第十一話

 片側二車線の道路。刹那がいる左折車線のすぐ右隣に、黒いハイエースがタイヤを鳴らして止まる。と同時にスライドドアが開き、中から色とりどりのパーカーを着た男達が降りて来た。


 隣の車が乱暴に停車した時点で、刹那の注意はそちらへ向いていたが、突然の奇襲に対応が遅れた。男達はバイクを蹴り倒し、受け身を取って起き上がろうとする刹那の後頭部を、ヘルメット越しにバットで振り抜いた。


 ヘルメットにひびが入り、強化プラスチックが弾け飛ぶ。衝撃でシールドが何処かへ吹き飛び、ヘルメットの中に反響した暴力の音が刹那の耳を傷めた。反撃に移るために起き上がろうとするが、すぐさま背中を踏みつけられ、別の脚のつま先が彼女の腹にめり込む。


 さっき食べたクレープが、消化されきっていない状態で胃から逆流し、外れかけたヘルメットの顎下から吐瀉物が地面へ流れた。


 男の一人がナイフを取り出して、ヘルメットの顎紐を切った。頭からヘルメットを無理やり引き剥がされ、視界が開ける。男の顔を確認しようと、睨みあげた目に陽光が突き刺さる。


 敵の顔を見る事は出来た。だが、無駄だった。男達は全員鬼の面を被っている。敵の数は三人。


 赤鬼、青鬼、緑鬼。


 刹那を見下ろす赤鬼のフリースの懐が不自然に膨らんでいるのが見えた。銃だ、と彼女は直感する。青鬼の得物はバット、緑鬼の得物はナイフ。顎紐を切ったのは緑鬼のようだ。


 ぐらつく頭で三度みたび起き上がろうとするが、その顎下を赤鬼が蹴り上げた。履いていた黒いブーツのつま先に刹那の鼻血が飛ぶ。


 青鬼が失神寸前の刹那をうつ伏せの状態にし、背中に回した彼女の手首に結束バンドを結んだ。それから彼女の身体を抱え上げ、赤鬼、緑鬼と共にハイエースの中に運び込む。


 車内の床に叩きつけられ、刹那は少し意識を取り戻した。腕は使えない。が、脚は動く。膝を曲げて身体に引きつけ、脚の近くに居た青鬼の喉元に蹴りをお見舞いする。


 「ヴッ!」と潰れる喉から空気が擦れて出てきたような声を上げ、青鬼が車内の窓枠に後頭部を打ちつけた。


「このアマ!」


 赤鬼の叫び声だ。それと共に、彼の脚が再び刹那の顎下を襲った。

 

 痛み、衝撃、飛び散る血。途絶えていく意識の中、上を向かされた視界の中に、無残に倒されたSR400の姿が目に入る。


「ドア閉めろ」


 誰かが言い、ハイエースのスライドドアが閉まる。窓にはフルスモークが掛けられていて、外から中は見えないようになっていた。


 刹那は遠のく意識の中、妙に冷静な頭で「バイクを起こさないと」と思った。




「――で、――つどうするよ?」

「クライ――トの到着待ちだ」

「まだ来ねぇの――」


 誰かの声が聞こえる。重い瞼を薄くこじ開け、視界を確保する。何処か、暗い部屋に居る事は分かった。


 頭が割れる様に痛い。顎下が濡れている。鼻の奥に何か詰まっていて、息がしづらい。

 

 腕を動かそうとして、カチャリと音が鳴った。金属音、手錠の音だろうか。


 前には男が四人、背を向けて立っている。三人はそれぞれ赤、青、緑のパーカーを着ており、もう一人は黒っぽい服だ。


 赤鬼、青鬼、緑鬼の三文字が頭の中に浮かぶ。


 少し思案した後、刹那は自分がなぜここに居るのか、はっきりと思い出した。腕を振り上げようとし、後ろ手に繋がれた手錠がガシャンと音を立てる。その音を聞いて、男達が彼女の方へ振り返った。


「お、起きた」


 緑のパーカーの男、緑鬼が言った。鬼の面はもう着けていない。彼の顔を見て、両生類を思わせる顔立ちだ、と刹那は思った。目が離れていて、鼻が平たい。


「うへぇあ、血でギトギトだぜ」


 刹那の胸元を見て、舌なめずりしながら緑鬼が言う。制服の上にこびりついた血液よりも、その下の乳房に興味があるような目つきだった。


 試しに足を小さく動かして見る。が、動かなかった。椅子の脚に縛り付けられているようだ。


 青いパーカーを着た男、青鬼が唸り声を上げながら、刹那の方に大股で近づいてきた。彼の方に視線を移すなり、無造作に刹那の左頬を殴りつける。口の中が切れ、喉を通って鉄の匂いが通りの悪い鼻へ抜けた。


