三 世の中/自転車/青い花
世の中が今みたいな状況になる数年前、僕は中学二年生だった(その時の事を僕は今話している)。
これを話している今の僕は高二だから、たった三年前のことなんだけれど、あの頃には想像もつかないような世の中になってしまっている(僕は少し不安になって隣にいる人の手を握る。こういう行為だって一時は、矢鱈と躊躇われたわけだけど、今はそんなことはない。
最初から、そんな躊躇いなんてまやかしでしかなかったんだけどね)。結局、良いとか悪いとかじゃなくて、そうなってしまったんだから受け入れていくしかないわけだ。
いったい誰に文句言うんだ? 言ったところで虚しさしか残らないだろう。そんなの子供だってわかる筈だ。僕が分かるくらいなんだから。犯罪者や有名人をネットで叩いて、いい気になっているのと何も変わらないんだ。
脱線した、中学の時の話に戻ろう。当時、僕は学校では、人に見られているときには良い顔をするよう努めていたけれど、学校の帰りはいつも荒れていた。部活帰りに一人になると、どういうわけか苛々して、自転車を電柱に向かって放り投げたりしていた。
一応断っておくけれど、もちろん夕方の公園とか誰もいない時間帯に、だ。誰かに見つかったら面倒という次元じゃなく面倒なことになる。間違いなく学校に両親が呼ばれるだろうし、ポリスもくるかもしれない。そんな状況は冗談じゃないと思っていた。じゃあそんなことやるなよって? ごもっとも。
今の僕、つまり十七歳の僕から見ると、ずいぶんと遠回りなことをしていたと思う。だけど、自分の中に生まれる言い様のない感情を、どうしても受け入れることができなかった。そのときに、例えば本音を言い合える友人や恋人がいたら良かったのかもしれない。
中一の終わりから中二の春にかけて、僕は正直、気が狂っていたとしか思えない。そういう行為が何も生まないってのは、今ならわかる。でも当時は分かりようがなかった。
自転車を投げたって、その時についた傷を隠したり、曲がってしまったスタンドを直すのは僕なんだから。それに、家に帰ったら両親に対して、今日も一日何もなかったって顔をしなければならない。もっとも、学校ではそんなこと微塵も出さなかったから、僕がそんなことをしていたなんて誰も知らない。
それなりに仲の良い友達だって誰も知らないだろうな。言ってしまえば、原因はそれだったのかもしれない。僕は中学校に入ってから、それまでとても仲の良かった人たちとクラスが別になり離れてしまった。
もちろん、友人が出来なかったかと言えばそうではない。できた。だけど、それは今までの関係とは少し違っていた。僕がそう思っていただけという可能性も、もちろんあるんだけれども。
そんなこんなで、帰りは方向が違うから、大体一人だった。もし、誰かと一緒だったら少しは違っただろうか? そうかもしれないな。特に、それが、本音を言い合える人なら確実に違っていただろう。僕はそのとき一人だったからやったんだろうな。
でも、学年があがって少し経った後、そんな感情はいつの間にか消えてしまっていた。どこに行ったのかも知らない。ある日、朝目が覚めたらそんな気持ちはどこかへ出かけてしまい、完全になくなっていた。
心の奥にあった、そういうモヤモヤした気持ちが全部消えていた。その日の朝、台所に行くと母親はいつもと同じ顔をしていたけれど、僕がどういう感情を持っていたのかは知っていたみたいに見えた。いつもの母親に見えていた、そういうピリピリした雰囲気が消えていたから。
その日、僕の顔を見てほっとした顔をしていた。そういうことが分かっていて、それでもいつも通りに僕に接してくれていたんだ。受け止めていてくれたんだってことをその時に初めて知った。正直に言うと、子供なんて親のエゴでしかないと思っていた。自分が好きで生まれてきたんじゃない、って。
でもそれはとても子供っぽい考え方でしかなかった。例え世間一般のセオリーとして、その年代の子供たちはそういうことを考えがちだと分かっていても、当時の僕はそう信じていたんだ。もしくは、本気で、誰からも愛されていないって思い込んでいたのかもしれない。そんなのは思い込みでしか無かった。
こうやって、あらためて当時を振り返ると、過去のことってのは本当に酷いな。ふと思い出す過去のことってのは大体綺麗に見えるものだけれど、少し冷静に俯瞰すると、自分は馬鹿しかやっていなかったってことをちゃんと思い出すものなんだ。
その頃の僕は適当に勉強や部活をして遊んでってのを繰り返していた。家にいるときは本を読んだり本当に時々ゲームをしたりとか。勉強や恋愛にはまるで無頓着だった。
