二 中学生/名前/物語
ここからは僕が十三歳だった中二の頃の話になる。
中学生に入ったばかりの十二歳のころ誰かに、確か教師だったと思うけれど、『どんな人にだって一つは良いところがある』と言われたことがある。それが本当かどうかなんてのは僕には判断できないのだけれど、仮にそれが本当だとしたら、僕にはどんな『良いところ』があるんだろうか?
きちんと考えてみると、そんなのはない気がするんだよね。でもそれじゃあ虚しいだけだから、ちょっと思い出したことを記す。
「大崎君は褒めるのが上手だと思うよ。だから部長に向いているんじゃないかな。そういうの、自然に出来る人って案外、少ないんだよ。人の文句を言う人はどこにだっているんだけどね」
今年の五月にそんなことを言われたんだ。僕が所属しているソフトテニス部部長になると決まった時、当時、副部長だった年上の女の子に。素直にそれを聞く気になれたのは、もしかしたら、僕がその人に好意を持っていたからかもしれない。初恋? 多分ね。いや、違うかもしれない。
正直なことを言うと、僕は誰かを好きになったことってないんだ。だから、その感情が恋なのか、それとも友情の延長なのか、もしくは尊敬なのは判断がつかなかった。どんなことだって、結局は全部タイミングみたいなものなんだ、と思う。順番が違えば、僕だって彼女に夢中になっていたかもしれない。
でもそれを言い出すと、人生すべてそうなってしまう。じゃあ生きて、何かを選択する意味って何だ? ……いや、もうやめよう、きりがない疑問。とは言っても結局それを考えてしまうわけだ。やっぱりあれは恋なんかじゃなくて、もっと純粋なものだったような気がする。何だろうね。うまく言えない。
僕は大崎要って名前で今日まで生きてきた。自分の名前が気に入っているか、いないかでいうと間違いなく気に入っているタイプの人間だろう。僕が小学校の時に調査したところによると、自分の名前が気に入っている人っていうのは極少数だった。百人に聞いて、数人。じゃあその九十何人はどう思っているかって言うと、『深く考えたことがない』という回答だった。
それはそれとして、オオサキ・カナメ、良い名前だと思わないかい? カタカナの方が漢字より良く感じるだろう。自己満足? そうだろうな。でもそれを言い出すと……。ほらね、きりがない。中学校に入ってから一度、先生に名簿の整理を頼まれたことがあった。整理の途中、休憩がてら全校生徒の名前一覧を見ていたら、僕の名前が一番、苗字と名前のバランスが良かった。
名前のバランスって何? って言われちゃうと困るんだけど、もしかしたら自分の持ち物で唯一、誰かに自慢できるものかもしれない、とも思うんだよね。中学生なんて、誇れるのもがあるって人は少ないって思うかもしれないけれど、案外そうではないんだ。
例えば、テストの点が良い人。部活で活躍しまくる人。常に何かアピールを繰り返していて、先生への印象をとにかく良くしようとする人。自分は頭が良いと思い込んでいる人。
あとは……恋人がいる人。最後のが、中学生が、他の人に対する行動としては一番なんだ。他のことは全部、結局一人のステージから抜け出せてないってことだから。
あ、名前のバランスも一緒か。なんだかんだ言っているけれど、結局は僕の独り言だと思ってもらってオーケー、だってそれ以上も以下もないからね。とにかく、こういう意味の分からない細かいことが気になる面倒な人間が僕だってわけだ。だから友達が少ないのかもしれない。
もっとも、他の人はそんなことを気にしているようには見えない。見えないだけで、実際は彼も、彼女も、先生たちだって、学校に来るときや帰るとき、家に帰って親や恋人と会話をするときとか、何かを考えているんだろうとは思うんだけど、僕はどうもそうは思えないんだ。
クラスの連中は、勉強ができる人間もできない人間も、器用な人も不器用な人も、みんな同じように頭が悪く見える。冷静になってみると、こういう思考は危険だよな。だって根底には自分が偉い、ってのがある気がするから。それに、こういう思考ってさっき僕が言った、『自分が頭が良いと思い込んでいる人間』そのものじゃないのか?
ちょっと深呼吸をして、今思ったことを箇条書きでノートの左に書いてみる。開いている右に自分の現状を書く。……どうだろうか? 僕に他人を評価できるほどの何かがあるだろうか? ないな。何もない。実績もなければ学力だってない。何もないじゃないか。自分のテストの点数が高くないのに、高得点の人をけなすのと一緒。
そういう人間を呼ぶのに、便利な呼び方がある。厨二病。結論、僕はただのそれ。それが現実。だけど、それをそのまま受け入れるってのは結構、難しいものなんだ。今は自分で分かったことだからいいけれど、これを自分以外の誰かに言われたとしたらきっと、意味もなく怒ったんじゃないかな。人ってのは本当のことを指摘されると、恥ずかしさからなのか、まず怒るからね。
僕がこれから先、もう少し大人になれば、そういうときでも少しは冷静になれるものなのかな? どうだろう。努力すれば多少はマシになるかもしれないけれど、そんな努力なんてあるのかな。
ただ、一つ言えることは、僕は自分が頭が良いとは到底思えないってことなんだ。いつも何かをやっては後悔してってのを繰り返している気がする。そんな人間は、ひっくり返ったって頭が良いとは言えない。
だけど、多少は自分が大人に近づいているような感覚は持っているんだな。去年、初めてこの制服に袖を通した時よりも、身体に合っている気がする。成長して、大きくなったってことだと思うんだけど、それでも体に対して頭が追い付いてないような気もする。学校で配られる給食プリントの栄養素みたいに、綺麗な六角形ではなくて、ある一定の部分だけ足りてない、みたいな。
僕は今十三歳の中二で、十一月になると十四歳になる。この間まで小学生だったんだ、体は大きくなってもそりゃ急には大人になんてなれるわけないよな。自分がまだ子供だってことを実感するだけなんだよ、年齢なんて。
それで話は最初に戻るわけだけど、僕が人に誇れることって結局なんだろうか?
勉強?
部活?
友達?
恋人?(好きな人さえいないんだからこれは根本的におかしい)
いつだって、答えはないことなんだ。すごい! まるで人生の入り口に立っているようじゃないか。
昼休み、頬杖をついて教科書を捲る。そうだ、最近は詩が好きなんだ。教科書に載っているものを見て興味が出て、図書室で何冊か借りた。詩は数ページで終わるから良い。小説はあんまり好きじゃない。
だって、読めば読むほど、自分が何かの物語の主人公になることは絶対にないって思えてしまうから。誰かが言う、『人は誰しも自分の物語の主人公だ』なんてことを。そうかもしれないけれど、僕は、『僕自身のストーリー』なんてごめんだな。だって、読んでいても絶対に面白くないだろうから。
最初から面白くない小説を読む人が、一体どこにいるんだろう? どう考えても誰もいないだろうよ。僕自身でさえ、最初の数ページで読むのをやめるだろう。しかし、だ。それがストーリーとかじゃなく、本当に『僕の人生という物語』なら、話は大きく変わってくる。
だって、生きている限り、それをやめることなんて出来っこないのだから。
そうだろう?
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