六   鍵/嫌い/部室

 授業が終わると部活の時間だ。


「じゃあね要、また明日」

「ああ……ねえ勉?」


「どうかしたか」

「いや……頑張れよ」


「何言ってんだよ。そんなの当たり前だろ? 要も頑張ってくれよ」


 彼は笑顔でそういうと鞄を肩に下げ行ってしまった。僕が言ったことは伝わったのだろうか? どうだろうな。僕は何を頑張ればいいんだろ。


 隣に誰かが立っていて、見上げるとそれは高橋志穂だった。同じソフトテニス部の。


「ねえ大崎くん、部室の鍵ある? 今日持ってくるの忘れちゃったみたいなんだ」


 彼女はそう言って、制服のポケットを裏返す。変な話だけれど、その仕草は妙にドキッとした。スカートのポケットの裏地が、特に。変態的か? いや、普段目にすることないからだ。きっと。多分。


 部室の鍵は部長と副部長が持つことになっている。僕が正で高橋が副だ。ポケットに入っている鍵を取り出して渡す。大事なものは肌身離さず持つ、細かいことだけれど、結構大事なことなんだよ。


「へえ、随分可愛いキーホルダー使っているね」


 彼女は僕が渡した鍵についている犬のキャラクターを見てそう言った。今年のバレンタインに同じ小学校だった女の子から貰ったものだ。


 智も同じものを貰っていた。というか、その子は本当は智にあげたかったんだろうなという気がする。


 その子は、去年も今年もクラスが違ったから、僕と智の関係について、小学校時代の印象がまだ残っていたんだろうと思う。今の僕たちを見たら、たぶん僕にはくれなかったんじゃないかな。


「智も同じものを使っているんだよ」

「智って、前田君? ふうん……女の子にでも貰ったのかな?」


「今年のバレンタインにね。でも深い意味はないと思うよ」


 彼女は僕の答えにはなんとも思わなかったのか、借りるね、お先に、とスカートを翻して行ってしまった。うちの部活は先に女子が部室を使うことになっているから、少し時間を置くことにする。


 もっとも、男子は大体教室で着替えてから行くから、部室って言ってもラケットとボールを取る程度だ。長居をすることは無いんだ。


 ぼんやりしていても仕方ないから、今日借りた本を鞄から取り出して読むことにする。パラパラと捲っていくつか読んだけれど、あまり集中できなくて読むのをやめた。


 裏表紙に挟まれた貸し出しカードを取る。こういうシステムだって近いうちに電子化しちまうだろうな。糞だろ。一番下に書かれた【大崎 要】確認するまでもない僕の名前だ。


 上から数えた方が早いところに【瀬川 皐月】と。彼女の名前はそれ以降でもいくつかある。去年、彼女と同じクラスだった時を思い出そうとしたけれど、何も思い浮かばなかった。


 彼女は良く本を読んでいただろうか? 全く覚えてないな。そもそも、席替えのくじ引きの時に、僕は大体前の方になるけれど、瀬川と深川は後ろのほうが多かった気がする。


 だから印象っていう印象はないんだよな。彼女たちが視界に入ることが稀だったような。


「私が借りるまで、ほとんど誰も借りてなかったのよ」


 確かに、一番古い瀬川の名前は去年で、それ以前は年単位で前になっている。道理であまり本が傷んでいないわけだ……ん?


「瀬川さんが、びっくりしたよ」

 隣に瀬川がいた。昼に話をしていなかったとしたら、飛び上がって驚いていただろう。


「どうしたの? もう誰もいないけれど。部活は?」

 僕の問いにはまるで興味がないらしく、答えはない。そういえば今思い出したが、去年なにかの授業で同じグループになったことがあって、その時も人の話を聞いているんだかいないんだかって感じだったような。


「ソフトテニス部って、男女比で言うと明らかに女子の方が多いんだ。成績の良さもそう。だから、向こうが先に部室を使って、それが終わったら僕たちが使えるってわけ。つまり純粋な待ちの時間なんだ」

「それってとても面倒で時間の無駄な気がするわ」


「まあ、確かに。でも、そういうもんだって思えばそんなもんか、って思うものなんだ」

「変なの」


 慣れてしまうと、大して疑問を持たなくなるってのは確かに、問題だよな。一度部活の顧問にでも相談してみるか。とは言え言ったところで部室が増えるわけでもないだろうから、あまり意味はないとは思うけれど。


