二十二 ため息/隙間/思い込み

 いなくなったってどういうことだろうか?


 彼は今日から茨城県にいっているはずだが。


「いなくなったってどういうこと? どこから?」

「言葉の通り。彼、今日茨城県に行ったじゃない? その寮だかなんだかからいなくなっちゃったみたいなの」


「それ誰からの情報?」

「希望。彼女、そういうのは凄いから」


 深川か。彼女は僕にも言ってくれたからな。いったいどっから何を聞いてんのか不思議だ。

「今どこにいる? 家?」


「そう」

「直ぐ行くよ、待ってて」


 また自転車を飛ばす羽目になった。こんなこと繰り返すなら、もっと良い自転車を買った方が良いな。……でも、ロードバイクみたいなのって二人乗りができないか。今はそんなことより急いだ方が良いな。


 あまりに現実離れした状況だと、頭には他のことが思い浮かぶ。どうしてだろうか。


 飛ばしたら当然息が上がる。そのなかでも今日四万回目くらいのため息をついた。コツさえあればこういうことだってできる。何の自慢にもならない。……ほらまた!

 飛ばしたから直ぐに瀬川の家に着いた。彼女は玄関の前で待っていた。


「学校に行こう」

「学校?」


「うん、あいつがいるとしたら、そこしかいないよ」

「普通、家とかじゃないの?」


「家にいたらその寮だか精神病院だかに連れ戻されちまうよ」

「……乗って良い?」


 僕は頷いた。彼女を乗せて学校に向かう。なんだか、泣きそうになっていた。理由は……知るかよ。それは、もしかしたら、智は転校なんかじゃ無くて、入院したってことに、どこかで気が付いていたからかもしれない。


 瀬川は僕の腰をしっかりと握っていて、そこに彼女の手があることに僕の気分はだいぶ助けられた。


 学校についた。職員室はまだ明るい。さっき話をした工藤先生がまだ残っているみたいだ。でも、まさか一緒に探してくれなんて言えるわけが無い。さっきと違って今はもう門が閉まっているし。


 ……まてよ、さっきはどうして門が開いていたんだ? 残っている先生は工藤先生だけ、そして桜井さん学校から歩いていて『進路相談、人生相談』と言っていた。工藤先生は僕たちの担任だ、三年生の進路相談をする訳がないんだ。


 ……桜井光さんの好きな人ってもしかして、工藤先生のことなのか? そういえば、星座の本を見た、先生の机で。


「どうするの? 閉まってる」

 瀬川の声で我に返る。そう、そのことよりも今は智のことだ。


「裏門に行こう。乗って」

 僕は半周して裏門に行く。もちろんこっちの門も閉まっている。うちの学校はこういうところはしっかりしているんだ。夕方六時を過ぎると門が閉められる。先生は帰るたびに門の開け閉めをするわけだ。面倒の極みだろうよ。


「こっちも閉まっているよ?」

 僕は自転車を門の近くに倒す。茂みに隠れて見えにくくなっているから大丈夫だろう。


「確かここのあたりだと思った」

 僕は門から左に三つ離れたフェンスを強く押す。そうすると、人が一人通れるくらいの隙間が出来るんだ。ここは遅刻常習者が、遅刻しそうになった時に使う裏道。知っている人はほんのわずかで、僕は噂を知っている程度だったけれど、信じてて良かった。


「僕が押しているから、先に入って」

「うん……」


 彼女の制服が汚れない様に隙間を広く取る。彼女が入ったことを確認してから僕もそこを通る。

「うまくいった。これで探せる。車を見る限り、僕の担任しか残ってないっぽいから、職員室に近寄らなければ大丈夫だろう。さっきあったときは成績表がどうのこうのって言っていたから、出てくることはないと思う」


 瀬川は頷いた。なんだか、顔色が悪い気がする。

「瀬川さん、暗くてよく見えないけれど、顔色が良くない気がする」


 彼女は僕の手を握った。

「……怖いのよ」


 僕も彼女の手を握る。学校に侵入した高揚感ですっかり忘れていたが、気が付いてみると確かに恐怖が押し寄せてきた。ここに智がいたとして、僕たちは会ったらなんて言おう? というか、二人でいるところを智が見たらどうなるだろうか?


