第二十三話

 刹那の予想通り、酷く退屈な一日だった。始業式で体育館に並び、ただひたすら前に立つ教員の話を聞く。


 まるで終業式の再上映だ。まるで中身の無い教員等の話や、数人の生徒が貧血を起こし、しゃがみこむ様に崩れ落ちる様など、本当に時空を遡ってしまったのかと勘違いを起こしそうになる。


 何十回と欠伸を噛み殺し、何度も空想に意識を逃した後、ようやく式が終わり、刹那達は元の教室に戻る。学級委員が教室の鍵を開錠し、扉を開いたと同時にチャイムが鳴った。


 休み時間だ。担任が配布物を職員室へ取りに教室から出た。生徒達が騒ぎ出し、教室が賑やかになった。


 教室へ戻って来た生徒の中に、獅童の姿は無かった。誠也を中心とした連中が、何やらひそひそと噂話を交わす。時折、彼等の視線が刹那の方にチラリと向けられるのが分かった。


 煩わしい物を見るような視線。どうやら、獅童はかなりマズい字状況にいるようだ。


 だが、刹那にとって、そんな事は知った事ではない。向こうが仕掛けて来た喧嘩に、彼女なりのやり方で応えたまでの事。


 仕掛ける相手を見誤ったわね。


 やる事も無く、刹那は窓の外に視線を移す。少しして担任が配布物を持って、教室へ戻って来た。プリント数枚を配り、細かい口頭連絡を告げる。どれも重要と思えなかったので、刹那は適当に聞き流した。


「さて、今日はこれで終わりだ」

 

 手を一つ打ち鳴らし、担任は言った。続けて午後の過ごし方にいくつか注意を促し、解散を告げる。


 刹那は軽い学生鞄を手に取り、席から立ち上がった。生徒たちは皆、我先にと教室から出て行く。空いた時間でどこに遊びに行くか、騒がしく生徒同士で話し合う声が廊下や教室の中に響いた。


 鞄を左肩に引っ掛け、刹那は静かに外へ向かう。


「おい、間宮」


 喧騒に混じり、担任教師の声が刹那の耳元に届いた。無視して帰ろうかと思ったが、変に怒らせて面倒なことになるのは煩わしかったので、彼女は担任の方へ顔を向ける。


「お前、殴られた傷は大丈夫なのか?」

「えぇ、まぁ」


 いつもの事ですから。刹那は胸の中で呟く。口に出したら、どんな面倒なことになるか、分かったものでは無い。


「もし痛むようだったら、すぐに言いなさい」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですので」

「獅童は暫く停学になった」


 「あら、災難」と、刹那は思った。まぁ、暫く絡まれないと考えれば吉か。


「そうですか、残念です」

「……何と言うか、本当に大丈夫か?」

「はい?」


 刹那は人が居なくなった教室の中で足を止める。


「何と言うか、他人事みたいに話すんだな」

「はぁ」

「殴られたのはお前自身なんだぞ?」

「そうですが、何か?」


 顔を傾げながら言った刹那に、担任は少し眉を顰めた。小さく口を開くが、いう事が見つからなかったようで、顔を振りながら口を閉じ、寄っかかっていた教卓から身を立てて言った。


