第五話

 あかりの演奏会を観に行ってから、彼女とは二人で遊びに行く仲になった。バイクのリアシートに彼女を乗せ、映画を観に行ったり、ペアチケットが当選したコンサートに二人で足を運んだり、色々な場所に遊びに行ったのを覚えている。


 期末テストの一週間前は、彼女が刹那の家に泊まりに来て、夜深くまで一緒に勉強したり、映画を見たりした。テスト前はいつも憂鬱になるが、彼女と二人でいると、とても楽しかった。


 成績はあまり変わらなかった。いつもより少し点が上がった位だ。


 期末テストが終われば、冬休みまでは一直線だ。




 二学期最後の行事である三者面談を終え、刹那とマイアは揃って教室から出た。「ではまた明日」と落胆した担任教師の声が背後で響く。


 マイアは何か言いたげに刹那の方に視線を向けていたが、刹那は知らんぷりを決め込み、下駄箱の方へ足早に向かった。


「まさか、あんなことを言い出すなんてね」


 ため息交じりの声で、マイアが言う。刹那は足を止めることなく、少しいらだった様子で答えた。


「何か可笑しい事言った?」

「いや? ただ、貴方が音楽に興味があるとは思ってなかったから」

「悪い?」

「そんな事言って無いわ。でも、一体誰の影響?」


 刹那は振り返り、不満を露わにして物言いたげな視線を彼女に向ける。マイアは少し口角を上げ、優し気に笑っているような表情を刹那に向けた。彼女のいつもの表情だった。


 篠崎・S・マイア。刹那の保護者代わりという事で三者面談に来た、『結社』のリーダーである女性だ。ポニーテールに束ねた黒い髪。色っぽい鳴きボクロのある目元に紫のフレームの眼鏡を掛け、すらりとしたチャコールのパンツスーツに、黒いピンヒール。手元にはベージュのトレンチコートが引っ掛かっている。


 刹那の記憶にあるマイアの姿は、殆どスーツ姿であり、今日もその例外では無い。そして、綺麗に整えられたそのスーツに見劣りしないほどの美貌を備えている。刹那の年の離れた姉という事になっているが、彼女に対して、担任教師は終始色目を使った話し方をしていた。


「何? そんなにカリカリしないでよ」

「……別に」


 バツの悪そうにマイアから視線を外し、刹那は再び歩を進める。


「音大ねぇ……入るのはかなり難しいわよ?」

「分かってる。進路を決めて来いって言われたから、取り敢えずの答えを提出しただけ」


 刹那はそう言ったが、この言葉には嘘と誠と、少しの誤解がある。彼女は「音楽の勉強をしたい」と担任教師に告げたのだが、彼はその言葉を拡大解釈し、「音大に行きたい」という事になってしまったのだった。


 実際、刹那が音楽の勉強をしたいと思ったのは事実だ。ただ、音大に入る事の難しさも、入ったとしてやっていけるスキルが今はまだ無いという事も理解している。しかし入れないとしても、独学で勉強する事は出来るはずだ。


 その為の時間を確保する稼ぎはある。あまり綺麗な稼ぎでは無かったが。


「それで? 何があったの?」


 マイアが言う。そのあまりに優し気な口調に、本当に姉か母親と勘違いしてしまいそうになる。


「……友達のコンサートを観て来た」

「そこから影響を受けたんだ?」

「うん」

「そんなにすごい演奏だった?」

「うん、すごい。今まで見たことも聞いたことも無いような、そんな演奏だった」

「よかったじゃない」


 突然、嬉しそうな笑い声を交えながら言ったマイアに、刹那は思わず顔を向ける。


「え?」

「貴方に友達が出来て」


 口をへの字に結び、刹那は言う。


「馬鹿にしないで」

「してないわ。でも……そうね、クロウからもそんな報告が来てた気がする」

「クロウが?」

「えぇ、最近明るくなった気がする、って」


 この一か月弱、クロウとは数回ほどしか会っていない。の依頼が暫く入らなかった事と、用事が無ければあまり合わない方がいいと彼から言われているからだ。


 テスト期間一週間前。ほとんどの部活動がテスト対策の為に休みになる時期に、一度だけ仕事の依頼が来たが、それはクロウが一人で引き受けてくれた。仕事の翌日、生存確認を兼ねて礼を言いに行ったのだが、丁度彼がケガの手当てをしている所に出くわした。


 依頼内容は誘拐された子供の保護だった。その保護すべき子供に撃たれたそうだ。


 「錯乱状態だったのか、そうするように脅しつけられていたんだろうな」とクロウは何事でも無いように言っていたのを覚えている。四十五ACP弾が前腕を掠めただけだったようで、事実、彼にとってはあまり大したことでは無かったのだろう。


