七   待ち合わせ/夕暮れ/判断

 部活が終わって後片付け中。まだ日が暮れるまでは時間がある。今日は色々なことがあったような気がするけれど、その割には練習に集中できて、いつもより色々とうまくった気がするんだけど、同じ二年の男子に聞いてみたら『いつもと何も変わらない』とのこと。


 自分のことは自分では見えないって、結構人生において大事なことのような気がする。


 まあそれは置いておくとして、もうすぐ始まる夏の大会もきっといつもと同じように一回戦負けだろうな。一回くらい勝ちたいか?


 いや、そうでもないかな。コートから出て部室にラケットとボールを片す。自転車置き場に行くと、グラウンドで練習していた運動部の帰る人たちで溢れている。どうしてこう、皆同じ時間に終わって帰るんだろう。


 そんなことしていたら混んで、今こういう状況になるって決まっているじゃないか。とは思うんだけど、今だけなんだよな、ここがこんなに人が溢れている時間って。十分もすれば誰もいなくなるだろう。


 僕はどうして帰らないのかっていうと、高橋志穂のことを待っているから。さっきの練習中に、女子の方に行ったボールを取りに行ったとき、高橋が僕の近くに来て、『帰り、待ってて』と。


 もしかしたら聞き間違いだったのかもしれないけれど、それならそれでもいい。家に帰ったって、別にやることもないから。部室にはまだ高橋が残っているみたいで、窓から影が見える。だから聞き間違いじゃないんだろう、たぶん。


 そんなことを考えていると、さっきまでの混雑ぶりが嘘のようにだいぶ人が少なくなり、自転車も数えられるほどに。グラウンドはもう誰もいない。これくらい少なくなれば知り合いに会う心配もないだろうな。


 別に誰かに見られたって何も問題なんてないんだけれど、それでも女の子と二人で帰るっていう状況がね……。ま、本当になんてことはないし、僕が気にしすぎているってだけなんだけれどね。自転車に乗ってペダルに足を乗せる。


 今日、家に帰って図書室で借りた本を読んだとしても、多分、集中できないような気がするんだよな。なんでかというと、瀬川のことを思い浮かべちゃうんじゃないかなって。


 いや、そんなことはないかな。わかんねーな。何もかも。なんなんだろうな、こんな感情。そもそも……。


「お待たせ」

 高橋が来た。制服に着替えてくるかなって思ったけれどジャージだったから、人が少なくなるのを待っていたんだろうな。そうだよな、僕が気にしないとは言っても、彼女は気にするよな。考えが足りなかった。


「お疲れ様。待ってないから大丈夫だよ」

「嘘。ずっとここにいたじゃない」


 僕はそれを聞いて笑う。やっぱり見てたのかな。

「他に行くところないからね。でも、こうやって帰っていく人たちを見れたのが良かったよ。少なくとも、彼らは『家に帰る』って目的があるわけじゃない。やることっていうか。それが一番、前に出ている瞬間って感じがしてさ」


 意味の分からないことを言ってしまったが、僕は動揺しているのだろうか? 今日一日こんな感じだな。


「大崎くんは帰るってことが一番前に出ていないの?」

「今日はほら、帰る前にすることがあるからじゃないかな」

「そうだね……」


 彼女は俯いて笑う。ジャージの襟から見える首筋がやけに白く見えた。夏に向けて日差しが強くなっている中、彼女はきっと日焼け止めをしっかりと塗っているんだろうな。


 僕は日焼けのことなんて気にしたこともなかったけれど……。そういえばうちの部はあんまり日焼けしている人っていない気がするな。単純にそういう気がするってだけかもしれないけれど。


 僕が顔を上げて、高橋の笑顔を見たらさっきまで考えていたことは全部忘れてしまった。

「方向全然違うけれど、一緒に帰ってもらってもいい?」

「いいよ、僕は基本いつも暇だから」



 僕の通っているこの中学校は、二つの小学校からの卒業生がほとんどで、僕と勉と智は西にある小学校で、高橋は東にある小学校だから方向はまるで逆になる。


 それは彼女も分かっていることだと思うんだけれど、彼女がざわざわ僕を誘って言うってことは、何か特別な理由があるんだろうと思う。


 そうじゃなきゃ僕を呼んだりしないだろう。確かに、ここ最近部の様子がおかしい気はしていた。野良猫が家に入り込んでいるような、奇妙なよそよそしさとパニックの予感があった。


