第十八話
クロウが運転するマークXの助手席で揺られ、辿り着いたのはとある港だった。赤や青のコンテナが幾層にも積み上げられ、船に積み降ろしをするためのガントリークレーンが
赤い警告灯が鈍く点滅し、港の夜景のアクセントを演出していた。
クロウが適当なところに車を停め、降りて車体の後ろに回った。開いたトランクかカーキ色の武器ケースを引っ張り出し、それを手に持って、数あるガントリークレーンの内の一機へ歩き出した。
何の説明も無かった。ヴァイパーは静かに車から降り、彼の後を追う。クレーンの脚部にたどり着くと、クロウは武器ケースを背中に回し、備え付けられていた梯子に足を掛けた。
「クレーンでも操縦するの?」
「免許が無い。知識も無い」
クロウはそれだけ言い、梯子を上って行く。ヴァイパーもそれに続く。梯子で登った先の階段を上がり、クレーンの操縦席のドアをピッキングし、中に入った。
「ここに座れ」
クレーンの座席を180度反転させ、クロウは言う。ヴァイパーは言われるがままそこに腰を下ろし、彼が武器ケースを開くのを見ていた。
M110スナイパーライフル。最後に使ったのは屋上での仕事だったはずだ。アメリカ軍に正式採用されているセミオートマチック方式の狙撃銃で、絶大な威力を誇る七・六二ミリの弾丸を使用する。
クロウが十発の弾倉を銃本体に差し込み、レシーバー上部のボルトハンドルを引く。短く再度ハンドルを引き、弾丸が装填されていることを確認し、手を放して、開いた側面のダストカバーを閉め直した。
それを左腕で抱え込み、クロスドロー位置のVZ61を引き抜く。ヴァイパーの正面にある窓に向けて銃把を振り抜き、ガラスを叩き割った。
窓枠にM110の二脚を立て、銃把を握るようヴァイパーの方に差し出す。彼女はそれを握り、調整済みのスコープを覗き込んだ。
クロウは武器ケースから軍用の双眼鏡を取り出し、それで前方に敷設されている駐車場を覗いた。
「居た。前方、六百四十七メートル」
彼が言い、ヴァイパーはスコープ越しに同じ駐車場を覗き込む。黒塗りのセダンが何台か輪を描くように乱雑に止められており、その中心に人だかりが出来ているのが見えた。
スコープの左側に見える男が、アタッシュケースを持って中心に歩いて来るのが見えた。派手な赤色の開襟シャツに、白い上下のスーツ。ヤクザを気取りの恰好だったが、どちらかと言うとホスト崩れに見えた。
皺の多い、顔には媚びを売る気満々と言った笑みを浮かべ、取引の中心にいる茶色いスーツの男の方に近づいて行く。
ヴァイパーは、その茶色いスーツの男をスコープの中心を捉える。
居た。
髭と髪は短くなっていたが、いつか渡された資料にクリップ留めされていた写真と同一人物だ。
ラウ。子供を主製品とした、人身売買組織のトップ。アスナを囮にヴァイパーを消そうとし、彼女の元に暴漢を送り込み、そして、あかりとの旅行をぶち壊した元凶。
「風は?」
冷たい怒りが、自身の中に湧き出して来るのが分かった。銃把を握る右手に力がこもる。
「西風が強い。まだ待て」
引き金に触れていた人差し指を外す。ラウの頭を吹き飛ばしてやりたいのは山々だが、ここで怒りに任せた行動に出て弾丸を外せば、次にこんな好機が訪れる保証は無いのだ。
怒りを理性で押しとどめ、彼女はスコープ越しにラウを睨みつける。
アタッシュケースの中を確認し、ラウが後ろにたむろする部下に向かって指を鳴らした。指示を受けた部下が、一番後方に停められていたワンボックスカーから何か、いや、誰かを引っ張り出して来るのが見えた。
ボロ布一枚の、栗色の髪をした少女だった。
ヴァイパーの脳を、憤怒がかき乱すのが分かった。怯え泣き叫ぶ少女をクソ野郎共が押さえつけ、ホスト崩れの男の前に引きずり出す。
「クロウ」
唸るような声で、ヴァイパーが言う。
「まだ撃つな」
クロウは淡々とした口ぶりで言った。彼が感情を完全に支配しているのが分かった。汗一つ掻かず、眉すら動かしていない。
冷静な方に従うべきだ。刹那はそう判断し、グッと堪えた。が、人差し指が獲物を求めて疼き出す。