「……まぁいい。それじゃ、さようなら」

「はい、さようなら」


 それだけ言い、刹那はやっと教室から出た。




 バイクを運転し、一直線に家まで戻って来た刹那は、私服に着替えてソファの上に寝転がり、携帯を覗いた。


 メッセージアプリの通知は来ていない。あかりからの連絡はないという事だ。刹那は小さく溜息を付き、携帯をスリープモードに戻した。


 連絡が取れないほど体調が悪いという事なのだろうか。家に行こうかとも思ったが、いくら仲直りしたとはいえ、いきなり上がり込むのも気が引ける。


 会いに行きたい気持ちをぐっと我慢して、刹那は携帯をソファーの前のローテーブルに、画面を下向きにして置いた。気分を変える為、起き上がってキッチンの方へ行く。


 お湯を沸かしてコーヒーを淹れ、ローテーブルの前に腰を下ろしてテレビを付けた。


「えー、次のニュースです」


 ニュースキャスターが淡々とニュースを伝えている。今日の未明に、女性の死体が川に浮いた状態で発見されたという話だ。


 刹那はコーヒーを一口飲み、テレビに耳を傾ける。どうやら、例の川は彼女のアパートにかなり近い場所を流れているようだった。


 付近の住宅街で、不審な男性数名のグループが目撃されているという。うち一人は女性の家の玄関を叩く姿が目撃されていて、彼が何か事情を知っていると見て、警察が捜査を進めている、という事らしい。


 気分の悪い話ね、と刹那は思った。ふと思い立って、寝室へ行き、ベッドの下から拳銃を取り出す。USPとCZ75、どちらにしようかと迷ったが、結局USPの方を手に取り、リビングの方へ戻った。


 弾倉を抜き、遊底を引く。弾は入っていない。銃口を窓の外に向け、引き金を引いて、空の薬室を叩いた。


 カチンと金属音が鳴る。悪党を一人、また始末する。


 刹那は自分自身を鼻で笑い、ソファーに放り出していた弾倉を銃本体に戻した。溜息を付き、握った拳銃に目を落とす。


 撃ちたい気分。


 こんな気分になったのは初めてだった。あかりに会えぬもどかしさか、それとも今流れたニュースのせいか。銃口から響く轟音や、掌を打つ衝撃が欲しい。


 リビングに掛けた時計を見る。昼前だ。結社のビルが閉まる時間はずっと先だ。


 どうせ家にいてもやる事など無いのだ。刹那は寝室へ移動し、ボディバッグをクローゼットから取り出した。空のUSPを中に放り込み、アパートを出てバイクに跨る。


 バイクを出し、暫く走らせて結社のビルへ向かった。駐車場の適当な場所にバイクを停め、ビルの入り口をくぐる。廊下を進み、正面から来るスーツ姿の男二人組をすれ違った。


 肩幅の広い若い男と、三十代くらいの細身な男だ。


「あぁ、ちょっと」


 若い方が刹那の方に向き直り、彼女の背中に声を掛けた。彼女が振り返ると、「なんで子供がここに居るんだ?」という表情を顔に浮かべながら、若い男は刹那に近づいた。


「あのさ、ここは――」

「おいよせ」


 三十代くらいの男が、若い男の肩に手を置いて言った。首を傾げながら、若い男は彼の方に顔を向ける。が、すぐに刹那の方に向き直り、彼女の左手首を右手で掴んだ。


「ここは君の様な子が来るところじゃない」


 若い男は言い、そのまま彼女の手を引いて、ビルの外へ連れ出そうとする。


「ほら、こっちに――」


 刹那は掴まれた左手をくるりと回し、若い男の手首を掴み返した。反対の手で相手の二の腕をとり、自分より倍ほどの体格がある男をビルの床へ引き倒す。


 まさか反撃を食らうと思っていなかった彼は、されるがまま背中から地面に倒され、目を驚愕に見開いた。


 ボディバックのファスナーを開け、中から取り出した空のUSPを若い男の額に突きつけ、刹那は言う。


「私が来る場所じゃない」


 撃鉄を起こし、引き金に指を掛ける。


「これでも、そう言える?」


 若い男は突然の事に戸惑った様子で、口をパクパクさせる。刹那は引き金を引き、撃針を叩いた撃鉄がカチンと乾いた音を響かせた。


 若い男が「ぐッ」と喉を鳴らす。どうやら弾が入っていると思っていたらしい。


 刹那は声を出して短く笑い、男を解放した。細身の男が彼の手を引いて立ち上がらせ、地面に引き倒されて真っ白になった彼の背中を叩きながら言う。


「悪い。コイツはまだ入ったばっかりで……」

「別に気にしてないわ」


 バツの悪そうな顔を浮かべながら言った細身の彼に対し、刹那は銃をバッグに戻しながら言った。捻り上げられた右手首を押さえながら起き上がって来た若い男が、痛みに歪む顔を刹那の方へ向ける。