「瀬川さんはどうしたの?」

「教室に大崎くんの姿が見えたから来てみたの。貸し出しカード、どうかした?」


「知っている名前があるなって」

 僕はカードを彼女の前に出した。瀬川はそれを見もしなかった。というより、見たくも無いって感じだったという方が正しい。


「私以降にそれを読んだ人みんな、私の気を引きたくて読んだって言ったら驚く?」

「まあ驚きはしないけれど、それこそ効率が悪い気がするな。さっきの部室の話に通じる非効率さ。ストレートに言えばいいじゃないか」


 僕がそう言うと、彼女は僕の手からカードを取って本に戻した。

「同じ話題を作りたいんでしょう、私があんまり他のことに興味がないから。さっき、『みんな』って言ったけれど、大崎くんは違うわね」


「うん、純粋に読みたいってだけだね」

「そう……」


 教室の時計を見ると、もうすぐ部活が始まる。いつもなら確実にコートに行っている時間だ。でも今日はまだ教室にいて、瀬川と話をしている。


「悪いんだけど、もう少し話できない? 希望が来るの待っているんだけど、一人は好きじゃないの。特に、学校で一人って言う状況が」


 僕が教室の時計を見たのが分かったのか、瀬川はそう言った。さっきから僕の携帯が鳴っているが、これはきっと同じ部活の男子が僕に連絡をしてくれているのだろう。申し訳ないが、今の状況では無視せざるを得ない。


 携帯電話のバイブレーションが瀬川にも聞こえているとは思うのだけれど、彼女は徹底的に無視をしていた。

「いいよ」


 何を話せばいいのかよくわからなかったが、僕は頷いてそう言ってしまった。どうしてだろうか? 理由なんてわかるわけないよな。……確かに、さっきのことがあったから、瀬川のことが多少、気になり始めていることは事実なんだけど。


「良かった。学校で一人って嫌いなの。大嫌い。いつもは希望がいるからいいけど、こういう時って友達がいないと困るわ。本当」


「僕は別に一人でいるのは苦じゃないんだけど、もしかしたら僕は本当は心許せる友達が一人もいないってことなのかもしれないって今、思ったよ。そう考えると悲しい人生だな」


 瀬川は笑った。その笑みにはシニカルな感じは一切無くて、ただ、単純に面白いから笑ったって感じだった。


 彼女の笑顔は確かに素敵で、勉や、ほかの貸し出しカードに名前を書かれた連中が夢中になるのも理解出来る気がした。


「いつも佐藤君と一緒じゃない。佐藤勉くんと」

「勉か……。僕は正直、彼のことがあまり好きじゃないと思っていた。彼は僕より仲が良い人間がいる場では、僕に絶対に話しかけては来ないから。でも、僕には今、彼くらいしか友人と呼べる人がいない気がする。去年同じクラスで仲良くなった人は皆、別のクラスだし、テニス部の連中だって同じ部活だってだけだ。コートの外に出れば挨拶さえしない。僕はもう少し、彼のことを知るべきなんだろうか? どう思う」


 変な話だ。どうして僕はこんなことを瀬川に話しているんだろう。

「一度やってみたらいいじゃない。自分が出来る範囲で」

「そうだね、それがいいのかもしれない」


「私も、何もしないでただ見ているだけってのはもう、嫌なんだ」

 瀬川がきちんと回答を出してくれたことに驚いたが、それがまともであったことにより驚いた。僕は彼女にどういう印象をもっていたのだろう?


