第十九話

 陽光が瞼を照らし、眩しさに耐え切れず刹那は目を開いた。ベッドの上、嗅ぎなれた匂いが鼻をくすぐる。


 頭上には見覚えのあるカーテンが掛かっている。彼女は身を起こし、自分がどこに居るのかを悟った。


 自分の家だ。あの後、彼女は山奥の廃墟に偽造した建物の中で一夜を明かし、始発便で帰って来たのを思い出した。クロウはマークXと共に船で戻るつもりの為、出港準備が整うまで向こうで待機すると言っていた。 


 空港から家まではマイアが送り届けてくれた。空港から出ると、白のスバルWRXで彼女が待ち構えていたのだった。少し前、マークXを動かせなくなった時にクロウが乗っていた車だ。


 マニュアルトランスミッションに慣れないのか、少し不安感がある運転だったのを覚えている。おかげで刹那は車内で仮眠を取る事が出来ず、家に帰って来てすぐにシャワーを浴び、キャリーケースの中身も出さずにベッドに倒れ込んだのだった。


 泥のように眠っていた彼女を叩き起こした鋭い陽光が、今はもう昼だと告げている。ベッドから起き上がってカーテンを開く。寝室に光が入り込み、健全な明るさに包まれた。


 枕元に置いた目覚まし時計に目を向ける。午後一時四十三分。帰って来てから五時間ほど眠っていたことになる。


 クローゼットから部屋着を取り出し、着た。空の胃袋に何か入れようとリビングルームに移動する。ヴァイパーの制服がリビングの至る所に脱ぎ散らかされてるのが目に入った。


 刹那は溜息を付いて、服を拾い集める。床に座り、一枚一枚丁寧に畳んでから、リビングルームのソファの上に重ねて置いた。


 それからキッチンの方へ移動し、頭上の棚を引き開ける。そこは、軽い食べ物やお菓子等を入れておく棚だったが、今はほぼ空だった。あるのは貰い物のシリアルだけだ。あまり好きでは無いので、一度封を開けてからしばらく置いてある。


 刹那はもう一度溜息を付き、シリアルの箱を手に取った。何か食べに出ようかとも考えたが、今はそんな気分では無い。


 食器棚から出して来たボウルにシリアルを盛り、冷蔵庫から出したパック三分の1一ほどの牛乳を全てかけた。スプーンを取り出してソファーの前のローテーブルにボウルを置き、何となくテレビを付けてみる。


 やっていたのはニュースだ。刹那はスプーンで引っ張り出したシリアルを一口食べた。


 ニュースキャスターが昨日起きた銃撃事件のニュースを読み上げる。昨日のの件の様だった。出演者のコメンテーターが向ける先の分からない怒りを露わにし、専門家たちがまるで見当違いの犯人像を浮かび上げる。


 彼らの考えによると、ヴァイパーに相当する人物は身長百九十センチメートル体重百キロ越えの大男という事だった。狙撃に使用されたライフルを扱うには、それ位の体格が無いと肩が外れる、だそうだ。


 刹那はテレビの前で、わざとらしく右腕を回して見る。何も問題なく回った。肩には何の違和感も無い。


 この分なら、捜査の手が刹那に向くことは一生無いだろう、と彼女は思った。


 クロウから聞いた話だが、刹那や彼の様な、殺しの実行員に使われるのは、殆どが十代から二十代の少年少女らしい。何らかの形で親を亡くし、見込み有りと判断されされた者達に結社の構成員が接触するのだとか。


 もちろん断られる事の方が多い上、そもそも見込み有りと判断される者が殆どいない。


 刹那の様な、自分から結社の構成員に接触し、を受ける身分までたどり着くのはかなり稀有なケースだった。


 倫理観的な観念から見れば言語道断の行為だが、結社が彼等彼女等を雇い入れるのは労働力を安く買いたたく為ではない。実際、一度仕事を行えば、一年は遊んで暮らせるだけの金額が銀行に振り込まれることになっている。


