第十七話

 エレベーターに乗った死体は、後にホテルに姿を現したクロウと結社の職員が秘密裏に処理した。ヴァイパーはクロウに連れられ、別の隠れ家に移動する事になった。


 結社の社用車。今回クロウがハンドルを握ったのは、BMWのM3セダンだ。ボディカラーは黒で、当然の如くマニュアルトランスミッション。


 夕方の街並みを、彼が運転するBMWが走り抜けていく。刹那はその助手席で、呆然と外を見つめていた。


「……そうか、分かった」


 クロウは掛かって来た電話を切り、アームレストを開いてその中に携帯を放り込む。


「金田あかりは結社の連中に連れ添われて、今、飛行機に乗ったそうだ」


 返事を期待したのか、クロウが一度言葉を切る。だが、刹那が何も答えないので、彼は彼女の方を一瞥し、話を続けた。


「ラウの連中も、機内で事を起こす事は無いだろう。そもそも彼女が狙われる理由も無いしな」

「……そうね」


 刹那がポツリと言った。クロウはそんな彼女を鼻で笑い、言う。


「自暴自棄になってどうする?」

「……うるさい」

「俺に当たっても仕方ないぞ、そもそも――」

「いいから前見て運転して」


 クロウは眉を上げ、語気を強めて言った刹那の方に視線を向ける。


「珍しく荒れてるな」

「……うるさいって言ってるでしょ」


 会話を打ち切る様にクロウは喉を鳴らす。それから隠れ家まで、二人は一言も喋らかなった。




 狭く、暗く、そして退屈な部屋だった。何より、自分の側に、もうあかりが居ない事が、何よりも心苦しかった。


 クロウに連れて来られた隠れ家。それは、レンガ造りの質素な小屋だった。そこにはトイレやバスルームといった、生活できるだけの設備は整えられているが、それだけだった。昨日まで二人で泊まっていたホテルの様な装飾も、快適装備も、座り心地の良いソファーもここには無い。


 身を隠し、静かに過ごせ。部屋全体からそう言われているような、そんな殺風景な部屋だった。


 まるで牢獄だ、と刹那は思う。罪状は、危険な所にあかりを危険に晒した罪だろうか。


「牢獄みたいだと思ったか?」


 隠れ家の入口に立ったクロウが言う。刹那はパイプベッドに身体を投げ出し、身を丸めて答える。


「えぇ」

「実は、半分そうだ」


 彼女はクロウの方に目を向ける。壁に寄り掛かり、腕を組みながら彼は答えた。


「この小屋は、隣の雑居ビルの三階に待機している結社の構成員が見張ってる。怪しい奴が近づいたら対処するため、と、もう一つ」


 クロウは刹那を指差し、続けた。


「お前自身を見張るためだ」

「……あっそ」

「勝手な行動を取った奴や、味方や一般人を危険に晒した奴はここにぶち込まれることになってる。今回、お前はクラスメイトを銃口の元に連れ出した。それは分かってるな?」


 彼女は何も言わなかった。身動き一つ取らない。


「旅行は随分楽しかったようだな」

「えぇ」

「こんな終わり方になって残念だと思ってる」


 クロウが言うと、刹那は彼から目を逸らし、ベッドのブランケットを頭まで被る。


 溜息を付き、彼が言った。

 

「俺は仕事があるから戻る」


 入口のドアノブに手を掛け、ふと思い立ったように続ける。


「何故お前の居場所がバレたのか調べる必要がある。分かったら連絡する。それまで、大人しくここに居ろ」


 返事は端から期待していなかった。ノブを捻って外へ出ようとした時、刹那が蚊の鳴くような声で言った。


「私のキャリーケース、何処にある?」

「金田あかりの物と一緒に結社の連中が回収した。彼女の物は空港で返したが、お前の物は雑居ビルの奴が持ってるはずだ」

「……中、開けてみて」

「どうして?」

「お土産、買ってあるから」


 クロウは一瞬目を見開き、そして言う。


「そうか」

 

 後ろ手に扉を閉め、彼は小屋を後にした。少し離れた地点に停めたBMWの運転席に乗り込み、肘掛けの中に放り込んだ携帯を手に取り、マイアに電話を掛ける。


「もしもし?」

「俺だ。金田あかりは?」

「無事よ。今、うちの連中が空港から車で送ってるとこ。妙な動きも無いって」

「彼女自身の方は?」

「ちょっと怯えてるみたい。女性の構成員を派遣したけど、やっぱりね……」

「そうか、仕方ない」


 クロウは大きく息を付き、右手で頭を掻いた。


「刹那、残念だったわね」

「そうだな」

 

 クスクスと笑うマイアの声が、電話口で響いた。


「何が可笑しい?」

「私、知ってるんだから。貴方がホテルの予約内容変更したの」

「さて、何の事だか」

「ホントは帰って来る時期も伸ばすつもりだったんでしょう?」

「さぁ、どうだろうな」

「隠したって無駄よ」

「ノーコメントだ。じゃあな」

「えぇ、それじゃ」


 クロウは電話を切り、先程やった様に肘掛けの中に端末を放り込む。ハンドルを握り、息を吐いてから、クラッチを切って、スイッチを押下してエンジンを掛けた。


 電子パーキングを解除し、ギアを一速に入れる。


 さて、をとっとと見つけ出さないとな。


 アクセルを煽ってクラッチを繋ぎ、車を発進させた。




 小屋に幽閉状態のまま、丸五日が経った。その間、たまに郵便受けに入れられる小説を読んだり、部屋に備え付けられていたレコーダーで映画を見たりする事も出来たが、殆どは眠って過ごした。何もする気が起きなかった。


