォンを取り出すのもあれだし、そもそも僕に連絡をしてくるような人間はあまりいない。その部屋を見ていると、当たり前だけれど彼女には彼女の人生があって、ここで生活しているということが空気を通じて伝わってくる。


 彼女に限らず、みんなそうな訳だけれど、こうやって実際に触れてみないと理解できないことってのは沢山あるんだ。頭では分かっているつもりだけれど、分からないことが多すぎるんだよ。極端な例だけど、死ぬことだってそうだろう。あるいは生きていることだって……。


「ごめんね、お待たせ」

 高橋が入ってくる。彼女はシャワーを浴びたらしく、髪が濡れてタオルを頭に巻いている。服も体操服から水色のシャツに紺のハーフパンツに替わっている。


「いや……、大丈夫?」

「うん、ポカリ飲んで冷たいシャワー浴びたらだいぶ、よくなった」

「良かった」


 じゃあ帰る、という雰囲気ではなかった。というか、話が終わってないんだろうな、きっと。

「話の続き、してもいい?」

「もちろん、そのために来たんだからね」


「最近、前田君と話したことある?」

「問題になったあとに一度だけ。僕はそのとき彼を後ろに乗せて家まで帰った。それからは部活中に彼の姿を見るくらいだよ」


「そう……。最近、彼ちょっとおかしい気がするんだ」

「智の名誉のためにも、僕は悪いことをあまり言いたくないんだけれど、僕も、智は少しおかしくなっていると思う」


「大崎くんもそう思う? ちょっと精神的な問題に感じるよね」

「さっきの瀬川とのこと、僕が直接智に言うよ。もし、智からそのことについて連絡があっても、答えない方が良い。家に帰ったら智と電話するから」


 それでも多分、どうにもならないだろう。でも、彼女は僕のそれを聞いて少しほっとしたような表情を浮かべていた。彼女が智に対してどういう感情を持っているのかは僕に分かりようはない。


 変わったのかもしれないし、変わってないのかもしれない。でも、彼女がそう感じる理由があるのならば僕は動く。

「うん」


 彼女の顔色は大分良くなっていた。僕は帰ることにした。ここにずっといるのも不自然だし、僕たちは友達と呼んで良いのかさえ分からないというのが現状だ。玄関にある僕のテニスシューズ、普段からもっと綺麗にしておくべきだったと思ったが、後の祭りだった。


 僕は彼女の家を出て、自転車に乗って家に向かった。高橋には電話すると言ったけれど、このまま智の家に向かうことにした。ちょっと前も通った道、こんな短期間でまた通るとは思わなかった。


 小学校に入る前から毎日のように通った道だ、迷うような理由はない。だけど、今日はどうしてからいつもと違うところを曲がってしまった。きっと疲れていたせいだと思いたいけれど、たぶん違うんだろうな。彼の部屋を見上げると窓から電気が付いているのが見えた。部屋にいるんだろう。インターホンを押すと、彼の母親が出た。


「はい」

「あの……大崎要と言いますが」


「ああ、要君、久しぶりだね」

「ええ、どうも……」

「智呼ぶから、ちょっと待ってね」


 待っている間、自転車のスタンドを立てたり仕舞ったりした。無意味な行為だ。でも、何かをしていないととてもじゃないと神経が持たないと思った。よくよく考えれば、別にインターフォンを押さなくても、スマートフォンで呼べば良かったのか。彼が玄関を開けて出てくる。


「要か。何か用か?」

 正直に言うと、僕はとても悲しかった。なぜか? その理由は、僕たちは何か用がなければ会おうとすらしなくなったってことだ。


「いや、ちょっとね。聞きたいことが」

「家入る?」


 そういう気分にはちょっとなれなかった。誰かの家に行くのは、時々で十分だ。

「外じゃだめかな」

「どこだって良いさ、わざわざ訪ねてきてくれたんだからな」


 彼は僕がこの時間に体操服でいること、つまり部活の帰りだってことには何も触れなかった。智はというと、今日も制服を着ていた。この間、休み中にあったときもそうだった気がする。


 でも部活の日はどうだったか? 覚えてないな。最近、智を部活で見たことがない気がする。いや、いたような……。あまり意識していないからな。彼は革靴を履いて出てきた。当然のことながら、彼がそんな物をはいているのを見たのは初めてだった。


「ところで、どうしてそんな格好しているんだ?」

 僕がたまらずそう聞くと、彼は不思議そうな表情で僕を見た。いや、不思議そうと言うよりは、どうしてそんな当たり前のことを聞くんだ、って顔だった。彼にとっては、それはもう当たり前のことなのかもしれない。


