第31話 万引き少女
明くる日。
俺は午前中、アンナに頼まれた冒険者ギルドのCランクの依頼をこなし、午後からは半休となっていた。
珍しく特に予定があるわけでもない。
なので、宛てもなく市場をぶらぶらと歩いていた。
相変わらず、市場内は人で賑わっていた。するとその時、人混みの中を掻き分けるようにして向かいから走ってくる者が。
それは――小さな女の子だった。布の服に身を包んでいる。
年齢は恐らく十歳前後だろう。
つんとした猫のような顔立ち。目は水晶のように大きい。その外見はまるで人形のように浮き世離れした可愛さがある。
そんな彼女は――なぜか必死の形相をしていた。
「おい! 誰か! その子を捕まえてくれ!」
少女の肩口越しに飛んできた声。
――何だ? もしかして、誰かが少女を誘拐しようとして?
そう思ったが、少女の捕獲を要請したのが顔見知りの店主だったのを見て、俺はどちらの陣営につくのかを決めた。
少女が俺の傍を通り抜けようとしたところを、足を引っかけた。重心が前に崩れるのを差し出した右腕で支える。
そのまま彼女の華奢な体躯を小脇に抱え込んだ。
「離せ! 離さんか! バカモノッ!」
俺に抱えられた少女が、両足をバタバタと動かしながら抵抗しようとする。しかし逃げ出すことは敵わない。
その内、店主が追いついてきた。
両膝に手を置いて、肩で呼吸をする。
「はあ。はあ……」
「いったいどうしたんです?」
「いや。この娘がうちの商品を食い逃げしたんだ。店先に並んでいたリンゴを勝手に手に取って食べやがった」
「私は食い逃げなどという卑劣な真似はしていない! リンゴを食べるのに金が必要だと知らなかったんだ!」
「どういうことだ?」と俺は少女に尋ねた。
彼女曰く――。
市場を歩いていたら、おいしそうなリンゴが店先に並んでいた。
ちょうど小腹も空いていたので、手にとって食べた。店のリンゴを食べるのに金が必要になるのだとは知らなかった。すると、店主に『こらっ!』と怒鳴られて、びっくりして咄嗟に逃げ出してしまった――ということらしい。
「そんな言い訳が通じるかッ! この泥棒娘が!」
「なっ――! 私が泥棒娘だと!? ふざけるなッ! 店主、貴様、今の言葉は取り消して貰おうか!」
「取り消して欲しいなら、まず金を払え!」
「うぐっ……。金は……持っていない……」
「だったらムリだな! とにかく、巡回中の騎士に来て貰う。親を呼び出して、食い逃げの罪を償って貰おうか」
「き、騎士を呼ぶのは勘弁して欲しい! 後生の頼みだ! 親を呼び出されたら、お前も良くないことになる」
「なんだそりゃ。どうして俺が良くないことになるんだよ」
「そ、それは……」
「――ったく。脅そうとしても無駄だ。そんなに通報しないで欲しいなら、まずはリンゴの代金を払うんだな」
「だから、金はないと言っているだろう!」
話が堂々巡りをしていた。
このままではきっと、店主が騎士を呼ぶことになるだろう。そうすれば少女はこってりと絞られることになる。
それは可哀想だよな……。仕方ない。
「じゃあ、ここは俺が代金を払いますよ」
「「えっ!?」」
少女も店主も同時に俺の方を見やった。
「カイゼルさん。本気かい?」
店主が信じられないというふうに尋ねてくる。
「ええ。この子、お金を持ってないみたいだし。反省もしてるみたいだし。ここは俺の顔に免じて許してやってよ」
俺はそう言うと、店主にお金を握らせた。
リンゴの十倍近い値段。
「こ、こんなに……?」
「まあ。迷惑料みたいなもんだと思ってくれれば」
「いつもご贔屓にしてくれてるあんたがそう言うのなら……。おい、小娘。カイゼルさんに感謝しておくんだな」
店主はどうやら許してくれたらしい。
