十五 九月一日/風見鶏/孤独
中学生にとって……いや、高校生や小学生にとっても、九月一日ってのは最悪の日だ。でも、もしかしたらだけれど、ある条件に限って言えば、そんなに最悪じゃないのかもしれない。
それは例えば、片思いしているとかね。恋人同士なら別に、学校で会う必要はないから、片思いっていう状況しか思い浮かばない。もしくは学校が好きな人か。そんな人間なんているのかな。
そんなことを考えながら、まだ暑いなか教室へ向かう。相変わらずの顔触れ、何も変わることはない。教室に入っても、それこそ何も変わってなんていなかった。いつもの席に座る。まだ勉は来ていなかった。
珍しいな、と思った。彼のことだ、いつも僕より先に来て、大きな声で挨拶をする……それがないだけで、なんだか違和感があった。変だよな、僕は彼のこと、正直そんなに好きじゃなかったのにね。彼はチャイムが鳴る直前に急ぎ足で教室に入ってきた。
「おはよう要」
彼は馬鹿みたいに上機嫌だった。愛想がいつもの百倍良かった。ちなみに彼は普段だって愛想が悪いってのとはほど遠い。それで彼がどの程度、機嫌が良いかわかるだろうか?
「ああ、おはよう。今日は遅かったね」
「女の子とずっと話をしてた」
「へえ、彼女?」
僕がそう言うと、彼はとてもうれしそうに頷いた。
「そう」
そりゃめでたいな。
「そりゃめでたいな」
ヘヘッと笑ったところで先生が入ってきたので、その話はそこで終わってしまった。彼は確か瀬川のことが好きだったはず。でも、人の気持ちなんてそんなものなのかもしれない。
それこそ風が吹くと向きが変わる風見鶏のような。羨ましいか? いやそんな気持ちは微塵もない。自分でもびっくりするが、誰が誰と付き合うかとか、そんなのは僕にとっては本当にどうでもいいことなんだ。それを少し考えてみると、多分僕は自分のことでさえあんまり好きではなくて、生きていることにさえ執着しないからかもしれない。
そんなんで良いのか、悪いのか、僕には分かりようがない。というか、僕が分かることなんて一体何があるんだろう。本当に。そんなことを考えながらシャーペンの頭を押しては芯を出しては戻すをずっと繰り返していた。
そして気が付くと教室には誰もいなくなっていた。そういえば、さっき先生がこれから体育館に行くと言っていたな。休み明け恒例の校長の話を聞く会だろう。誰にも声をかけられないあたり悲しいが、別にそこに参加したいかというとそうでもない。かといって、ずっと教室にいるわけにも行かない。
うろうろしている他の先生に見つからないとも限らない。どこかに行くかと教室を出て、隣のクラスを覗くと瀬川がいた。声かけないわけにはいかないよな。
「瀬川さん」
彼女は窓の外を見ていて、僕が声をかけても少しの間そうしていた。
「大崎くん、どうしたの」
きっと誰が話しかけてもそうなんだと思うけれど、彼女は話しかけられるとは思っていなかったみたいで、焦点があっていないような目だった。それで、不思議なんだけれど、彼女の人間っぽさを実感した。
「ボケッとしていたら皆において行かれた。僕はクラスでの人望はゼロみたいだね」
「私もよ、奇遇ね」
そういえば今日は彼女一人で、いつも一緒にいる深川希望の姿が見えなかった。
「深川さんは?」
「あの子、今日は休み。こういう休み明けって必ず休むのよ、昔から」
「ふうん……」
変な奴だな、と思ったけれど、彼女も僕にそんなこと言われたくはないだろうと思ったし、僕が今あえてここで瀬川にそれを言う必要なんてないんだな。そもそも、深川は学年トップの実力って話だ。中くらいをうろうろしている僕に『変な奴だ』なんて言われたくはないだろうな。瀬川は立ち上がった。
「行きましょう」
「どこに?」
「私はいつも、こういうとき屋上前の扉のところで時間を潰すのが好きなの」
「へえ。じゃあそこ行こうか……」
彼女に誘われたとはいえ、僕が行っても良いのか迷ったが、行き場がないのは僕も同じだった。僕たちは教室を出て、皆が体育館に行ってしんとした学校の階段を上る。
僕が先で、彼女が後からついてくる。階段を上りきると屋上へと通じる扉があって、もちろん鍵がかかっている。職員室に行けば鍵はあるのかもしれないけれど、まさか今からそこに行ってかっぱらってくるわけにはいかない。
「ここがお気に入りなの?」
「そう、明るいでしょ。それに誰も来ないから。下が騒がしくなったときに戻れば私が式の間いたのか、いなかったのかなんて誰も分からないわよ。それに校長のありがたい話を聞いたって今後の人生に影響があるとも思えないから。だったら一人で、ここから外を眺めていた方が良い」
最近何人かに聞いた、彼女の学校での評判は、美人だけどかなり癖があって、友達は深川しかいないってことだった。何人かは、智と付き合っているんじゃないかとも言っていた。僕は只聞くだけで、それを肯定も否定もしなかったのだけれど。
彼女はもしかしたら本当は孤独で、もっと話せる友達が欲しいのかもしれないと、彼女の言っていることを聞いてそんなことを思った。僕はカウンセラーになるつもりなんて毛頭ないのだけれど、なんとなく。
「ねえ、学校って楽しい?」
