第30話 魔法学園の飲み会

 夜。

 大衆酒場のテーブルの前に俺は座っていた。

 同席していたのは魔法学園の学園長であるマリリン。教師のイレーネ。そして俺を目の敵にしていたノーマンの三人だ。


「えー。今日はよく集まってくれた。儂も含めた魔法学園の講師陣で卓を囲み、お互いに親睦を深められればと思う。無礼講じゃ」


 マリリンは卓を囲む面々を見回すと、にんまりと笑った。


「では、皆の衆、乾杯と行こうか」

「「乾杯!」」


 俺たちは各々の掲げた杯を重ね合わせた。

 その後、ジョッキに入ったエールをぐいっと呑んだ。キンキンに冷えたほろ苦いエールが喉元を通り抜け、五臓六腑に染み渡る。

 ちなみに全員、飲み物はエールを注文していた。


「学園長。大丈夫なのですか? エールを呑んでも。学園長の見た目であれば、ジュースを頼むのが鉄板では?」とイレーネが言った。

「バカを言うな。儂は未成年ではない。立派な大人じゃ。オレンジジュースのようなガキの飲み物で満足できるか」

「学園長は普段から、お酒を嗜むんですか?」と俺が尋ねる。

「うむ。アルコール濃度は強ければ強いほど良い。酔いが回っている時だけが、儂が儂でいられる時間だからのう」

「アル中みたいなことを言ってる……」


 幼女の見た目からは、飛び出さないであろう言葉だ。


「それよりカイゼル。お主のことじゃ」

「俺のことですか?」

「授業、随分と評判になっているらしいの。何でも、他クラスの生徒が自分の授業をサボって聴講に来るほどだとか」

「ええ。それに教師陣もよく聴講に訪れていますよ。かくいう私も、カイゼルさんに勉強させて頂いています」


 イレーネは自分の授業がある時以外、ほとんど毎回聴講に訪れていた。

 授業終わりには生徒に混じって質問にも来る。

 勉強熱心だな、と俺はいつも感心していた。


「学園長。カイゼルさんの授業は凄いんですよ。凄く複雑な内容を、誰にでも分かるような平明さで伝えるんです。本当に目から鱗が落ちることばかりで。教室としても魔法使いとしても尊敬することしきりです」

「イレーネ。お主、随分と熱心に語るのう」


 マリリンはにやりと口元を歪めた。


「もしや、カイゼルに惚れておるのか? んん?」

「ひゃわっ!? ほ、惚れっ!?」


 イレーネはわたわたと胸の前で両手を振り、狼狽している。顔が真っ赤になっているのは酒のせいだけではないだろう。

 マリリンはその反応を見て満足気にすると――。


「カイゼル。お主、娘はおるが、結婚はしておらんのだろ? だったら、イレーネと結婚してみてはどうじゃ?」

「け、結婚ですか?」

「うむ。イレーネは堅物じゃが、器量は良いし、胸は大きく安産体型じゃ」

「学園長! 止めてください! セクハラで訴えますよ! 次に会うのは法廷ということにもなりますが!?」

「くっくっく。儂は魔法学園の学園長じゃからな。訴えられたところで、法廷に根回しをすれば勝つことは容易い」

「け、権力者めえ……!」


 イレーネはマリリンを恨みがましく睨みつけていた。

 マリリンをその睨みを受けても、何のことはない涼しい表情をしていた。睨みもそしりも意にも介していない。


「どうじゃ。カイゼル。イレーネのような女はタイプでないか?」

「いえ。素敵な女性だと思いますよ」

「ふああっ!? か、カイゼルさん!?」


 イレーネは声を裏返らせて叫んだ。

 そしてもじもじとしながら――。


「困ります……。そんな……。いえ。嬉しくはあるのですが……。カイゼルさんにはすでに三人の娘さんがいますし……。私との間に子供が出来たら、その子と娘さんたちの間に軋轢が生まれるかも……」

「もう子供が生まれた後のことを考えておるのか? イレーネよ。お主、妄想が捗りすぎているのではないか?」


 マリリンは呆れ混じりに呟いた。


「それと、今のカイゼルの『素敵な女性だと思います』という言葉は、告白ではなくただの社交辞令だと思うぞ?」

「えっ!?」とイレーネは驚愕の声を漏らす。

「お主は真に受けていたようじゃが……。やはり、交際経験のない生娘のままだとピュアになってしまうんじゃなあ」

「…………」


 イレーネのメガネの奥の瞳の明かりがふっと消えた。


「学園長。今すぐ私を魔法で消し去ってください。粒子一つ残らないほどに。記憶と肉体を全て消し飛ばしてください」

「えー。面倒くさいのう。酔ってる時に魔法使いとうない」

「お願いです! このまま恥を抱えたまま生きていたくありません! 生娘特有の自意識をこじらせてしまって! うう!」

「良いじゃないか! 生娘でも! いや、生娘こそが最高だ!」


 ドン!

 さっきから沈黙を保っていたノーマンが、テーブルを思い切り叩いた。

 その目には尋常ならざる熱意の光。


「ノーマン。お主……処女厨だったのか?」

「当然だ! 男は皆、処女厨に決まっている! 処女こそが至高の存在! 婚姻前の非処女は全員、牢屋にぶちこんでおけッ!」


 ノーマンは熱っぽく弁舌を振るった。


「これは中々、芳醇な処女厨じゃのう」


 マリリンは苦笑していた。


「ノーマンさん。正直、引いてしまいます」


 イレーネは冷め切った目をしていた。


「…………」


 ノーマンとしては、イレーネを擁護するために吐いた言葉だったのだろう。しかし当の彼女からは引かれてしまった。

 ノーマンはごほん、と一度咳払いをしたかと思うと――。


「ええい! 酒を持ってこい! 記憶をなくすほどッ!」


 ぐびぐびとエールを流し込み始めた。

 イレーネは学園長に魔法で自身を消して欲しいと懇願し、ノーマンは記憶を飛ばすほどエールをがぶ飲みしている。

 飲み会の場はカオスと化していた。


「くっくっく……。飲み会はこうでなくてはの♪」


 マリリンは一人、下々の民を見下ろす神のように静観していた。

 

 ☆


「うっぷ。おえ」

「ノーマン。しっかりしろ」


 店の外。

 夜も更けた大通り。

 俺は酔いつぶれたノーマンに肩を貸し、介抱しながら歩いていた。


「ぐぐっ……。私はもうダメだ。教師としての威厳を失い、イレーネ先生にはすっかりと愛想を尽かされてしまった」

「そう悲観しなくとも。あんたは魔法使いとしての実力は確かなんだ。これから名誉挽回のチャンスはいくらでもあるさ」

「カイゼル。貴様。私の肩を持ってくれるというのか……! あれだけ私が嫌みな対応をとり続けたのに……!」

「人間、外の人間が上手くいってたら気分のいいものじゃない。あんたの気持ちは、俺も理解できるつもりだ。それに」

「それに?」

「俺たちは同じ魔法学園の講師だろう? 助け合いだよ」


 俺はノーマンに向かって微笑みかけた。


「おお。カイゼル。心の友よ……! 私を分かってくれるのは貴様だけだ……! 世の中捨てたものではないな」


 ノーマンはそう言うと、


「カイゼル。二軒目に行くぞ。私が奢る」

「えっ。まだ呑むのか?」

「当然だ。男同士の夜は長いのだからな」

「……やれやれ。仕方ないな。付き合おう」

「そうこなくては」


 月夜の下、俺たちは二軒目の酒場に向かって歩いて行く。

 そして朝が来るまでノーマンと飲み明かしたのだった。

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