 青鬼の方を向き、刹那は口に溜めた血液を顔に吐きつける。苛立たし気にそれを拭い去ると、青鬼は再び右の拳を振りかぶった。


 大振りの拳が振り下ろされる前に、緑鬼の左アッパーが青鬼の鳩尾に炸裂した。くぐもった声を漏らしながら、青鬼は腹を抱え込んで地面に倒れ込む。


「あのさぁ、俺今からお楽しみなわけ。邪魔しないでくれる?」


 しゃがんで青鬼の髪を掴み、顔を覗き込むようにして緑鬼が言った。青鬼は悔し気に食いしばった歯と歯の間から、喉を切りつけるような声を漏らす。


「返事」

「……分かった」


 青鬼が心底納得がいかない様子でそう言うと、緑鬼は彼の髪を放した。引き上げていた力が急になくなり、青鬼は鼻先を地面に打ち付ける。


「わりぃね、アイツ来て日が浅いから、加減っての分かんねぇんだわ」


 緑鬼は立ち上がり、頭を掻きながらそう言った。直後、彼女の身体を椅子ごと押し倒す。椅子が横に倒れ、刹那は地面で肩を打った。


「てなわけでさぁ、仲良くしようや?」


 その上から彼女に覆いかぶさって、緑鬼は彼女の頬を舐めた。舌の表面のざらついた感触が頬の上を這いずり、唾液が軌跡を描く。


「おい、


 そう言った男の声は、初めて聞いた声だった。恐らく、赤鬼だろう。


「わぁってるよ」


 興奮冷めやらぬ様子で、緑鬼は苛立たし気に返事をする。顔を赤鬼の方へ傾けたが、視線は刹那の方を向いたままだった。


 緑鬼は腰からナイフを引き抜いて、脚の拘束を解き、刹那を仰向けに転がした。一度舌で口の周りを舐め、両手を伸ばして制服の上から刹那の乳房を鷲掴みにする。手の内の物の柔らかさを確かめるような触り方に、思わず舌打ちが出た。


「お、いいねぇその反応」


 どういう訳か気に入ったらしい。呆れた男だ、と刹那は思った。視線を緑鬼の方へ向ける。刹那の胸を心の底から楽しんでいるようだ。


 鼻で笑いそうになるのをぐっと堪える。盛りの付いた犬そのものだ。


 暫く何も言わず、自身の胸に顔を埋める緑鬼を見下ろしていると、飽きたのか、反応の無さに嫌気がさしたのか、緑鬼は身体を起こし、言う。


「反応が無いねぇ、強がってんの?」


 刹那は無視を決め込み、自分の胸元に目を向ける。唾液で制服がビトビトになっている。洗濯の際、かなり苦労しそうだ。


「つまんなくなってきたな……よし」


 緑鬼は上体を起こし、刹那の足に手を掛けた。膝裏を押し上げる様にして、彼女の両の足を開く。


「へぇ、黒か」


 広がったスカートの中を覗き込みながら、緑鬼が言う。嫌らしく歪んだ視線、だらしなく垂れた舌、鼻の下を伸ばした緑鬼の表情が、いつか始末した嶋津や刹那を貶めようとした誠也、獅童の顔と重なる。


 途端、胸の内にとてつもない不快感が湧き出てきた。


 何か、ムカつく。


 刹那は足を緑鬼の首に回し、思い切り締め上げた。緑鬼は潰れる喉からかすれた声を上げ、締めから逃れようと両の手で刹那の腹や腿を殴打する。


 多少の痛みには慣れた彼女の事だ。足の力は緩まず、むしろ叩かれるたび、さらに力を入れて喉を潰した。


 あと一押しで緑鬼を閉め落とせる、といった時、緑鬼の後ろから姿を現した赤鬼が、刹那の顔を靴底で容赦なく踏みつけた。


 一撃目は耐えたが、続く二発目で足の力を弱めた。その隙を逃さず、緑鬼は刹那の足を振り払い、彼女の胸元に掴み掛かる。


「このアマッ! 調子に乗りやがって!」


 右手を振り上げ、無防備な頬にフックが叩き込まれた。口の中に新たな切り傷を拵え、先程にも増した量の血を地面に吐き捨てる。


「状況ってのを分かってねぇようだな。いいぜ、その体に叩き込んでやる」


 緑鬼は言うと、刹那の制服を引きちぎる。ボタンが飛び、中に着ていた下着が露わになった。


 部下が危機を脱すと、赤鬼は興味を失った様に刹那を見下ろすだけだった。部下を無駄死にさせる気も無いが、止める気も無いらしい。


「タンクトップかよ。色気ねぇな。でもこの下は?」


 緑鬼が黒いタンクトップの胸元に手を掛けた。それを引きちぎろうとしているのは刹那にも分かったが、散々殴りつけられた彼女は息をするので精一杯だった。


 掛った手に力が入るのが分かった。今にも服を破り取られそうになった、その時だ。


 部屋の中に、インターホンの音が鳴った。ピンポーンと間延びした音が何ともマヌケな響きだ。


「誰だよ?」


 緑鬼が不機嫌を露わにして言った。赤鬼が黒っぽい服を着た男を顎で使い、玄関の確認に向かわせる。振り返った黒い服の男の顔を見たが、随分と若い男だった。大学生ぐらいだろうか。


