第十二話

 みすぼらしいボロボロの制服の上に、クロウのジャケットを羽織った状態で部屋の外に出ると、辺りは既に暗くなっていた。空に太陽は既に無く、西から指す弱い陽光が、辛うじて空を青黒く照らしているような状態だ。


 吹いた木枯らしがジャケットの裾を揺らし、肌着一枚の刹那の身体を震わした。


 寒い。


 ジャケットの前をファスナーで閉じ、ポケットの中に両手を突っ込む。コマンドセーター姿のジャッカルも、刹那よりは厚着だが同じ思いのはずだ。が、彼はそんな様子をおくびにも出さなかった。


 部屋から出て初めて、刹那は自分が古いアパートの一室に囚われていた事が分かった。壁や屋根を構成するコンクリートには所々にヒビや染みがあり、耐震性に関して非常に不安が残る建物だ。


 試しに壁面を軽く蹴飛ばして見る。コンクリートの破片がヒビの中からポロポロと零れ落ちた。


 溜息を付き、刹那はクロウの後を追ってアパートの駐車場へ下りた。彼は頭を前にして駐車スペースに停めていた、白いスバルに乗り込む。結社の社用車であり、彼のマークXと同じく防弾仕様に改造されたWRX・STIスポーツだ。


 ナンバープレートを付け替える事は出来ないが、の際は十分頼りになる車だ。マークXと違い四輪駆動であるため、ある程度の悪路も走破することが出来る。


「後ろに着替えを置いてある」


 クロウが言い、運転席に乗り込む。刹那は後部座席に乗り込み、ジャケットを脱いで、前に座る彼に返した。


 無言で受け取り、クロウはジャケットを着る。クラッチを踏んでスタートスイッチを押下し、車のエンジンを掛けた。


 刹那は用意されていた服に着替える。いつもの服、ヴァイパーのだ。コートも新しい物が用意されていた。学校帰りに着ていたコートは誘拐犯たちに処分されたらしい。


 着替えを終えると、彼女は一旦車から降りて助手席に移った。シートベルトを締めると、クロウはギアをバックに入れて駐車場から車を出し、細い道路を進む。二回右折して幹線道路と合流し、道路沿いに車を走らせる。


 車窓の外を流れていくのは、見ず知らずの景色だった。どうやらかなり遠い所まで連れ去られていた様で、青い案内標識に記されている土地の名前も馴染みのない物ばかりだ。


「どうして、ここが?」


 刹那は窓の外に目をやったまま、呟くように言う。クロウは視線を前に向けたまま答えた。


「バイクが倒しっぱなしだった」

「え?」

「あのSRだが、実はタンクに発信機を放り込んであってな」

「……知らなかった」

「妙な場所でずっと動かないから、見に来てみれば、あったのは横倒しになったバイクだけだった」


 左車線に移り、交差点を左折する。


「何かあったと判断して、結社の連中に周りの監視カメラの記録にハッキングを掛けてもらった。道路の反対側からの映像しかなかったが、そこに黒いハイエースが」

「そう」

「それを追跡して、ここまで来た。こんな所まで来るとは思ってなかったが」

「連中は何者?」


 ウィンカーを操作し、右折。


「恐らく、ラウの息が掛かった連中だろう。だが、気になるのはそこじゃない」


 すぐさま左折し、少し細い道へ入った。


「お前の情報がどこから漏れたか、だ」


 刹那が怪訝そうな目をクロウの方へ向ける。彼はルームミラーを確認し、右折する。少し広い道へ出た。


「クロウ?」

「何だ?」

「……尾行?」

「あぁ」


 刹那は座席の上で身体を捻り、後ろをかえりみた。灰色のマツダが車間を取って走っているのが見えた。狭い道を潜り抜けてまでここを通る車が少ないのか、今、この道を走っている車は刹那達のスバルと尾行者のマツダだけだ。


 誰も通らないようなこんな狭い道にノコノコついて来る辺り、相手は恐らく素人だろう。運転席に座る男がWRXのリアを凝視している。「私は尾行してます」と自分から宣告しているようなものだ。


「どうするの?」

「どうする? 何のためにその服を持って来たと思ってる」

「そうね」


 刹那はコートのポケットから黒い手袋を出し、両手に填める。殴られて黒ずんだ頬がチクリと痛んだ。


「何時でもいいわ」

「よし。奴を少し泳がすぞ」




 クロウは幹線道路に戻り、後ろにマツダを連れた状態のまま高速道路の入口ランプへ向かった。料金所を通過し、速度を一定に保ったまま左の車線を走行する。


 午後八時過ぎ。渋滞は回避できそうだ。


 刹那が後ろを確認する。後ろに居たのは何の関係も無い黄色い軽自動車だった。居なくなったかと思った矢先、軽自動車の左端からマツダのヘッドライトがチラリと見えた。一台を間に挟んでまだ付いてきているようだ。