少女がホスト崩れの男の前に放り出され、ホスト崩れの男は彼女の腕を取って、つまみ上げる様に少女を無理やり立ちあがらせる。
男の口が動いた。何か罵るような事を言ったのだろう。帰ろうとしていたラウが眉間にしわを寄せながら振り向く。
「ヴァイパー、何処を撃ちたい?」
クロウの声が耳に入る。ヴァイパーはスコープの倍率を変え、ラウの側頭部にクロスヘアの中心を合わせた。
「頭」
「よし」
クロウが言った。ヴァイパーは息を大きく吐き、肺から空気を押し出した、人差し指を引き金に掛け、発射の態勢を取る。
彼女の世界から、音が消えた。
クロウがM110の銃身のすぐ隣に置いた風速計の方に目をやる。
数秒後、風速計の風車が止まる。
彼は言った。
「撃て」
その言葉と同時に、刹那は引き金を引いた。風と風の隙間を縫った狙撃。が、弾丸は少しブレた。狙い通りラウの脳幹では無く、少し前の部分を吹き飛ばす。彼の鼻と口が吹き飛び、赤い飛沫が舞うのが見えた。
「ヒット。キルならず。膝で着地」
クロウが淡々と状況を告げる。ヴァイパーは膝で身体を支えるラウの胴体部分に市照準を合わせ、再度引金を引いた。
「ヒット。胸だ。心臓を撃ち抜いた」
そう告げ、クロウは双眼鏡を武器ケースに戻し、すぐ横に置いていたVZ61をホルスターに戻す。
「クロウ、あの少女は――」
「そのスコープで見てみろ」
彼女の質問を予想していたような口ぶりでクロウが言った。言われた通り、倍率を少し下げ、再度スコープを覗いてみる。
彼女の狙撃を合図にして、黒い戦闘服に身を包んだ結社の構成員が取引現場に突撃を掛けているのが見えた。ラウやホスト崩れの部下は拳銃を引き抜いて応戦しているが、短機関銃とボディーアーマーで武装した構成員たちとの戦力差は歴然だった。
その内の一人が、少女を保護するのが見えた。
ヴァイパーはスコープから目を外し、弾倉を抜いてボルトハンドルを引く。
飛び出した弾丸をクロウが掴み、武器ケースの中に戻した。
「さ、行くぞ。薬莢は回収した」
「えぇ」
弾倉と安全装置を掛けた銃本体を返し、クロウがそれをケースの中にしまう。二人は操縦室を後にし、登って来た梯子を下った。
仕事を終えた二人は車に乗り、港を離れた。カーナビが示す時間は十時二十三分だった。
刹那はてっきり元の小屋に戻されるものと思っていたが、クロウがハンドルを握るマークXが来た道を戻ることは無く、どんどんと見覚えの無い道へ入って行く。電灯の数が段々と減って行き、山の奥へ続く道へ入った。
月明かりすら届かなくなり、目を凝らしてやっと木々の幹が見える程、暗い山の奥深くまで差し掛かった時、刹那が口を開いた。
「何処に行くつもり?」
「クソ野郎の所だ」
クロウがハンドルを回しながら答えた。刹那は首を傾げる。
「誰それ?」
「お前の情報を売った奴だ」
「え?」
「お前が暴漢に襲われたのも、潜伏先のホテルがバレたのも、ソイツがお前の情報をラウに漏らしたからだ」
「……何者なの? ソイツ?」
「殺し屋だ。お前と同じ」
刹那は眉を顰め、クロウの方を向く。
「親を幼くして亡くし、結社に拾われた女。歳もお前と近い」
「そんな人、私以外にも居たのね」
「結社の殺し屋はそんな連中ばっかりだ」
「その人、なんで私の事を?」
「妹が人質に取られてたそうだ」
「その妹さんは?」
「死んだよ」
表情一つ変えず言ったクロウに対し、刹那は眉をピクリと動かす。
「さぁ、着いたぞ」
彼は車を停め、サイドブレーキを掛けてエンジンを切る。二人は車から降り、クロウがポケットから出したタクティカルライトで前方を照らし、山道を進んだ。
少し歩いた先、コンクリート製の二階建ての建物が見えてきた。一見廃墟のように見えるが、壁面の苔の生え方や、排水管に纏わり着いた木の蔦のうねり方に若干の違和感がある。
どうやら、廃墟に見せるために後々手を加えられた建物らしい。その証拠に、クロウが建物の窓を照らした際にチラリと見えた内装は、比較的綺麗に見えた。