 今日起きた時間も、夕方の六時台だった。空腹は感じていない。刹那は目を開け、身体を横に向ける。


 殺風景な部屋。起きる気持ちも萎えて来る。


 彼女はもう一度目を閉じ、再び眠りに落ちようとする。その時、部屋に用意されている固定電話機のベルが鳴った。


 重い身体をゆっくりと起こし、頭を掻き毟りながら受話器を取る。


「俺だ。聞こえるか?」

「えぇ、聞こえてる」

「よし、一つ知らせがある」

「なに?」

「ラウの居場所が分かった」


 刹那は部屋の奥の窓に向け、言った。


「それで?」

「運よく同じ県に居る。今日、奴を始末する作戦が立った」

「そう」

「お前はどうする?」


 受話器を持ったまま首を傾げ、刹那は返す。


「どうする、って?」

「この作戦に参加するかどうかだ」

「……出来るの?」

「あぁ。ラウを始末できれば、お前も元の家に戻れる」


 刹那はベッドの枕元に置いてあるUSP拳銃に目を向けた。


 ラウ。ここへ来ることになったのは、元々はアイツのせいだ。楽しい時間も過ごせたが、ぶち壊したのもアイツ。


「やるわ」

「よし、後に迎えに行く。準備は終わらせておけ」


 クロウが電話を切り、刹那は受話器を置いた。部屋に用意されていた寝巻を脱ぎ捨て、部屋に来る前に着ていたヴァイパーの制服に着替え直す。五日前に脱いだそれは、部屋の隅に畳まれた状態で置かれていた。


 定期的に様子を見に来る結社の構成員が洗濯を施し、畳んで返してくれた物をそのまま放置していたものだ。少し被っていた埃を払い落し、シャツとベストをパンツを身に着ける。手袋を填め、ホルスターに差したUSPを腰に挟んだ。


 入口の扉に掛けておいたトレンチコートを取り、腕を通した。


 USPを引き抜き、安全装置を解除する。親指付近のレバーを操作して弾倉を引き抜き、遊底を引いて装填されていた初弾を薬室からはじき出す。弾倉を握ったままの左手で、宙を舞う弾丸をキャッチする。


 銃を握ったままの右手で弾丸をつまみ、弾倉の一番上にそれを押し込む。左手で遊底の後端を掴み、素早く三度空引きした。


 暫く整備を怠っていたが、引っ掛かりも無く動くことを確認する。空撃ちして

起きた撃鉄を落とし、鉄と鉄が打ち合わされる音がキンと耳に響いた。


 弾倉を戻し、再度遊底を引く。最後に短く遊底を引き、初弾が装填されているかを確認した。


 真鍮の薬莢が反射する鈍い光が刹那の目に映った。遊底を放し、起きた撃鉄をデコッカーで元の位置に戻した。


 ホルスターに銃を戻し、一つ深呼吸する。


 準備完了。


 丁度その時、小屋のインターホンが鳴った。彼女は外にいる相手も確認せず、入口の前に置いてあった黒いブーツを履き、靴紐を閉めてドアを開いた。


「行くぞ」


 外に出るなり、腕を組みながら小屋の壁面に背を預けていたクロウの声が右から響く。


 後ろ手にドアを閉め、彼の方を向いて、ヴァイパーは言った。


「えぇ」


 革のミリタリージャケットに黒いコマンドセーター。そして、青いジーンズ。クロウはいつも通りの恰好だった。


 だが、その頭には茶色の中折れ帽を被っている。


 ヴァイパーはクスリと笑い、言う。


「被り心地は?」

「悪くない。しかし、これがお土産とはな」

「そう。貴方、気づいてないでしょ。自分の目の傷、怖いって」

「これを隠すための、これか?」


 クロウは帽子の鍔をグイと上げ、自身の左目に奔る傷跡を見せつけた。


「そう。でも、思いのほか似合っててよかった」

「そうかい」


 ヴァイパーが言うと、クロウは鼻で笑い、言った。彼は身体を起こし、車を停めた場所まで歩く。その後ろをついて行くと、見覚えのあるテールライトが見えて来た。


「あの車」

「あぁ、修理が終わってな」


 マークX GRMN。ボディカラーはフィルムを剥がした赤だ。いつも通りクロウが運転席に乗り込み、ヴァイパーは助手席に乗り込んだ。


 クロウは手慣れた様子でエンジンを掛ける。V型六気筒のエンジンが、聞き慣れた唸り声を上げた。


 一つ大きく息を付き、クロウはサイドブレーキを下ろし、ギアを一速に入れる。ヴァイパーが彼の方に視線を向けると、うっすらと笑みを浮かべる彼の姿が見えた。


 そんな彼を鼻で笑い、ヴァイパーは窓の外に視線を移す。


「何だ?」

「別に」


 小さく笑いながら言った彼女に、クロウは怪訝そうな目を向ける。


「早く出して。ラウに逃げられる」

「そうだな」


 そう言うと、クロウはアクセルを踏んでクラッチを繋いだ。






 


 

 

 

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