 暫く高速道路を直進した後、クロウは車を人気ひとけのないサービスエリアに停めた。エンジンを切ってしばらく待っていると、同じサービスエリアに例のマツダが入って来るのが見えた。


 クロウが左腕を伸ばし、グローブボックスを開く。中から拳銃を出し、刹那へ渡した。


「これを」


 刹那はそれを受け取って、遊底を引いて初弾を送り込む。いつかの仕事で使った、MK23ピストルだ。消音機も銃口に取り付けられている。


「準備はいいか?」


 クロウが言った。シートの上で深呼吸し、彼女は答える。


「えぇ」

「よし、行くぞ」


 クロウとヴァイパーは車から降り、尾行者へのを開始する。WRXとマツダの他に車は一台しか止まっていない。それもかなり離れた駐車スペースに停められていて、多少の荒事なら聞こえもしない位置だ。


 遠慮無し、容赦も無し、か。


 ヴァイパーはトレンチコートの間を開き、右手に持ったMK23を後ろ手に回し、パンツのベルト部分に挟んだ。両手をフリーにした状態で、サービスエリアに建つ電灯を避けてマツダに近づく。


 クロウは彼女より素早く、そして目立たずにマツダの反対側へ回った。小柄な彼にとって、隠密行動はお手の物だ。


 足音を殺してマツダの助手席に肉薄し、窓ガラスをノックする。辺りは暗いが、助手席の相手が驚愕に目を見開くのがハッキリと見えた。


 後部座席で人が動く気配がする。動きの大きさから、恐らく一人だけだ。


 右手を振りかぶり、ヴァイパーは窓ガラスを叩き割った。そのまま助手席の男の頬殴りつけ、昏倒する頭をダッシュボードに叩きつける。手を引っ込め、ベルトからMK23を引き抜き、後部ドアに銃口を突きつける。後部座席の男が行動を起こす前に、彼女は引き金を三度引いた。


 籠った銃声と共に窓ガラスに穴が開き、男の胸元に三発の穴を穿った。


 運転席にいた最後の一人がドアを開け、襲撃者から逃れようと車外に転がり出た。腰を抜かした彼が立ち上がると同時に、反対側から迫っていたクロウが鈍色のサバイバルナイフをその喉元に突き立てる。


 掠れた声を漏らしながら、彼はクロウの右手を掴み返す。喉の傷から溢れ出た血が彼の襟元とクロウの袖を濡らした。


 クロウは死にゆく彼の身体を左手で支え、運転席に押し戻した。喉からナイフを引き抜き、座席のリクライニングで身体を仰向けに倒す。ナイフに付着した血液を車に向かって振り落とし、そっと扉を閉めた。


「それって、意味あるの?」

「人の車を覗き込む物好きはほとんどいない。少なくとも、ここから離れるだけの時間は稼げる」

「そう」


 ヴァイパーが言い、彼女は助手席のドアを開いた。


「いつも通り、一人生かしておいたけど」

「上出来だ。ソイツは車のトランクに詰め込め。結社の連中に引き渡す」


 彼女は助手席の上から男の身体を引っ張り出し、肩に担ぎ上げる。少し離れた位置に停めたWRXまで運び、狭いトランクの中に膝と肘を折り込むようにして詰め込んだ。


 トランクを閉め、助手席に戻る。運転席には既にクロウが座っていた。


「そうだ。これを」


 彼はエンジンを掛け、ジャケットの内ポケットから取り出した封筒をヴァイパーの方に差し出す。


「これは?」

「開けてみろ」


 封筒の上端を破り取り、中に入っていた長方形の紙を引っ張り出す。


「フライトチケット?」

「そうだ」

「どうして?」


 ヴァイパーが首を傾げて言う、クロウは車を出し、高速道路に合流しながら答えた。


「結社の構成員が命を狙われ、何処から情報が漏れたのかわからない。だから、それが分かるまで少し遠くまで行ってもらう」

「それで、福岡?」

「あぁ、向こうでの宿はもう手配してある。身を守るための装備と衣服の替えを用意しておけ。明日空港まで送ってやる」

「分かった。けど、どれだけ向こうに居ればいいの?」

「情報を漏らした奴が分かったら、そっちに連絡が行くようになってる。それまでだ。おそらく一週間はかからない」

「帰りは?」

「結社の連中が迎えに上がる」

「そう」


 そう言うと、ヒーターが利いて熱くなってきた車内の中、はコートを脱いで後部座席に放り、座席のリクライニングを倒した。


「ちょっとした旅行みたい」

「そんなところだ」


 クロウの返答を聞き終える前に、彼女は息を整え、身を睡魔に委ねた。意識を手放す一瞬、ふとあかりの顔が頭に浮かぶ。


 一緒に行ったら、楽しいだろうな。


 頭の中に浮き上がって来たその考えを振り払って、刹那は小さく鼻で笑う。


 そして、眠りについた。




 


 





 









 




 


 

 


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