 高橋はヘルメットをかぶり自転車を出した。僕もそれに続く。単純な部室の鍵の受け渡しでないことは、いくら鈍い僕でもわかる。彼女の後ろについて自転車を走らせる。


 学校の周りだって別に栄えているというわけではないけれど、それでも少し走ると田舎特有の広い歩道が見えてきて、周りは田んぼと道路、時々誰かの家みたいな感じになる。このへんは西も東も変わりがない。


 東にずっと、ずっと行けは九十九里の海に出られるだろう。もっとも西だって結構な距離を走れば内房の海に出るけれど、どちらも自転車で行ける距離ではない。


 このあたりが今の僕たちの全てなんだ。大きいと言えば大きいし、広いと言えば広い。でも、本当はきっとそうじゃない。


 まだ太陽が空にギリギリ残っている時間、彼女の背中を追いかけていく。十分くらい走ったところで彼女が速度を緩めたので、後ろを走っていた僕は彼女の隣に行く。


 それくらいしてもまだ歩道には余裕がある。これで僕たちの住んでいる田舎の程度がわかるだろうか?


「こっち来ると、どのくらい余分に時間がかかるのかな?」

「そうだな。行って、一度学校に戻る感じになるから、三十分くらい余分にかかるんじゃないかな。でも、さっきも言ったけど、僕は家に帰ったって特にやることもないからさ」


「やることがなくても、ふとした瞬間に学校のことや、部活のことを考えちゃわない?」


 僕は彼女の表情を見る。神妙な表情だった。そこに今日僕を呼んだ理由があるんだろうという気がした。彼女は自転車を止めた。僕も同じように。


「考えないってことはないし、授業とか正直面倒だなって思うこともある。僕は、本当は何をしたいのか……全部ひっくるめて、何をしたいのかわからないんだよ。それが僕が今一番悩んでいることかな。……高橋さんは? これ、聞いちゃっても良いのか分からないんだけれど」


 高橋は一度止めた自転車をまた走らせる。僕はさっきと同じように彼女の隣で自転車を走らせることにする。こうすれば走りながらだって会話できるだろう。


「……私はさぁ」

「うん」


 彼女は前を見ているだけで何も言わない。僕も催促をしない。するわけにはいかない。

「……ねえ、明日も一緒に帰れたりしない?」

「ああ、いいよ」


 僕は彼女が話をしてくれるのを待った。待ったまま自転車を走らせた。でも、彼女は今日、僕を呼んだ理由を話すつもりも無いみたいだった。彼女にもタイミングがあるんだろう。それに、多分話しにくいことなんだろうな。


「うち、ここなんだ。……ありがとう、一緒に帰ってくれて」

 結局、彼女は何も言わなかった。


「いいよ、僕なんかで良ければいくらでも付き合うさ」

 高橋はジャージのポケットから鍵を取り出して僕に手渡す。彼女がずっと持っていたから、鍵は温もりを持っていた。手でしっかりと握り、自分のポケットに入れる。


「また明日」

 そう言って彼女が家に入ったのを確認してから、僕は自転車の向きを変えて自分の家に向かって走り出す。


 今来た道を戻りながら、彼女が本当に話したかったことは何なのか、ってことを考えた。もちろん、そんなことを僕が考えたって分かるはずは無いんだけれど、考えないわけにはいかないだろう、やっぱり。


 正直なところ、僕と高橋はすごく仲がいいって訳じゃない。同じ部活の部長、副部長ってだけ。そんな人間に、いきなり自分の抱えていることを全部言ってくれるとは思えなかった。今日は、僕がそれに値するかどうかを確かめたかったんじゃないかな。そんな気がする。


 まあそれは彼女が判断することだけれど、何かがあるのであれば、僕もそういう時になんとか出来る人間になれるようにするべきなんだろうな。別に部長だからってのは関係なく人間として、ね。

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