 結社の狙いは、疑われない事だ。


 町行く十代の少年少女が、日常的に人を殺している、なんて想像をする人間は、この国には居ない。


 先入観という物は強い。学生は先生の話を聞くもの、年下は年上の言う事を聞くもの、お金はキチンと働いて稼ぐもの、等この国には昔から伝承されている先入観が今なお強く根付いている。


 その先入観の裏を突くための措置だ。事実、刹那の家に警察が来たことなど無い。ニュースでやり玉に挙げられることすらなかった。


「マズい」


 シリアルを半分ほど食べ終えた所で、刹那はスプーンを置いた。食事としてはこれで十分だ。嫌いなものほど腹が膨れるのが早い。彼女はつまらないテレビを消し、ボウルを持ってシンクの前に移動する。残っていたシリアルを牛乳と共に排水溝へ流し、食事を終えた。


 さてと、やる事が無い。


 キッチンに両手を置きながら、少し考えた後、刹那はリビングルームに放置したままのキャリーケースに目を向けた。まだ中の整理をやっていない。


 キッチンから出て、キャリーケースを開く。中には服や旅行用品が詰まっていたが、乱雑に押し込められた荷物の一番上に乗っていたのはホルスターに収まったUSPだった。


 丁度いい。刹那はローテーブルの上に大きめのウエスを引き、その上にホルスターから引き抜いたUSPを置いた。ホルスター自体はテーブルの端に置いておく。


 キャリーケースの中身を引っ張り出し、服と旅行用品を両手に抱え、洗面所に向かう。服をすべて洗濯機の中に放り込み、スイッチを入れる。旅行に持って行った歯ブラシや歯磨き粉を元あった場所に戻した。


 その後、リビングを通り過ぎて一度寝室に寄った。ベッドの下を引き出し、銃と共に収められていたガンオイルとクリーニングロッドを取り出す。それを持って、リビングへ戻った。


 ローテーブルの前に座り、USPと対峙する。


 銃を手に取り、レバーを操作して弾倉を抜いた。弾丸を指ではじくようにして一発一発抜き取り、それをウエスの外に立てて並べておく。薬莢の排出口を上に向け、遊底を引く。放物線を描いて飛んだ弾薬を空中でキャッチし、並べた弾丸と共に立てた。


 遊底を引いた状態で、スライドリリースを反対から手前側に押し込む。ポツンというスイッチを押すような感触と共に部品が浮き上がり、それを引き抜いた。


 遊底をゆっくりと前に戻す。引っ掛かりが無く、遊底はそのまま前に外れた。


 銃把の部分、銃のフレームに当たる方を一旦横に置き、外れた遊底を裏返す。銃身の下にあるリコイルスプリングと言う部品を外し、その後銃身を取り外した。


 銃身を手に取り、中を覗き込む。幸運なことに、旅行先では銃を使うまでに至らなかったので、比較的綺麗だった。が、念のため、中にガンオイルを吹き付けておく。少し置き、丸めたウエスをクリーニングロッドで銃身の中に押し込んで、余分なオイルを拭き取った。

 

 銃身とリコイルスプリングを遊底に組み込み、フレームとの噛み込み部分にガンオイルを塗布する。それからフレームに遊底を組み込み、後端まで引いてからスライドリリースを打ち込んだ。