少女に向かって「しっしっ」とハエを払うような仕草をすると、少女は「んべーっ」と目を剥いて舌を覗かせた。
「こ、このガキャ!」
「うるさい! バーカバーカ!」
少女は店主を煽るだけ煽ると、店の前から走り去っていった。しばらく行ったところで俺に向かって声を掛けてきた。
「礼を言う。お前のおかげで助かった」
「そりゃよかった」
「だが、なぜ私の代わりに金を払った? 私とお前は赤の他人。わざわざ金を払ってやる義理はないはずだが」
少女ははっとしたような表情になる。
「もしかして、お前……ロリコンか? 私に恩を売って……その代わりにいかがわしい事をしようとしているのか?」
「そんなわけないだろ」
俺は苦笑すると、
「あの場はああしないと収まらなかっただろうし。それに君はお金を払わないとリンゴが食べられないのを知らなかったんだろ? だったら、今後はもうしないだろうし、騎士や両親を呼ぶのはやり過ぎかなって」
「私がその場しのぎの嘘を吐いていたかもしれんだろう」
「もしそうだとすれば、そんなことは聞いてこないだろ。それに君が嘘つきじゃないことは目を見れば分かるさ」
冒険者としての勘だ。
「くっ……ははは!」
少女は突如、高らかに笑い出した。
「お前、面白い奴だな。気に入った!」
気に入られてしまった。
「お前。名前は?」
「カイゼルだけど」
「そうか。カイゼルか――って、ん? カイゼル? お前……もしかして、エルザという娘がいるのではないか?」
「エルザは確かに俺の娘だが……。知ってるのか?」
「知ってるも何も、彼女は――」
少女が何か言葉を紡ごうとしたその瞬間だった。
「プリム様!」
聞き覚えのある凛とした声が響いた。
見ると、騎士団の鎧をつけたエルザがこっちに駆けてきていた。
プリム――というのは彼女の名前だろうか。
「プリム様。探しましたよ。また勝手に城を抜け出して。城の方々や騎士団一同、大慌てだったんですからね」
「ふっふっふ。誰にも見つからんよう万全を尽くしたからな」
「自慢げに言わないでください」
エルザはそこでプリムの隣にいた俺に気づいた。
「父上。どうしてここに?」
「いや。ちょっとな。それよりこの子は? 知り合いなのか?」
「知り合いというか……」
どうしたのだろう。妙に歯切れが悪いな。
「エルザは私の近衛兵だ」
プリムがエルザの代わりに応えた。
「近衛兵? ってことは……」
エルザがこくりと頷いた。
「このお方――プリム様はこの国の姫君です」
「ええっ!?」
つまり――姫様ってことか!?
国王陛下と女王陛下の娘。
「そうだ。私の名はプリム・ヴァーゲンシュタイン。偉大なる王――ソドム・ヴァーゲンシュタインの一人娘だ」
「プリム様。とにかく城に戻りますよ。皆が心配しています」
「ふむ……。まだしたいことはたくさんあったのだが。仕方ないな。今日のところは素直に従っておくことにしよう」
プリムはそう言うと、
「カイゼル。今日は助かったぞ。では、またな」
と言い残して去っていった。
「姫様! お待ちください!」
エルザがその後を慌てて追いかけていく。あの様子からして、近衛兵として日々姫様に振り回されているのだろう。
――あの子はまさか、姫様だったとはな……。
さっきの店主が騎士を呼び、ご両親を呼び出すことになっていたら、今頃はえらいことになっていただろう。この国の最高権力者がやってくるのだ。下手をすると店主の首が飛ぶことにもなりかねない。
姫様が通報されるのを嫌がったのは、保身というよりは、どちらかというとそっちの方が大きいのかもしれない。
俺はプリムを助けたつもりだったのだが、結果的には、店主の命運をも救っていたことになるのかもしれない。
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