第32話 城に呼び出される

「父上。折り入ってお願いがあるのですが」


 夜。自宅のリビング。

 エルザが俺の元にやってくると切り出してきた。

 俺は手元の新聞から顔を上げる。


「ん? 珍しいな。エルザが俺に頼み事なんて。いいぞ。何でも言ってくれ。できる限りのことは協力しよう」

「ありがとうございます。実は明日、城に来て欲しいのです」

「城に? 俺が?」

「ええ。プリム様が父上にお会いしたいと申しておりまして」


 プリム――というのは王都の姫君の名前だ。

 この前、お忍びで市場にやってきて食い逃げ犯扱いされていたところを、俺が代わりに代金を払って助けてあげた。


「今日はずっと駄々をこねていまして。城中、振り回されて大騒ぎだったのです。なので父上にご足労願えないかと……」


 エルザの表情は疲れ切っていた。

 近衛兵であるエルザは、言わば姫様のお目付役。ワガママを言うプリムに、随分と振り回されたであろうことが窺える。


 エルザも色々と大変なんだな……。

 思わず同情してしまった。


「他ならぬ愛娘の頼みだ。分かった」

「本当ですか! 助かりました!」


 エルザの表情に掛かっていた雲が、ぱあっと晴れ渡った。

 大きな胸に手を置くと、ほっとしたように息をついている。

 明日は一応、冒険者ギルドに行くつもりだったが、アンナに事情を伝えると、エルザの方を優先してあげてと言われた。


 ☆


 そして翌日――。

 俺はエルザと共に城へと赴いていた。

 王都の中心部にある豪奢な城――その前には跳ね橋が架かっていた。その手前の城門には騎士が左右に分かれて立っていた。

 俺たちに気づくと、騎士たちは駆け寄ってきた。

 その目の下には深い隈。


「おおっ! カイゼルさん! 来てくださいましたか! よかった……! これで姫様がもう暴れずに済む……!」

「さあ! すぐに謁見してあげてください!」


 ただ訪問しただけで、めちゃくちゃ感謝されてしまった。

 昨日、プリムはどれだけ駄々をこねたのだろうか……。

 苦笑するエルザに案内されつつ、城内に足を踏み入れる。

 高級そうな絨毯の敷かれた大理石の廊下を歩き、階段を上る。

 そして、王の間へと通じる豪奢な両開きの扉を開け放った。


「エルザ。ご苦労だったな」と出迎えたのはプリムだった。本来、王が座るべき玉座に足を組みながら座っている。

 以前の布の服ではなく、ドレス姿に身を包んでいた。

 こうして見ると、やっぱりお姫様という感じがする。一人の少女の中に、凛々しさと華々しさが見事に同居している。

 王族としての気品のようなものも漂っていた。


「あらあら~。あなたがカイゼルさん?」


 プリムの隣に座っていた女性が声を発した。

 豪奢なレースのドレス姿。

 おっとりとした雰囲気を醸し出す彼女は、絶世の美女。

 この国の女王陛下――ソニア・ヴァーゲンシュタインである。


「女王陛下。お初にお目に掛かります」と俺はその場に跪いた。

「そんな恭しくしないでも大丈夫ですよ~。実家に帰ってきたみたいな感じで、のんびりくつろいでくださいね」


 それは無茶だ。

 この厳粛な王の間でくつろげるわけがない。


「娘から話は聞いてます~。何でも代わりにお金を払って貰ったとか。ワガママな娘で手を焼いたことでしょう?」

「いえ……」

「娘の面倒を見てくださってありがとうございました~。騎士さん。例のものをカイゼルさんにお渡ししてください」

「はっ!」


 ソニアの声に応えた騎士が、俺の元へとやってきた。

 革袋を差し出してくる。

 そこには金貨がぎっしりと詰まっていた。 


「そんな! 受け取れません!」

「あら? 領地の方がよかったでしょうか?」

「そうじゃなく! 報酬なんて」

「そうはいきません。大事な愛娘を助けて頂いてお礼をしないようでは、この国の威信に関わってしまいます」

「で、でしたら、その分のお金を教会に寄付してあげてください」

「ふふっ。分かりました。カイゼルさんの言う通りにしましょう。あなたはあまり欲が無い方のようですね」


 ソニアはニコニコと頬に手を宛がいながら言った。


「エルザさんの誠実さは、お父様から受け継いだものだったのですね。ふふ。素敵な方に育てられましたね」

「あ、ありがとうございます」


 エルザは照れ臭そうに微笑みを浮かべていた。


「母上。話を戻してもいいか」

「あらあら。ごめんなさいね」


 ソニアが話の主導権を譲ると、プリムが俺の方を見やる。そしてまだ十歳とは思えないほどの威厳ある口調で言った。


「カイゼルよ。お前を呼び出したのは他でもない。この私――プリム・ヴァーゲンシュタインの所有物(もの)になれッ!」

「えっ?」

「私はお前のことを気に入った。私は気に入ったものは、何でも手中に収めなければ気が済まない性質なのでな」

「プリムちゃん。言い方が乱暴でしょう?」


 ソニアはやんわりと窘めると、困ったように俺へ微笑みかけてくる。


「この子、よっぽどカイゼルさんのことが気に入ったみたいで。うちの人は五年前に亡くなってしまいましたから。父親に飢えているのだと思います」


 そう――。

 この国の国王は五年前に病気で亡くなってしまっていた。


「プリムちゃんは所有物にしたいと言っていましたが、私としてはカイゼルさんには家庭教師になって欲しいのです」

「家庭教師ですか」

「ええ。この子に勉強や外の世界のことを教えてあげて欲しいのです。私としてもエルザさんの父親であるカイゼルさんなら、安心して任せられますし。どうでしょうか? 引き受けて頂けませんか?」

「話を頂けたのは光栄なのですが……。俺は他にも仕事を掛け持ちしていまして。掛かりきりは難しいと思います」

「もちろん、カイゼルさんのご都合のつく日だけで構いません。ふらりと遊びに来るようなお気持ちでいいので」


 ふらっと遊びに来る気持ちにはなれないと思うが……。

 しかし――。

 プリムは幼い頃に父親を亡くしている。

 ワガママ奔放にしているのも、実は寂しいからなのかもしれないな。

 構って欲しいんだ。きっと。


「俺で力になれるのなら、引き受けます」

「本当か!?」とプリムの表情は華やいだ。

「カイゼルさん。ありがとうございます。手間の掛かる子だとは思いますが、どうかよろしくお願いいたしますね」


 こうして、俺は姫君の家庭教師を引き受けることに。

 これで騎士団の教官、冒険者、魔法学園の非常勤講師に加えて、四つ目の仕事を手に入れたことになる。

 恐ろしいほどのパラレルワークだ。


 そのうち、過労死するんじゃなかろうか……。

 思わずそんな想像をしてしまう俺であった。

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