「面接の練習をしているんだよ、夏休み中に学校に行って」

「面接って何だ? まさか高校受験?」


「そう。早くに対策をするに超したことはないからね。今なら、三年生がやっているだろう? だから頼み込めばいけると思ったんだ」


 僕は彼の向上心に驚いた。だって僕たちはまだ中二で、受験まで軽く一年以上あるんだ。そんな彼は僕からすると眩しく見えたんだ。見慣れた顔、彼がどんなに成長して大きくなっても、彼は僕にとっては昔なじみの智で、ガキの頃一緒にカブトムシを捕っていた頃と変わらないはずだった。


 でも、今は彼の表情が格好良く見えた。僕とは次元が違うんだ。とても、瀬川が好きすぎて、熱にうなされている人間とは思えなかった。


 瀬川で思い出したが、僕は今日ここに彼とその話をしに来たんだった。しかし、彼はずっと僕に受験の話をしている。それはまるで、今抱えている問題を考えたくないからそうしているように見えた。


 どうしてそんなことが分かるって? ……少なくとも、僕は彼とは長い付き合いだ。いくら今は少し離れてしまったからと言って、そのことがわからないなんてことはないんだ。そう思う自分に少し安心した。だって、そう思うってことは、少なくとも彼は僕の中では変わっていないってことになるだろうから。


「……ってわけなんだよ、だからあと半分の休みも大変だよ」

「そうか、僕には応援することしかできないけどね。ところで最近、恋愛の方はどうなんだ? 実は僕は今日それを聞きに来たんだよ」


 僕がそう言うと、彼はさっきまでと同じ表情だったけれど、目だけがマジになった。ちょっと、恐怖を覚えるくらいのマジさ加減だった。そこには、さっきまでの僕が知っている彼はいなかった。


 もう一度言うけれど、そこには、さっきまでの、僕が知っている彼はいなかった。この短い間に、僕の知っている彼はどこかにいってしまった。……まてよ、そもそも僕は彼の、一体何を知っていたんだ?


「どうしてそのことを聞きに来た? 馬鹿にしているのか?」

「おいおいちょっと待ってよ、僕が一体何で智のことを馬鹿にしきゃけりゃ……」


「帰ってくれよ」

「え?」

「帰れよ。おまえとはもう話をしたくない」


「……」

「……」

「わかった。ごめん、悪かったよ」


 自転車に乗る。僕たち中学生は、これしか交通手段がないんだ。田舎だと、本当に限界を感じる。途中、振り返ると彼は僕をさっきと変わらない目で見ていた。正確には睨んでいた、というほうが正しいだろう。


 僕は帰りの間中、どうしてこうなったのかを考えていたけれど、答えは永遠に出るわけがないんだ。僕の記憶が正しければ、この間僕と智は瀬川と高橋と上田の話をした。間違いない。


 で、今回何か変わったのかを確認しようとしたら、彼は激怒してしまった。この短い間に、何かが変わったのかもしれない。前に智は、瀬川について何を言っていたんだっけ? 確か、瀬川が誰かを好きだとかなんとかだった気がするが……。


 家に帰って着替えて、机でぼんやりしていたら、スマートフォンが光った。最近、こいつは仕事をしすぎだな。今までの、ただ見ているだけだった時とは全く変わってしまった。


 当然というかなんというか、高橋からだった。上田も一緒にいるという。僕は今日見た高橋の部屋を思い出した。僕のこの部屋を誰が見たら、僕と同じような感情を抱く人がいるだろうか?


 僕は通話にして、今日あったことを二人に話した。二人とも何も言えなくなってしまっていた。まあ、そうだよな。僕だってそうだ。そして気が付いたら電話は終わっていた。多分、今になってショックが来たんだろう。どんなことでさえ、僕は後にならなければ実感しないんだ。



 そんな感じで、残りの夏休みを過ごした。智との一件も、上田や高橋との間ではでてくることはなかった。この話をするとしたら瀬川になるんだろうけれど、部活が終わった後に中庭に行っても彼女と会うことはなかった。あのときはたまたまだったんだろう。僕もあえて探さなかった。あの話を瀬川にしていいものか考えていたというのが正しいかもしれない。


 時々、高橋と上田と三人で帰ったりもしたけれど、本当に他愛のない話しかしなかった。多分、彼女たちは僕を心配してくれていたんだと思う。ありがたい話だ。


 サッカー部の方を何度か覗いたが、智は来ていないようだった。僕はそれを見て少しほっとしていた。だって、いたとしたら何を話せば良いんだって感じになる。極希に、勉がテニスコートにやってくることもあった。


 教室でやっていたような話しかしなくて、智のことは話題には上がらなかった。もし、この夏を統括するとしても、きっとろくなまとめにはならないだろうな。ノートを取り忘れ続けた授業のように、覚えていることはでこぼこで、テスト対策になんてなるわけがないんだ。なんのテストかって? しいて言うなら、人生だろうな。

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