「全然。あと一年半もしたら高校に行かないといけないけれど、きっと楽しくないと思う」
「言うね」
「だってそうじゃない? 私は小学校の途中から矢鱈と『可愛い、可愛い』ってずっとずーっと言われ続けてきた。今もそう。それが原因で、あの頃から何も変わっていないのに今度は『調子乗っている』だなんだって言われているの。分かる、そういうの?」
「想像することしかできないな。僕は自慢じゃないけれど、人気者であったことなんて一度もないからね」
情けない話だけれど、それは僕のせいだけって訳でもないよな。今の瀬川の話もそうだが、どうしても自分の影響の及ばないところであーだこーだといわれて悩むのは、思春期によくあることだと思うけれど、当の本人達はそういう『よくあること』なんかでは片付けられないんだよな。
どんなに小さいことでも、その人にとっては大きいことなんだよ。そう考えると、智だって『好き』に捕らわれすぎている現状は、気の毒なのかもしれない。
「そんな感じだから、これから先も学校が楽しくなることなんてないと思う」
「僕のクラスに、佐藤勉って男がいるんだけれど」
「知っている」
その言い方で、彼女は彼に良い印象を持っていないってことが伝わってくる。でも、他人の印象ってのは何がきっかけで変わるのかわからないからな。
「そいつが最近、とにかくご機嫌なんだよ。理由を聞いたら『彼女ができた』って言うんだよね。だから……」
「私にも彼氏ができたら良い、って言いたいの?」
「まあ、そういうことなんだけど……」
彼女は大きくため息をついた。こういうことを言うとやっぱり彼女は怒るかもしれないけれど、その全身はやたらと様になっていた。
「残念だけど、私が好きな人……ってのが本当にいるんだけれど、嘘じゃなくてね。その人がいるから前田君のことも断ったのだけれど、その人は全然、誰かを好きになんてならないみたい」
「へえ、そんな人いるんだ。僕もそういう傾向があるみたいなんだ。その人と話でもすれば、何かヒントが見付かるかもしれない」
僕がそう言うと、彼女は笑った。
「そうね、そうかもしれない。面白い人」
彼女と話をしている間、僕はずっと窓の前に立って空を眺めていた。外に出れば遠くまで見えるだろうな。いつか、そこに行けると良いんだけれど、多分卒業までその機会はないだろうな。瀬川はというと、彼女は階段の最上段に座って下を向いている。
だから、この会話の間中、僕は彼女の表情を見ることが出来なかったから、どんな顔をしていたのかは分からない。きっと彼女は、彼女なりに苦労してきたんだろう。ただ、それが他の人の苦労とは、少し違ったっていうだけのことだ。
下の教室の方が騒がしくなりつつあった。きっと式が終わったんだろう。僕たちも戻る時間だった。
「今日、いろいろと話できて良かった。瀬川さんのことが少し知れた気がする」
階段を降りながら、僕は彼女にそう言った。それは本当のことだったし、今までの『ちょっと変わった人』から、もしかしたら友達になれるかもしれない、にまで僕の中で彼女の印象は変わっていた。
「私も貴方の興味の一部になれるのかしら」
「僕が興味を持ってもって話だけれどね」
「人が多くなってきたから先に行くね」
彼女はそう言って急いで下りていった。その判断は賢明だった。一緒に屋上方面から下りているとこを見付かったら、二人でそこにいたと言っているようなものだから。
何かと話題の瀬川のことだ、そんな面倒は避けたいのだろう。僕は歩く速度を落とす。歩きながら、この間の智のことを話すには絶好の機会だったと、今思い出したが後の祭り。まあ、良いか……。また別の機会があるだろうし、それに瀬川に話をしたって何になるってわけでもないだろうな。これは僕と智との問題だから。
僕が教室に着いた頃、ちょうど生徒が出たり入ったりしている時間だったから、おかげでごく自然と、その中に溶け込むことが出来た。瀬川はこんなことをいつもやっていたのか。今日の会話によって、彼女に興味を持ち始めたのは確かだった。
でも、それが好きとかに変わるのかどうかは確信がない。だって、そういう意味なら高橋や上田に対してだって、そういう感情になり得たはずだ。でも結果は知っての通り。自分のはっきりとした感情さえ把握しきれないんだ、他人だってなおさら、ってことなんだろうな。
わいわいしている教室、僕は頬杖をついてそんな人たちを眺めていた。そのうちに今日の学校は終わるだろう。たった半日、始業式のためだけに学校に来るわけだが、そんなのなら深川のように休むって選択肢ももちろん、あってしかるべきだろうな。勉が教室に戻ってきた。
「今日ってテニス部はあるの?」
「ないよ。サッカー部は?」
「同じく。ちょっと一緒に帰りたいんだけれど」
勉がこんなことを言うなんて珍しい。こいつはいつも僕より仲の良い、サッカー部の連中と帰っていたと思ったが。
「いいよ」
「要ならそう言ってくれると思ったぜ」
彼の表情は輝いていた。こんなにも、人間ってのは変わる物なのか。じゃあ僕だって?
どうだろうな。想像すら出来ない。
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