「あの、これは一体――」

「相手を見た目で判断しない事」

「は、はい?」

「あなた、一回死んだわ」


 若い男は首を傾げ、キョトンとした表情を向ける。勘の悪い男だ、と刹那は思った。この調子では、彼は早晩死ぬ事になるだろう。


 踵を返し、刹那はビルの地下へ向かった。背後で、細身の男が若い男の肩に手を当て、正面玄関の方へ歩いて行くのが分かった。


 廊下を歩いた先に設置されているエレベーターの下降ボタンを押し、籠が降りて来るのを待った。停まっている階を示すデジタル表記が刹那の階で止まり、扉が開いた。


 中に乗っている人物を見て、刹那は思わず「あっ」と言葉を漏らした。相手はその声に顔を上げ、刹那の方に目を向ける。


「よう」


 いつもの挨拶。彼はいつも通り表情を動かさずにそう言った。革のミリタリージャケットを中心とした、いつもの格好だ。


 が、一つ違う所があった。彼の頭には茶色の中折れ帽が乗っかっている。刹那が福岡のお土産として、彼に渡したものだった。


「それ、気に入った?」


 エレベーターに乗り込みながら、刹那は言った。クロウは鍔に手を持って行き、目深にかぶり直しながら言った。


「まぁな。町で人とすれ違う時、嫌でも向けられる目の傷へ視線を気にせずに済む」

「その傷、コンプレックスだったの?」

「まさか。ただ、相手の視線は嫌でも分かるし、あまりじろじろ見られて気分の良いものでも無いからな」


 刹那は地下一階のボタンを押し、エレベーターが下降を開始した。


「あと、子供に怖がられなくなった」


 帽子の鍔を爪で弾きながら、クロウは続ける。


「意外。そんなの気にするんだ」

「アイツ等は特にあからさまだからな」


 彼は刹那の背後、エレベーターのスイッチパネルの方を覗き込んで言う。


「地下一階……撃ちに来たのか」

「そう。ちょっと気分転換に」

「学校で、何かあったのか?」


 図星だ。少なくとも、ここへ来た理由の一つはそれだ。刹那は彼に見える様に大きく息を付き、言う。


「半分当たり。何も言って無いのに、言い当てないで」

「それほどわかりやすいって事だ」


 クロウが言う。帽子に隠れていてよく見えなかったが、少し笑っているようだった。


 顔が見えないからって、と刹那は胸の内で文句を垂れる。


 帽子、あげるんじゃなかった。


 エレベーターが選択した地下一階で止まり、刹那は開いた扉をくぐった。後ろからクロウも付いて来る。


「貴方もここで降りるの?」

「いや、目的地はもう少し下だったが、急ぎの用事じゃない」

「だとしても、何で降りたのよ」

「お前と同じだ」


 そう言いながら、彼は腰に差したリボルバーを引き抜いて、刹那の方に掲げた。


「少し、自分の腕を確かめておこうと思ってな」

「そう」


 刹那は言い、廊下を進んだ先にある黒い扉を開く。


 その中は射撃場になっていた。仕切りで五つに分けられた射撃レーンがあり、それぞれの奥に人型の的が描かれた紙のターゲットが吊り下げられている。仕切りには的を動かすスイッチがあり、そのすぐ下のフックに耳当てが掛けられていた。


 刹那は射撃場に入った側、入口のすぐ隣に置かれている金庫を開き、中に積み上げられていた九ミリ弾の箱を手に取ってレーンの一つに向かう。USPを取り出し、手元の台に銃本体と弾薬箱を置いた。


