第二十話
「珍しいじゃない。貴方から食事に誘って来るなんて」
刹那の前、対面する位置に座ったマイアが刹那に言った。刹那は視線をテーブルに落とし、言う事が見つからず口をもごもごと動かした。
「何かあったの?」
口元に柔らかな微笑を浮かべながら、マイアは言う。
「……ちょっと、ね」
「ふ~ん」
両肘をテーブルに着き、組んだ指の上に顎下を乗せながら、マイアはどこか楽しそうに喉を響かせた。まるで妹の恋バナを聞く姉のような言い方だ。
刹那は話を切り出そうとマイアと目を合わせるが、全てを見透かしてくるような彼女の視線に射貫かれ、反射的に彼女から視線を外した。
マイアはフフッと怪しく笑い、自身の手前に置かれたメニュー表を開く。
「取り敢えず、注文を決めましょ」
自身の手前に用意された彼女と同じ物を開き、メニューに目を通してみる。高級フレンチという事もあってか、随分と洒落た料理名がズラリと並んでいた。
用意されているメニューは全てコース料理だ。前菜、主菜等いろいろと書かれているが、刹那には何の事かさっぱりわからない。ただ、それぞれから一品を選んで注文するのだろうという事は予想が付いた。
首を捻りながらメニュー表を睨みつけていると、マイアがメニュー表を閉じてテーブルに置いた。長く美麗な足を組み、指を結んだ両手を腿の上に乗せる。
ふとそちらに目を向け、刹那は彼女に目を奪われた。洗練された青いドレスに、蛇を模した金色のピアスを両耳に付けている。コンタクトレンズを付けているのか、今日はいつもの眼鏡を掛けていない。
そのせいで、泣きボクロの色気がいつもより際立って見えた。事実、食事を終えて店を出て行く男性客のほとんどが、彼女に一瞥をくれて店を後にして行く。中には、大胆に連絡先を書いたメモ用紙をテーブルの上に置いて行く客もいた。
マイアは男性客を軽くあしらった後、彼等が店から出たタイミングを見計らってメモ用紙をクシャリと握りつぶす。サービスで用意されている灰皿の上に置き、容赦なくマッチで火を点けるのが彼女のフリ方だった。
「その格好、パーティー帰りか何か?」
「いいえ。貴方と食事するために、いい店を選んだから、いいドレスを着ておこうと思っただけ」
「だから、私もこの格好なの?」
刹那は自分の服を見せつける様に、両手を広げて言った。
白のシャツの上に、いつものベストといつものパンツだ。コートもいつものだが、店に入った時に脱ぐようにマイアに言われた。店では脱ぐのがマナーだそうだ。今は畳まれて、背もたれに掛かっている。
そして、いつもと決定的に違う点は、シャツのボタンを一番上まで止め、ネクタイを締めている事だった。フォーマルの場では欠かせない物だという事だったが、ハッキリ言って動きづらいし、息苦しい。
緩めようと思うたびにマイアにきつく言われ、仕方なく付けている。食事が終わったらさっさと取っ払うつもりだ。
いつもと似た格好だが、銃は携行していない。仮にもマイアは結社のリーダーだ。何の装備も無く食事を共にするのは不安だと伝えたが、「別のボディーガードを待機させているから大丈夫」との事だった。
「それで? 注文は決まった?」
刹那は目頭を押さえながら、メニューを閉じて言った。
「分かんない。貴方と同じものにする」
「そう」
そう言って、マイアは手を上げて店員を呼んだ。
「あ、待って」
突然声を上げ、マイアと、近づいてきていた女性店員の視線が刹那に集まった。
「あの、主菜だけは肉料理の方でお願いします」
咄嗟に店員の方を向いて言った。それ以外のメニューを告げていないのに、そんなことを言われても仕方が無いか、と思ったが、店員は人の良さそうな笑みを浮かべ、「承りました」と一言言っただけだった。
マイアが他の料理を告げ、「彼女にも同じものを」と刹那の方に手を差し出す。店員は礼儀正しい返事をし、少しお辞儀をして注文を厨房へ持ち帰った。
「なんだろう、落ち着かない」
揃えた両足の腿を摩りながら、刹那は言った。マイアは手で口を押えながらフフと笑い、優しく諭すように言った。
「いいのよ、リラックスして」
「そうは言われても……ね」
慣れない空間に目を伏せながら、刹那が遠慮がちに言う。丁度その時、店員が二人のテーブルに食前酒を持って来て、マイアの方にグラスを置き、スパークリングワインをそこに注いだ。
「ありがとう」と席の上に座ったまま彼女は上体を折る。店員が同じ様子で返し、彼女が離れて行った後、マイアはグラスを口に運び、スパークリングワインを一口飲んだ。
「はぁ、おいし」
妙に色っぽい声を上げながら、彼女が喉から吐息を漏らす。
「それで? 話って何なの?」
怪しく疑るような、それでいて楽しむような視線を刹那に向け、彼女は言う。
一つ息を付き、この人に頼ったのは間違いだったかもしれない、と刹那は思い始めていた。
「まだ言い出せそうにない?」
曖昧に喉を鳴らし、刹那が返事をする。マイアが眉を動かし、言った。
「当ててみようか?」
「え?」
「金田あかり。違う?」
図星を突かれた刹那は「ゔっ」と声を漏らし、思わず目を見開いてしまう。その通りです、と告げているようなものだ。