二階の窓に向け、彼がライトの光を振ると、中から別の明かりが二人の方へ向けられる。その明かりがチカチカと点滅し、発行信号を送って来た。
クロウは手に持ったタクティカルライトで返事を返し、建物の中へ向かう。側面に取り付けられた入口の扉の前で待っていると、中から赤いパーカー姿の女が扉を開き、二人を中へ招いた。
「奴は?」
クロウが彼女に言う。「こちらに」と女は言い、手を仰いでついて来るように指示を出した。
刹那はクロウに続き、女に連れられて建物の中を進む。予想通り、やはり外の廃れっぷりは偽装だったらしい。床や壁には染みもヒビも無く、電気もキチンと通っているようで、天井に取り付けられた蛍光灯が足元を不安なく照らしていた。
廊下の奥の扉を開き、階段を上がる。踊り場で反転して少し上がった先、二階のフロアに続く扉を開いた。
下の階と比べ、随分と暗い。蛍光灯の明度は三分の一程度に絞られており、足元がかなり不安な状況だった。
そう言えば、下の階には窓が見当たらなかったのを思い出す。廃墟に偽造するため、明かりが漏れない設計になっているのだろう。
女とクロウは暗い廊下を戸惑いなく進む。刹那は彼等について進み、女が開いた一室の中に入った。
部屋の中に置かれた木製の椅子の上。そこに、少女が一人縛り付けられているのが見えた。ひどく殴られた顔がボコボコに腫れ上がり、顔のそこかしこに切り傷が入っている。口から血を垂れ流し、折れた鼻が息をするたびに痛むようだった。
「ヴァイパー、コイツがお前の情報を売った奴だ」
クロウが言う、刹那は彼女を見下ろし、言った。
「酷い怪我」
「ここに連れてくる際、抵抗されたからな。仕方なかった」
「彼女、殺し屋だったのよね?」
「そうだ」
「被害は出た?」
「構成員が何人かやられた」
「そう」
刹那は少女の方へ近寄り、膝を折る。うつ向いた彼女の顔を覗き込み、言った。
「私を売ったのは、妹さんを助ける為?」
彼女は小さく頷く。刹那は力なく息を吐き、顔を左右に振りながら言った。
「彼女、もう死んでるの知ってる?」
弱弱しい瞳が、刹那の方を向いた。彼女は項垂れ、そして言う。
「……えぇ」
「そう」
「もう……いい……」
彼女がかすれた声を漏らす。クロウの声が後ろから響いた。
「裏切り者には死を。それが結社の規則だ」
立ち上がった刹那が彼の方へ向き直ると、クロウは腰のリボルバーを引き抜き、彼女に渡した。
「お前には、それを成す権利がある」
刹那はクロウの目を見据え、その銃を受け取る。振り返って、少女の頭に銃口を突きつけた。
彼女はその銃口を見返し、喉から絞り出すような声で言った。
「もういい……殺して……」
「えぇ、そうさせて貰うつもり」
そう言うと、刹那は銃を下ろす。
「私なりのやり方でね」
クロウの方へ向き直り、刹那はリボルバーを彼に返した。
「ヴァイパー?」
珍しく困惑した様子を見せたクロウを余所に、刹那は背後の少女へ向かって言った。
「仇は取ってあげる」
言い終えるのと同時に、彼女は体を右へ一回転させ、右脚を振り上げた。渾身の後ろ回し蹴りが少女の首をへし折り、一瞬にして彼女を絶命に至らせる。
右足を下ろし、刹那は息を付いて言った。
「これで、二度とデートの邪魔をされずに済む」
背後にいる赤いパーカーの女が息を呑むのが分かった。
「ヴァイパー……」
「行きましょ」
クロウの言葉を遮って、刹那は言った。
振り返ってドアを開き、部屋から出る。彼女の後を追って出てきたクロウが隣に並んだ。
前を見据えたまま、刹那は言う。
「彼女の妹を殺した犯人、目星はついてるの?」
「あぁ」
「そう。なら、その仕事、私に回して」
「構わんが、いいのか?」
「えぇ、約束したもの」
廊下を歩きながら、彼女はクロウの方を向いて言った。
「これは彼女から受けた依頼。殺し屋なら、ちゃんと仕事しないとね」
「ヴァイパー――」
「そう」
視線を前に戻し、脚を止めたクロウを置き去りにして言った。
「私は、ヴァイパーだから」
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