 弾倉を引き抜き、指で一発一発弾丸を込めていく。


 クロウは彼女の隣のレーンに立ち、外した帽子を耳当てと入れ替えてフックに吊るした。耳当てを掛け、しっかりと耳を保護する。


 刹那が弾を込め終え、弾倉を銃本体に戻し、遊底を引く。丁度その時、クロウが隣のレーンから言った。


「撃つぞ」

「あ、待って」


 刹那は耳当てを付け、そして返す。


「よし、いいよ」


 彼女のすぐ隣、右のレーンで、凄まじい発火炎が上がった。耳当てをしているのにも拘らず、かなりの轟音が耳に届いて来る。


 刹那も負けじと拳銃を構える。遠くに見える紙の的に狙いを定め、撃つ。クロウのリボルバーに比べれば、かなり控えめな発砲音だったが、その分狙いも付けやすく、反動も小さいため連射が利く。


 クロウのリボルバーに装填されている八発のマグナム弾と、USPに込めた十五発。それぞれを打ち切るのにかかった時間は、ほぼ変わらなかった。


 刹那は仕切りに設置されたスイッチを操作して、紙の的を手前へ移動させた。発砲した十五発の内、二発は頭を狙い、残りは胴体を狙った射撃だ。的を見てみると、概ね狙った場所に着弾しているようだった。


 的を手に取り、耳当てを頭から外して仕切りのフックに掛けなおす。クロウに結果を自慢してやろうと思い、仕切りの向こうに居る彼の方へ歩いた。


 クロウも的を手に取り、着弾位置を確かめている所だった。


「どうだった?」


 刹那が言うと、クロウは自分の的を彼女の方に掲げる。頭と胸に、コイン三枚分ほどの大穴が穿っていた。


「頭と胸に四発ずつ。前はもう少し小さかったんだがな」


 少し肩を落としながら、そう言ったクロウを前にして、刹那は自分の的をサッと背中に隠した。彼の物に比べれば、刹那のそれは文字通りのハチの巣と何ら変わらない状態だったからだ。


「そっちは?」

「……見せたくない」


 視線を避けながら言うと、クロウは鼻で笑い、「そうか」と一言だけ言った。彼はリボルバーのシリンダーを振り出し、前方に突き出たロッドを押下し、空薬莢を排莢する。ジャケットのポケットからクリップで束ねたマグナム弾を取り出して、一発づつシリンダーの穴に込めた。


 刹那は隣のレーンに戻り、抜き取った弾倉に再び九ミリ弾を込め直す。


 仕切りの向こうから、クロウの声が響いた。


「そういえば、あの子と仲直りできたんだってな」


 刹那は一旦手を止めた。


「マイアから聞いたよ」

「うん、何とかね」

「よかったな」

「ありがと。でも、彼女今日は休みだった」

「それは残念だ」


 クロウの再装填が終わり、シリンダーを戻したカチリと言う音が射撃場の中に反響した。


「今日、ニュース見たの」


 刹那は右手で弾丸を摘み上げながら言う。仕切りの向こうで、クロウが手を止めるのが分かった。


「女の人が殺されて、川に捨てられてたんだって」

「胸糞の悪い話だ」

「その人の家の付近で、数人の男性グループが目撃されてる」

「そいつらが犯人か?」

「恐らく」


 刹那は弾倉を銃に込め、遊底を引いた。


「殺したいか」


 クロウが言った。やはり、彼は的確に図星を点いて来る。


「当たり」

「そうか。なら一つだけ言っておく」


 彼は銃を構え、言った。


「馬鹿な真似はするな」


 撃鉄を起こし、慎重に狙いを定め、新たな的に一発撃ち込む。凄まじい発砲音。


「そうなった時、お前を始末するのは俺の役目だ。そうさせるな」


 彼の言葉を聞き、刹那は射撃の構えを取る。


「えぇ、しない」


 的の頭に狙いを定め、言った。


「させる訳無い」


 そして、引き金を引く。









 


 



 


 






 


 


 




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