第3話 次女のアンナはしっかり者

エルザと共に家に戻る途中だった。


「うわあああっ!」


 向かいの道から作業着姿の男が走ってくるのが見えた。

 青ざめた表情。

 悲鳴を上げ、息を荒げ、何かから逃げているようだ。

 ――カムルの奴、どうしたんだ。あんなに怯えた表情をして。もしかして村に魔物でも現れて追われてるのか?


 警戒した俺だったが、カムルを追いかけるように走ってきたのは、魔物ではなく三姉妹の次女であるアンナだった。

 三つ編みにした髪を左肩口から垂らしている。

 彼女を見た十人中十人が『可愛らしいけど、気が強そうだなあ』と思うような高貴な猫のような顔立ちをしていた。

 三十代の作業員が、十代の女の子から必死に逃げている。

 まるで魔物に追われているかのように。


「パパ! カムルさんを捕まえて!」

「え? あ、ああ」


 俺は娘の要望を受けて、作業員――カムルの前に立ちふさがった。


「そこをどけ! カイゼル!」

「そうはいかない。娘からのお願いだからな。親としては叶えてやりたい。――すまないが観念して貰うぞ!」


 俺はカムルにタックルをかまして、道路へと倒れ込む。


「――ぐはあっ!」

「パパ、ナイス!」


 アンナはぱちんと指を鳴らすと、俺の元に駆け寄ってくる。


「カムルはどうして逃げてたんだ?」

「どうしたもこうしたもないわよ。この人、仕事中だっていうのにこっそりお酒を飲んでサボってたから。絞ってやろうと思って」

「仕方ねえだろ! たまには息抜きしてえんだよ!」

「息抜きは勤務時間外にしなさいよ。そのために炭鉱の作業時間を週五日朝八時から夕方五時に設定してるんだから」

「俺たちは気が向いた日に仕事をして、気が向いた時に帰りたいんだよ! 規則正しいのは性に合わないんだよ!」

「それだと効率が悪くなるでしょうが。働く時はきっちり働く。休む時は休む。メリハリをつけるのが大事なの」


 アンナは言った。


「もっとも――あなたがパパ並みに働けるっていうのなら、週二日、三時間労働でも今と同じ利益を生み出せるけど」

「無茶言うな! カイゼルは化け物レベルなんだ! こいつ一人で、優に作業員百人分の馬力はあるんだからな!」

「でしょう? パパくらいの能力があって、初めて泣き言が通るの。あなたは週五日八時間きっちり働かないと」

「が、ガキが俺たちの仕事に口を出すんじゃねえ!」

「ふーん。ガキがあなたたちの仕事に口を出すようになってから、炭鉱の利益が過去最大を記録したんだけど?」

「ぐっ……!」

「別にいいけどね。現場監督を降りても。元々頼まれ仕事だったし。親方さんとあなたの奥さんには報告させて貰うけど」

「そ、それは勘弁してくれ!」


 カムルは慌てたように言った。


「親方も嫁さんもアンナのことを信頼しきってるんだ! チクられたら、職場でも家庭内でも俺の立場がなくなる!」


 カムルは地べたに膝をつきながら、アンナの足にしがみついて懇願する。

 三十代の男が十歳の女の子に許しを乞う。

 それは凄い絵面だった。


「じゃあ、つべこべ言わずに働く。おっけー?」

「は、はい……」

「分かったら、さっさと現場に戻った戻った。早くしないと、貴重なお昼休みの時間がなくなっちゃうわよ?」

「く、くそう!」


 カムルはそう吐き捨てると、炭鉱の方へと駆けていった。


「はあ……。大人の人って、皆パパみたいにしっかりしてると思ったけど。実際は大人の皮を被った子供ばかりね。ちょっと甘やかすとゴネる、サボる、言い訳をする。油断も隙もあったもんじゃないわ」


 アンナは呆れたように深い溜息をついた。

 とても十歳とは思えない大人びた仕草。


「毎日、大変そうだな。炭鉱の現場監督にこの前の台風で出た村の被害の修繕。最近だと酒場の経営にも携わってるんだって?」


 そう――。

 次女のアンナは経営や人を動かすことに長けていた。

 彼女が携わることによって利益を倍増させた事業は数知れず、揉め事があっても彼女が仲裁に入れば途端に収まった。

 またアンナは年上の人たちによく好かれた。

 炭鉱の親方であったり、村長であったり、酒場のマスターであったり。年上の懐に入るのがずば抜けて上手かった。

 エルザとはまた別の方面で将来有望だ。


「向こうから頼まれたから手伝ってるの。色々と経験しておけば、将来、ギルドに入った時に役立ちそうだし」

「アンナはギルドマスターになるのが夢なんだよな」

「エルザが冒険者になりたいって言うから。この子、剣の腕以外はからっきしだし。私がマネージメントしてあげるの」

「わ、私は剣以外のこともちゃんと出来ますよ!」

「へー。じゃあ、家計の支出とかをちゃんと把握してる? 一ヶ月にいくらあれば生活が出来るとか分かる?」

「…………」


 エルザの目が点になっていた。

 ぷしゅーとオーバーヒートしてしまったようだ。

 数字には滅法弱いらしい。


「ほらね」


 アンナは勝ち誇ったように微笑んだ。


「それにパパと同じ冒険者の人たちを支えたいって気持ちもあるし。ギルドマスターの職が一番いいかなって」


 俺は知っていた。

 アンナはギルドマスターになるという目標を叶えるために、○○歳にはこうするという夢ノートを作っている。

 一年一年、細かく目標設定をしているのだ。

 きっと、アンナの夢は叶うに違いない。


「パパとエルザは今から家に帰るの?」

「ああ。アップルパイを焼くんだ」

「アップルパイ! それってパパのお手製?」

「もちろん。腕によりをかけて作るぞ」

「最高ね! 私もいっしょに行くわ!」

「仕事はいいのか?」

「パパのアップルパイに優先する仕事なんて、何もないもの♪」


 アンナは表情を輝かせると、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。

 さっきの大人っぽさは鳴りを潜め、存分に甘えてくる。……こういうところはまだまだ十歳の純真無垢な子供だ。

 俺はエルザとアンナを連れて家へと向かった。

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