「もしくは、好きになれそうなところを探してみたら。きっとたくさんあるんじゃない」

「うん。そうかもしれないな……。ところで、詩が好きなの?」


「うん。好き。直ぐ終わるから」

「なるべく早く全部読むから、読んだらこれについて話をしようよ」


 深く考えていなかったと言ってしまえばその通りで、僕は単純にこの本についての話がしたかっただけなんだ。


「いいよ。いろんな人が読んだみたいだけれど、そう言ってくれたのは大崎くんが初めて」


 僕は何かを言おうとしたけれど、そのタイミングで深川希望が教室に入ってきた。彼女は何をしていたんだろう? 瀬川に聞けば良かったかな。


「お待たせ皐月」

 深川は僕に目もくれず、瀬川にそう言う。瀬川は首を振って僕を見る。

「時間くれてありがとう大崎くん」


「大崎君と一緒だったのね。良かったね皐月」

 まるで初めて僕に気が付いたと言わんばかりの深川の言い草だった。いや、別に苛ついたりはしてないんだけれども。


「そうね」

 僕はもう、ここにいなくても問題なさそうな雰囲気だ。

「じゃあ、僕は部活に行くよ」


 猛練習が始まったのか、催促の連絡は無くなっていた。

「じゃあね」

「さよなら」



 二人の挨拶を聞いて下駄箱に向かう。外に出るともうどの部活も熱心に練習をしているのが見える。


 昇降口を出ると正面にグラウンドがあって、左手に縦に長い自転車置き場、右手には体育館。体育館で練習している部はバレー部と、バスケットボール部とあとなんだっけ……卓球部かな。


 体育館の隣にプールがあって、その前では陸上部が練習をしている。


 グランドでは校舎側からサッカー部、野球部とエリアが分かれていて、その奥は二階建ての部室棟。


 更に奥が我らがテニスコートがある。もうとっくに練習は始まっているようだ。時間的に考えても当たり前だ。


 サッカー部の横を通り過ぎる時、智と勉が見えた。二人はとても集中していて、僕が横を通っていることには全く気が付いてない様子。


 こうやって見ると智は確かにカッコいい男だ。女の子が夢中になる気持ちも分かる。性格だって悪くない。それはずっと一緒だった僕が知っていることだ。


 敢えて言うなら……小学校の時は、極まれに、自分の思い通りにいかないときにかなり不機嫌になる傾向があった。それだってあの頃より成長しているだろうから、もしかしたら今は無くなっているかもしれないこと。


 それくらいだろうな。結局これだって僕の視点から見た彼なわけで、どこまで本当の彼を知っているのかは分からない。


 前田智とは、僕が小学校に入った時に、彼が後ろに座っていて、少し言葉を交わしただけですぐに仲良くなった。それから六年間同じクラスで、毎日毎日おんなじことを繰り返すような馬鹿をいつもやっていた。


 だけど、中学校になって、初めてクラスが変わってしまい、おまけに違う部活に入ってからは殆ど接点がなくなってしまった。


 もちろん彼とは今も友達だ、それは間違いない。例えば廊下で会えば、変わらない馬鹿な話をすることがある。


 でも昔みたいに、彼が次に何を言うのか、なんてのがわかるってことはない。そんなのは幻想だったのかもしれないな。距離ができているっていうこと自体が大きな勘違いで。


 時々、智の名前がクラスの女子たちの間で上がることがある。他のクラスだってそうだ。今の彼は、それくらいの人間だってことだ。


 僕はどうだろうか? 女子はおろか、男子の間でさえ話題になることも絶対にないだろうな。


 そんなことを考え出すと、僕は彼女はおろか、友達でさえ欲しくないってことなのかもしれないな。そんなこともないのかな。良くわからん。サッカー部を通り過ぎると野球部、その奥側では陸上部が練習している。


 当たり前だけれど、ソフトテニス部の練習とはまるで違う。道具から何もかも。同じのは、同じ服を着ているってだけだ。


 進学のため、試合のため、自分のため。そのための練習。誰かの大きな声、ボールを蹴る音、バットがボールに当たる音、グラウンドの土の匂い、並んだ自転車。


 そういう、いつもの放課後の風景が、僕の感情と空の色と混ざって、目が回って倒れそうになる。危ないと思って伸ばした手が部室の扉に触れて、夢から覚めた時みたいに現実が戻ってきた。


 鍵のかかってない部室の扉を開ける。さっさと用意して練習に行かなければならない。どうしてかっていうと僕が部長だから。


 他の部活は今の時期、まだ三年が活動しているが、僕たちの部活は、三年の男子が受験のためと言って早めに引退してしまったからだ。


 とは言ってもまだ籍はあって、本当の引退は夏の試合の時。そういうのもどうかと思うけれど、上級生がいなくなってやりやすくなったのも事実だ。


 そういうことがあって、顧問の先生が部長と副部長をそれぞれ選んだ。どうして僕と高橋を選んだのかはよくわからないが、選ばれたからにはしっかりやろうと思っている。


 だから今日だってこんなに遅れても来たって訳だ。僕は部室の扉を閉めて、コートに向かう。なんて言い訳しようかな、ってこと考えながら。

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