十三 予定/中庭/彼女の手を
それから何日か経った夏休みの練習中、僕は久しぶりに高橋から声をかけられた。彼女とは、この間の一件以来ほとんど会話をすることはなくなっていたけれど、時々、スマートフォンにメッセージが来ることがあった。
他愛のない会話で、彼女自身の友情のことを考えると、僕よりも上田と仲良くやってくれている方が、僕としては安心するから、その方が良かったと思っていたんだけれども。
もっとも、寂しさが全くないかというと、それはそんなことはないが、まあそれはそれ。
「今日って、この後忙しい?」
「いや、全く忙しくない」
僕は基本的に予定がある方がまれ。高橋と一緒に帰っていた時がイレギュラーだったんだ。それこそ、思いもよらないところに向かうテニスボールのように。
「じゃあ、ちょっと話をしたいんだけど」
「いいよ」
そう言うと、彼女は僕に微笑んで行ってしまった。そう、予定なんて何もないからこその僕なのだ。やっぱり、どう考えてもこの数週間が異常だったというだけだ。
午前中の練習が終わって、いつもの様に自転車置き場で高橋を待つ。こうやってここからグラウンドを眺めるのだって久しぶりだ。ここ最近はいつも、練習が終わればさっさと帰っていたから。
僕と同じ二年の男子は、同じ部活に所属しているだけという感じで、練習中には話をしないこともないけれど、一緒に帰ったり、休日に遊んだりするなんてことは一度もしたことがない。今後もそれをするなんてことはないだろう。
友達ってのは、いったい何だろうな。最近は特にそんなことを思うようになった。サッカー部の連中が帰っていく。その中に勉を見つけた。彼は僕に気がついて手を振ってくれた。僕も同じようにする。智もいたのだけれど、僕には気が付かずに帰って行った。
帰っていく彼らを見ていたら、僕は一人でここにいるのが耐えられなくなってしまった。だから校舎と校舎の間にある中庭に行くことにした。そこに行ったって、何があるという訳ではないのだけれど、孤独を感じながら誰かを待つことには耐えられなかった。
日差しは相変わらず僕や学校、自転車やグラウンドに照りつけている。そんな中、汗を流しながら歩いていると何もかもがどうでもよくなってきた。自分の存在、置かれている立場や状況、これからのことだったり今日の午後の予定とか。いや、午後の予定はどうでもよくないか。とにかくそんなことを考えながら歩く。
中庭には池があって、そこにくれば多少は涼しさをを感じるかなと思ったけれど、濁った池からはそんな気は全く感じなかった。
中庭の池の淵に瀬川が立っていた。
「大崎くんじゃない、どうしたの?」
彼女はジャージだった。運動部ではなかったような気がしたけれど。
「こっちに来れば涼しいかなと思って……僕は瀬川さんが部活をやっているって知らなかったな」
「美術部。秋に文化祭があるでしょ? その絵を描いているの。ちょっと外の空気を吸いたくなったの」
なるほど、だからその格好って訳だ。言われてみれば、絵の具が二の腕についているのを見つけた。
「知らなかったよ、毎日描いているの?」
「大体毎日ね」
そこで一応、会話に区切りがついたから、僕としてはそこから立ち去ったってよかったのだけれど、ここであったのも何かの縁だろう、聞いてみたいことを聞いてみることにした。ただ、高橋が待っているだろうから、あまり時間をかけるわけにはいかない。
「聞きたいことがあるんだ」
「いいけど、答えたくないことは答えないわよ」
「もちろんそれでいいよ、僕たちは何でも話し合える友達って訳じゃないからね」
「大崎くんと高橋さんみたいな?」
このとき、どうして彼女が高橋の名前を出したのか。彼女は、僕と高橋がそういう関係だって知っているのか? どうして? 誰かからそれを聞いたってことだよな、多分。
「そうだね、僕たちはそういう関係ではないよね」
「これから先のことは、わからないけれど」
意味がよくわからなかった。それは一般論としての話なのか。それとも? とりあえずスルーすることにした。何度も言うが、時間があまりないんだ。