「どうする? 帰る?」

 無理強いはできない。そもそも、彼がここにいるって根拠はないし。


「ううん、行く。私も前田君に会わないと、駄目な気がする」

「分かった。一緒に探そう。でも、無理そうなら早めに言ってよ」


 瀬川は頷く。

「部室棟に行ってみよう」


 智のことだ。教室にはいないような気がした。長年付き合った勘だ、当てになるはずはないんだけど、今は信じるものがそれしかないんだ。先生が集中して、職員室から出てこないことを祈って、瀬川とグラウンドの端を歩く。


 ここなら自転車置き場の屋根で隠れるから見付かりにくい。それにしてもやけに静かな夜だ。いつもならもう少し車が通るはずだし、この時間なら学校にまだ、先生だって何人かは残っていたっておかしくないはず。


 でも今日残っているのは一人で、僕たちはこうやって誰にも見つからずに忍び込めている。良いのか悪いのか、智がいるのかいないのか、考えるべきことは沢山あるはずなのに、繋がった手から感じる瀬川の温もりを頼りに、次から次へと思い浮かぶ疑問を高速で読み飛ばしていく。


 どれもたいしたことじゃないような気もするし、どうしてあれを軽視してしまったのかと思うこともある。


「静かね」


 瀬川がぽつりと言った。さっきまでの感じはもう無いのかもしれないと思ったけれど、彼女は僕の手を離さなかった。僕もそう。正直、まだ不安な空気を感じていたから瀬川の手を離すわけにはいかなかった。部室棟に近づく。テニス部は一番左。サッカー部はどこだったかな……。確か、二階だったはず。


「二階に行ってみる」

「……私も行く」


 僕は頷く。ゆっくりと階段を上る。確か右端か左端だった気がする。どちらかの角だった。勉がそんなことを言っていた。


 まず、左に行く。ドアノブを回す……開かない。ドアを見ると野球部と書いてあった。ここじゃない。不安そうな瀬川の目を見てゆっくりと頷いて、右の端に行く。ドアノブを回す……開いている。


 ということは、この中に智がいるはずだろう。……ドアを開ける、ゆっくりと。キー……とドアが開く。暗い。窓はあるが、そこからあまり光は入ってきていない。グラウンドのライトも今の時間はついてないから。


 ポケットからスマートフォンを取り出してライトをつけて、ドアから中を照らす。一瞬明るくなる…………ガタン、とスマートフォンが床に落ちた。


 直ぐにドアを閉める。今見たのは気のせいだと思いたいけれど、そうではないって、もう分かっているんだ。


 スマートフォンを拾う。

「瀬川は見ない方がいい」


 僕の声は震えていた。

「ここで待っていて」


 僕の雰囲気を感じ取ったのか、彼女は頷いただけだった。手を離して、ドアを僕が通れる最小限に開けて、中に入る。もう一度、スマートフォンのライトを中に向けると、そこには智がいた。



 どうして迷わず学校に来たのか、とか、どうして一直線に部室棟に来たのか、って問いに、僕は正確には答えられないんだ。


 強いて言うなら、彼が僕を呼んだってことなのだけれど、それだって僕の思い込みでしかない。だって、そのときにはもう、彼はいなかったはずだから。このことは、考えると不思議な出来事なんだよな。


 だって、僕たちは仲違いしていたんだから。そして、結局は彼の想像したとおりになってしまったんだから。これが、彼が求めていたことなのか? 僕と、瀬川がこうやって探しに来るって、わかっていたのか?



「馬鹿野郎!」

 スマートフォンをポケットに戻して、ドアを開ける。瀬川が不安な面持ちで僕を待っていた。


「お待たせ……」

「いたの?」


「うん。いたことはいたけれど、警察と救急車が必要だ。職員室に行こう。先生に言わないといけない」


「大丈夫なの……?」

「わからない。でも、急いだ方が良さそうだ。走れる?」

「うん。実は、体育は得意なんだ」


 そういう話が、今はとてもありがたかった。僕と瀬川は走った。いつもよりずっと、ずっと速く走ったつもりだったのだけれど、僕たちが見ている景色はとても、とてもゆっくりと流れた。なんて言ったっけ、そう……。


「スローモーションみたい」

 瀬川が言った。僕たちは多分、同じ物を見て、同じことを考えていたんだ、嘘偽りなく。


 職員室にはまだ明かりがついていた。僕と瀬川は職員玄関から土足のまま入り、息を整える暇も無くドアを勢いよく開けた。


「何だ? 誰だ? 何事だ!」

「先生……」


「大崎と瀬川か? なんだこんな時間に?」

 言おうと思ったことがなかなか出てこない。急げば、間に合うかもしれないのに。


「先生、来ていただけますか? 大変なことになっています。前田君が……」

 瀬川が僕の代わりに言ってくれた。先生の顔色が変わる。


「どこだ?」

「……サッカー部の部室です。救急車と、警察を呼んだ方がいいです」

 今度は僕が言えた。


「分かった。とりあえず、現場に行こう。サッカー部の部室だって言ったよな」

 先生は机から自分の携帯とライトを持って一緒に外に出た。僕たちはまたそこまで走った。疲れているはずなのに、苦じゃなく走れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る