 彼は部屋の隅にあった玄関扉の前に立ち、扉の向こうの訪問者に話しかける。


「誰?」

「あの~すみません。隣の者なのですが、少し騒音が――」

「何? なんか文句あんの?」


 帰って来た声が老人の物だと分かるや否や、黒い服の青年は強い態度に出る。


 隣の者が居るという事は、ここはアパートかマンションの一室、と刹那は目星を付ける。少なくとも、何らかの形で人の集まる施設だという事は分かった。


「あ、いや……その」

「今立て込んでんだよ。ちったぁ我慢しやがれ!」


 若者が怒鳴り声を上げる。相手の気の弱さに付け込んだ卑劣な物言い。


 刹那は思わず舌打ちが出た。


「おい、それ位に――」


 緑鬼が彼の方へ顔を向けて口を開いた、その時だった。


 玄関扉の向こうで連続した銃声が上がる。薄い扉を貫通した弾丸が青年の身体をズタズタにした。襤褸雑巾ぼろぞうきんと化した青年が地面に倒れ込むと同時に、玄関の向こうに居た人物が扉を蹴破って、部屋の中へ突入する。


 革のミリタリージャケット、青いジーンズにコマンドセーター。そして、左目に奔る大きな傷跡。


 まるで、初めて会った時の再上映だ。


 クロウは右手に持ったVZ61の銃床を展開し、しっかりと構え直してセレクターをセミオートに切り替えた。そのまま流れる様に、部屋の中に突っ立っていた青鬼の顔面に容赦なく三発叩き込む。


 突然の襲撃に、赤鬼は咄嗟に銃を引き抜き、クロウの方へ拳銃を向ける。が、クロウはVZ61を素早く照準し、二発連射でその拳銃を撃ち飛ばした。痛みに手を振る赤鬼の胸に更に二発お見舞いし、力が抜けて後方に倒れ込む彼の額に小さな穴を穿った。


 刹那に覆いかぶさっていた緑鬼は反応が遅れ、腰に差していたナイフを引き抜くよりも前に、背中に銃弾を二発食らう。ナイフを取り落とし、刹那を押さえつけていた力が一瞬弱まった。


 その隙を逃す彼女では無い。緑鬼の顎を思い切り蹴り飛ばし、彼の身体は小さく宙を舞った。刹那は素早く起き上がって、左肩を外し、繋がれた両の手を足の下をくぐらせて前に回す。左肩を素早くはめ直し、落ちていたナイフを手に取った。


 そして、腹の底からの唸り声を上げながら、仰向けに倒れ込んだ緑鬼に飛び掛かり、逆手に持ったナイフを敵の胸元に容赦なく振り下ろす。緑鬼は両手をクロスさせて、なんとかその切先を防いだ。


 刹那は歯を食いしばり、憎悪をむき出しにしてナイフを胸元に押し下げる。


 緑鬼は恐怖におびえながら、彼女から逃れる様にナイフを押し返す。


 ナイフの先端が緑鬼の胸元の皮膚を裂いた。


「ヴァイパー」


 クロウの声が聞こえた。刹那はナイフから手を放さない。


「ヴァイパー」


 先程より語気が強い。が、ナイフを放すつもりは無い。


「おい、ヴァイパー」


 うるさい、邪魔をするな。


 刹那は一際大きな唸り声を上げる。と同時に、クロウが彼女の肩を取り、グイと緑鬼の上から引き剥がした。


 激昂状態の彼女はナイフを片手にクロウに切りかかろうとするが、クロウは涼しい顔のまま、腰のリボルバーを引き抜いて怯える緑鬼の顔面を撃ち抜いた。


 三五七マグナムの凄まじい銃声が狭い部屋に響き渡る。その音は、刹那を正気に引き戻すのに十分だった。


「……クロウ?」


 彼女は放心状態でポツリと漏らした。クロウはリボルバーをホルスターに戻し、左手のVZ61を右手で握り直した。後端で止まったボルトハンドルが弾切れを告げている。彼は慣れた手つきで弾倉を交換し、ハンドルを操作して初弾を装填した。


 カシッという乾いた音が静かに響いた。セレクターを安全位置に入れ、クロスドローのホルスターに銃を戻し、彼が言った。


「よぅ」

「クロウ……私……」

「らしくなかったな」


 彼は言うと、着ていた革のジャケットを脱ぎ、刹那の肩に掛け、言った。


「さっさと帰るぞ。もうここに用はない」


 


 


 


  

 

 





 

 

 


 




 


 








 

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