「智のことなんだけれど」
「彼とは何でもない。だって、何を言われたって私は、彼のことが好きになれないから」
もうそれ以上、何かを聞くって雰囲気ではなくなった。智の名前を出した時に空気が全然違ってしまった。ここだけ急に、雪が降るかのような寒さが訪れた。
美術室から出てきた生徒が窓を開けて瀬川を呼ぶ。瀬川は僕の方を向いて頷いて、そして行ってしまった。僕は高橋を待たせていたことを思い出して、走って自転車置き場に戻った。そんなに長い時間瀬川と話していた覚えはなかったのだけれど、高橋は待ちくたびれたって顔をしていた。
「ごめん、待たせちゃったみたいだ」
「ううん、誰かいたの?」
「瀬川さんが中庭に。でも、行ったらいただけで、見かけたから行ったわけじゃない」
言い訳じみたことをしてしまうが、別に僕と瀬川との間に何かあるって訳じゃないから、そんなことを言う必要なんてなかったんだ。
「そう、じゃあ帰ろう?」
「うん」
僕たちは前みたいに自転車を走らせる。でも、前の時とは状況が違っている。彼女はもう上田里香と問題を抱えていない。まあ、深く考えないことにする。他愛もない話をしていたら、高橋の家に着いた。
「暑いけど、少し話してもいい?」
「いいよ、木陰に行こうか」
僕たちは高橋の家に自転車を止めて、近くにある公園に行った。日差しが強すぎるせいか、遊んでいる人たちの姿は見えなかった。あるいは、丁度昼時だからかもしれないけれど。僕は途中、スポーツドリンクを二本買って、一本を彼女に渡した。
「ありがとう」
木の下にあるベンチは多少、涼しかったけれど、風はあまりなく、ずっとここにいるわけにはいかないと思ったが、少しの間なら大丈夫だろう。
「ごめんね、今日は」
高橋はそう言って、鞄からタオルを取り出して額の汗を拭う。よく見ると、彼女、結構汗をかいている気がした。熱中症とかあるから、長時間はまずいかもしれないな。
「今日来て貰って聞きたかったのはね、大崎くんは瀬川さんのことどう思っているかってことなんだ」
僕は買ったばかりで冷たいペットボトルを開ける。この暑さだ、すぐに温くなるだろう。その前に半分くらい飲む。
「どうって……特に何も。去年同じクラスで、今年は何度か話をしているけれど、それだけかな」
多分、彼女はこのことを誰かから、聞いてくれって頼まれたんだと思う。じゃなければそんなことを聞いてくるのはおかしい。僕のその感情が、顔に出てしまっていたのか、高橋は苦笑いを浮かべた。
「実はね、これ前田君に聞いてくれって頼まれたんだ」
「智が? どうして?」
「それは分からないけれど……最近、大崎くんは瀬川さんと仲が良いと思われているからじゃないかな」
「智のことを悪く言うつもりはないけれど、こういう行動ってちょっと異常じゃないか? 仮に、僕と瀬川が仲良くても、それを聞くのか?」
それに高橋が智の頼みを聞いたってのにも地味にショックを受けた。でも、もしかしたら智はそれだけ必死だったのかもしれないと思ったら、そのショックってのはおかしいって感じたんだ。僕だって友人から必死に頼まれたら、きっと受けることだってあるだろう。
「……うん、そうかもしれない。私も、こんなこと引き受けるべきじゃないと思ったんだけど、彼があまりにも必死だったから」
やっぱりか。この間、上田と高橋と話したことと通じる。僕は高橋の表情を見るために顔を上げると、彼女は尋常じゃない汗をかいていた。これは暑さどうこうって話じゃない。
「高橋さん、家に帰った方が良い。ちょっとまずい気がする。汗の量が凄い」
「え?……うん。付いてきてもらってもいい?」
僕は頷いて、彼女の手を取る。そうしながら公園を横切って、彼女の家に向かう。鍵を開けて、家に入る。高橋の母親が出てきたが、高橋の様子を見て僕の存在は直ぐに忘れられた。
「二階上がって右が私の部屋なの、待っててもらえる?」
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