「やっぱりね」
心底嬉しそうな表情でマイアは言った。男ならその表情でイチコロなのだろうなと簡単に想像がつく程、魅力的な笑顔だったが、こういう時にそんな表情を向けられても憎たらしいだけだ。
刹那がどう話を切り出そうか迷っていると、前菜のサラダが運ばれてくる。二人は会話を一旦中断し、サラダを食べる事にした。
食べている途中、口に運んだものを喉に流してから、一度マイアに話しかけようとしてみたが、その様子を察知した彼女が刹那の方に手をかざし、やめる様に告げた。食べながら話すのは彼女の流儀では無いらしい。
なので、サラダを食べ終えてから彼女に話しかける事にする。体の大きさは食べる速さに比例するようで、刹那の方が随分と早くサラダを食べ終えた。
マイアが食べ終わるのを待って、刹那は話を切り出す。彼女がサラダを食べ終えると、狙った様に店員がテーブルにやって来て、二人の食器を片づけた。
「そう、あかりの事」
「ほ~う?」
刹那が満を持して口を開くと、楽しそうに、そして、少しいやらしくマイアが言った。
「目がエロオヤジのそれ」
「あらやだ」
刹那が口を尖らせて言うと、マイアが顔を隠すようにグラスを煽った。少し多めにスパークリングワインを飲み、刹那の方に目を向ける。
「彼女と何があったの?」
マイアが言う。彼女は疑問形で聞いてきたが、その口ぶりから、ある程度の事は知っているようだった。
「実は、福岡に身を隠しに行った時、彼女と一緒に行ったの」
「うん」
特に驚く様子も無く彼女が言う。どうやらほとんど知られているらしい。
「最初は楽しかった。でも……」
「でも?」
息を付き、刹那は重い口を開く。
「トラウマ……なのかな? 一緒にお風呂に入った時、自分の手が血に汚れたみたいに見えた」
マイアの目が一瞬大きくなる。
「私、驚いちゃって、彼女をバスルームに置いたまま先に出ちゃった」
「あちゃ~」
「私、その後一人でベッドに寝てたんだけど、後から彼女が入って来てくれて、慰めてくれた」
「いい子ね」
「うん。とってもね」
途端、自分の胸が苦しくなって来るのを感じた。言葉が上手く喉から出ず、どういう訳か視界もぼやけて来た。
「あ、あれ?」
自分の声が震えている。下を向いた顔から何か熱い液体が垂れ、掌の上に落ちた。
マイアがさっと起き上がり、短くヒールを鳴らしながら、刹那の側に寄る。持っていたハンドバッグの中からハンカチを出し、彼女の方へ差し出した。
刹那は何も言わずそれを受け取る。言う余裕すらなかった。ひったくるような勢いで受け取ったそれで目元を覆い、マイアに背中を摩られながら、声を押し殺しながらひたすら泣いた。
人の目もあると言うのに、こんなに目立つ様な行動を取ってしまった自分が情けない。と同時に、そう冷静に分析している自分が少し可笑しかった。
ひとしきり泣いた後、刹那はぐしょぐしょになったハンカチをマイアへ返した。背中に手を当てながら、「大丈夫?」と聞く彼女に、鼻を
「そう」
マイアが優し気な口調で言った。母親の様な、慈愛に満ちた声だった。彼女は厨房の方を向き、誰かに対して頷く。
目元を赤くした刹那がそちらの方へ目を向けると、戸惑った様子の店員が呆然と立ち尽くしているのが見えた。両手には湯気の立った前菜が乗っている。
「ごめんなさい」
刹那は顔を隠しながら頭を下げると、店員は彼女の前に肉料理を置きながら、「おいしい物食べて、元気出してくださいね」と小声で言った。礼の言葉を言う前に、襲い掛かって来た羞恥心が刹那の顔を真っ赤に染める。
運ばれてきた肉料理を大きめに切り分け、恥ずかしさを自身の中に押しとどめるため、肉を口の中に詰め込んだ。
「あ! ちょっと!」
席に戻り、前に運ばれてきた魚のムニエルにナイフを入れていたマイアが声を上げる。その途端、刹那は肉を喉に詰め、胸元を叩きながら、グラスに用意されていた冷水を喉に流し込んだ。
しばらく咳き込み、落ち着いてから彼女はマイアに向かって舌を出す。
それは、あかりがいたずらを仕掛けてきた後に、よく見せてくれた仕草だった。
マイアが小さく笑い、言う。
「彼女と連絡は?」
「まだ、取ってない」
彼女はフォークに差したムニエルを口に運ぶ前に言った。
「なら、ちゃんと取らないとね」
「うん」
「もし、悪い事をしたなと思うなら、キチンと相手に謝る事。分かった?」
「うん、分かった」
刹那が赤い目元をマイアの方に向けながら言うと、彼女は優しく笑いかけながら言った。
「さぁ、食べましょ。今日は私の奢りだから」
刹那は目を見開き、言う。
「え、悪いよ。相談も乗ってもらって、その上ご飯も食べさせてもらうなんて」
「刹那、いい?」
マイアは人差し指を立てながら、彼女に言う。
「子供相手に格好を付けるのは、大人の義務なの。黙って奢られなさい」
優しい声、だが真の通ったしっかりとした声で、彼女は言った。
「うん、分かった」
そして、今日一日、刹那は彼女に甘える事にしたのだった。
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