付き合う人間が欲しくないかというと、それは明らかに嘘だけれど、それって誰かを『好き』じゃなくて、『彼女がいる状況』が欲しいだけなんじゃないかって思っていた。それは『誰かのこと』は考えてなくて、『自分のこと』しか考えてないってことなんだよね。
だからその時にもし、誰かと付き合ったりなんかしてたら、きっとろくな結末にならなかっただろう。本当に自分のことしか考えていない十三歳の男を一体誰が付き合ってくれるっていうんだよ? 今は年を重ねたこともあり、多少はマシになっているから、少しは考えられるようにはなっている(はずだ)。
とにかく僕はその時、本当に何も考えていなくて、何も本気になれることなんてなかった。ただ、ある出来事を通して、僕も変わった。それを今から話すわけだけれど(長い話だ)、これは僕の体験だから、最終的には話半分くらいで聞いてて欲しいんだ。
何を話しても、説明と言い訳になっちゃうからね。そうでしょう? 恋愛なんかもそうじゃないか。出会って、好きになって、相手も自分に好意を持って、付き合って……恋愛ドラマだとしたら、そういう状況を一言で、『僕たち付き合いました』だけじゃあダメだろう? だからそうなっちゃっても、ある程度は仕方ないと思ってもらえると嬉しいんだ。ただ、今から話すことは本当のことなんだ。少なくとも、僕にとっては。間違いなく本当にあったことなんだ。
行ってきます、と言って家を出て、駐車場の隅に置いてある僕の自転車に乗る。中学校のシールと番号が貼ってある。これを貼っていれば悪さはできないだろうって言われているようで、いつも変な感じになる。僕の自転車なのにね。
父親はもう家を出ているから、まだ家にいる母親に向かって挨拶して家を出る。いつもの毎日。昨日も、今日も、明日も。でも全く同じかというとそんなことはなくて、どこかは絶対に違っている。僕自身が違っていることもあるし(今朝は髪の毛がうまくセットできなかった)、あるいは母親の態度がいつもと違うことだってある(父親と喧嘩したのか?)。
僕の周りだけでこれだけ違うわけだから、学校に行くともっと人が増えるわけで、皆、少しずつ違っているはずなんだ。流れ、とでもいうのかな。それをうまく切り抜けていくことが人生で一番大事だと思っているんだけれど、そういうことってのは学校では教わらないんだよな。
テストで良い点を取る、とか、良い高校へ進学する、とかそういうことはどうでもいいんだよ。僕が自分で、今までの経験から学んだのはそれだけ。そんなことを考えながら自転車のペダルを漕ぐ。
千葉県の真ん中あたりにある田舎の中学校。東京駅から快速に乗って一時間半くらいか。でも最寄りの駅は各駅停車しか止まらないからどこかで乗り換えないと着かないような駅の近くにある中学校。聞こえてくる声は、制服がダサいとか、授業がだるいとか、今時ヘルメットかぶって自転車通学なんてあり得ない、とか。文句ってのはどんな場所でも、どんなに声が小さくても通りやすいんだよな。
僕は別に制服とか授業とか、もしくはヘルメットとかには全く関心はない。そんなことより今、自分が置かれている状況に対して何かをしたいとは思うんだけれど、それを考えようとすると言葉はいつもどこかへと行ってしまう。
進路や将来のことばかり言われるが、僕は未来で何をしたいんだろう。何をしていたいんだろう。高校は? その先は大学か? それからは? いつも、そこで考えは止まってしまう。また今度考えようって。……良いことではないって知っているんだけどね。
でも、これだって僕が『放課後自転車放り投げ期』には一切考えなかったこと。そういう意味でも、僕は少しは成長していると思うんだ。季節は六月、夏に入る前だ。学ランを着なくてよくなったから身軽にはなっているんだけれど、さっき言ったようなことを考えてしまって、心はどうも、夏前の爽やかさとはいかないみたいだ。
周りを見ると田んぼと家が点在していて、あぜ道には青い露草が咲いている。時間はまだあるから、少しの間だけ、自転車を止めてそんな風景を見る。もしいつか、ここを出てもっと大きな都会で一人暮らしをすることがあったとしたら、きっと、思い出すのはこういう景色だろうなって、そんなことを思った。
緑の稲に、ところどころ見える小さな青い花。どうしてそんなことを考えたのか、よくわからない。きっと学校に着いたら忘れてしまうだろう。もしかしたら、どこかで思い出すことがあるかもしれないけれども。
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