 可動部に吹いたオイルを馴染ませるために、刹那は遊底を三度素早く引いた。鉄と鉄が擦れる音がする。特に引っ掛かりも無く、快調に動いた。


 銃本体を置き、引き抜いて置いておいた弾倉の方を手に取る。十五発フルに装填されていた弾丸を五発減らし、十発だけ弾倉の中に込めた。


 弾倉を銃本体に戻し、遊底を引く。再度、遊底を薄く開き、弾丸が装填されたことを確認する。起きた撃鉄をデコッカーで元の位置に戻し、安全装置を掛けた。


 拳銃と掃除道具一式を持って寝室へ行き、ベッドの下の引き出しの中に戻した。ふと目覚まし時計に目をやると、時刻は十三時八分と表示されていた。


 どうやら暇つぶしにしかならなかったようだ。刹那は溜息を付き、リビングへ戻る。


 寝室を抜けた丁度その時、ソファーに放り出していた携帯から通知音が鳴った。ハッと息を呑み、彼女は携帯に飛び付く。スリープモードを解除して、通知を確認する。


 ただのメールだった。


 再び溜息を付き、携帯を置いてソファの上に仰向けに寝転んだ。その時ふと、なぜか自分が落胆したことに気づく。一体、誰からの連絡を期待したというのだろう。


 分かっている。


 刹那は本日何度目かの溜息を付いた。いや、今日だけでは無い。が原因で付いた溜息なら、ここ数日で数が知れないほどに上る。


 「あかり」と刹那は一人だけの部屋の中で、声に出して言った。


 ホテルでの出来事。あの後から、彼女とは連絡を取っていない。あんな唐突な別れ方になったにもかかわらず、だ。


 何度も連絡を取ろうと思った。急に置いて行ってごめん、と謝る練習も何度もした。だが、いざ電話を掛けようと思った時、胸の中に黒い不安が渦を巻き、それが彼女の足を容赦なく引っ張るのだった。


 迷っている内に頭の中で不安が大きくなっていき、耐え切れなくなって携帯を放り出し、別の事に気を集中しようとする。だが、解決しない不安が胸の中にしこりとして残ったままなので、その別の事にも集中できない。


 そんな日々が、あれからずっと続いているような感じだ。


 いつかはケリを付けなければならない。が、そのいつかがなかなかやってこない。


 いや、と刹那は思った。そのいつかは、待っていては絶対にやって来ないのだ。こちらから足を踏み出してやる必要がある。


 彼女はその手前で、「準備運動」と都合よく曲解した足踏みを続けているだけだ。


 本当は踏み出すのが怖いだけなのに。


 ソファーの上、刹那はまた大きな溜息を付いた。今までのものより大きく、長い溜息だった。


 何もかもうんざりだ。自分自身にさえ、そうだ。


 昼食が嫌いなシリアルだけだった事もあり、段々と小腹が空いてきた。この分では、夜を抜くのは無理だろう。


 何処かに食べに出るか、それとも家で自炊するか。どちらにせよ、家から出なければならない。が、唯一の移動手段である彼女のバイク、SR400はクロウのガレージの中だ。


 刹那が鬼の面を被った暴漢たちに連れ去られた際、彼等に蹴倒されてそのままになっていた所をクロウが引き起こし、一旦、自身のガレージに持ち帰ったまま、それきりになっていた。彼のガレージに行った所で、彼が居なければ入口のシャッターすら開かない仕組みになっている。


 最寄りのスーパーマーケットまでは歩いて十五分ほどかかる。往復三十分。トレーニングも兼ねて走って行くことも多いが、今はとてもそんな気分では無かった。


 はぁ、とまた溜息。段々と何をするのも億劫になって来る。胸の内に引っかかっていただけのつっかえが、今や一トンほどの重りとなって、胸の上に伸し掛かってきているように感じた。


 気分を変えたい。何というか、胸の内の物をどうにかして吐き出したい気分だった。


 では、クロウにでも相談するか。いや、彼はまだ福岡から帰って来ていない。それに、こんなことを彼に相談する訳にはいかない。


 尊敬を抱いている相手に弱いところを見せたくないというのもある。


 それに、何と言うか、彼は異性だ。


 自分の交友関係の狭さに心底うんざりする。気づかぬうちに、また溜息をもらしていた。


 目を閉じ、暫く何も考えず仰向けのままでいた。


 あっ、と頭の中に一人浮かんだ。この問題を相談するのに、一番都合のいい人物。彼女なら話しやすいし、少なくとも刹那より経験豊富なはずだ。


 携帯を手に取り、スリープモードを解除する。その人物の番号に掛け、繋がるのを待った。


 しかし、彼女は忙しい。もし仕事の都合で時間が取れなければそれまでだ。


 刹那は半ば祈るような思いで、携帯のコール音に耳を研ぎ澄ませる。


 ガチャリ、と受話器を取る音がして、相手の声が電話口から響いた。


「もしもし?」




 









 




 


 


 

 





 

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