 その際、私は何処か楽しそうに見えたのだろうか、と刹那は自分を疑ってみる。


「そう? 自分ではわからない」

「私から見ても、前より明るくなったように見えるわ」

「あっそ」


 話を切るつもりで、刹那はぶっきらぼうに言う。何が可笑しいのか、マイアは彼女の後ろでクスクスと笑っていた。


 彼女と喋っているうちに下駄箱の前に着いた。靴を履き替えてガラス戸をくぐる。


「刹那、今日は――」

「間宮~? ちょっといい~?」


 マイアが口調を少し硬いものに変えて言った時、ふらりとやって来た男子生徒が彼女を遮って口を挟んだ。


 刹那は男子生徒の方を向き、顔を確認する。同じクラスの男子生徒。確か、名前は獅童だったか。


「何か用?」

「イヤさぁ~、誠也が校舎裏に来てくれって呼んでてさぁ~」


 あまり関りも無いのに、軽い様子で話しかけて来る獅童に刹那は少し警戒心を抱いた。獅童は、彼が話に出した誠也と言う男子生徒と同じサッカー部に所属している。クラスの内にヒエラルキーの様な物があるのだとしたら、恐らく上の方に居る人間。


 或いは、上に居ると思い込んでいるタイプの人間。学校の生徒をクラスという集合体の中に押し込むと、どういう訳か彼等はその集合体の中で上下関係を決めたがる傾向がある。


 傍から見れば思い込みに過ぎないのだが、その中の地位を上げるために躍起になる者も居るのが刹那には不思議であり、同時に軽蔑の対象でもあった。


 今、彼女の目の前にいる獅童という生徒は、典型的なそのタイプの生徒だ。少しでもヒエラルキーの上に行くために好きでもないサッカー部に入り、クラス一の人気者の誠也という生徒の取り巻きとなって、彼をちやほやする。


 自分が虎の威を借りたい狐だという事に気づいていない哀れな人間。初対面のマイアを当然の如く遮り、刹那に対する「ヒエラルキーが上の俺が言ってんだからゆうこと聞くよな?」という態度が滲み出た物言い。


 あぁ、と刹那は溜息を付きたくなる。一体何の用だというのだ。


「その子が何の用?」

「なんかさぁ~話があるんだって」

「行かなきゃダメ?」

「え? いや、それヤバいでしょ」


 どこか馬鹿にしたような言い方だった。「いう事聞かないとかありえないでしょ、俺、上だよ?」と言う本心が透けて見えるようだ。


「分かった、行く」

「オッケー、案内するから付いてきて」


 満足そうに歩き出した獅童の後ろに続こうとした時、左手をグイと引っ張られた。振り返ってみると、マイアが心配そうな表情を浮かべている。


「大丈夫なの?」

「え?」

「あの子、なんか感じ悪いわ。無理について行かなくてもいいんじゃない?」


 マイアは言う。やはり裏家業に携わる者達を束ねるリーダーなだけあって、彼女にも獅童の本質が見えたのだろう。


「大丈夫」

「ホントに?」

「うん。いざと言う時、自分の身くらい自分で守れる」


 刹那がマイアにそう返した時、獅童の声が向こうから響いてきた。


「お~い、何やってんの~?」


 神経を逆撫でする声だ。刹那はマイアの手を放し、獅童の後を追う。無言で彼の後をついて行くと、真っ直ぐに校舎裏の空間へ案内された。そこには男子生徒が二人、女子生徒が一人いた。


 一人は件の誠也と言う男子生徒だ。百七十七センチの身長を持ち、甘いマスクと言うにふさわしい整った顔が、サッカーで鍛えた肉体の上にくっついている。いつも爽やかな雰囲気を纏い、いつもクラスの中心に居る存在。当然、女子生徒からの人気も高い。


 しかし、刹那にとっては、あまり好かぬ人間の一人だった。と言うのも、彼が女子生徒と話す際、時折見せる不敵な笑みが、どうも胡散臭いのだ。女子生徒たちを全体的に見下しているような、何処か舐め腐っているような、そんな表情だ。


 十代。普通の高校生ならば、彼のそんな表情なぞ気にも留めなかっただろう。ましてや彼はクラス中の憧れの人。そんな表情すら、彼女達には魅力的に見えたかもしれない。


 だが、生憎あいにく刹那は普通の高校生では無い。彼女は『ヴァイパー』であり、プロの殺し屋だ。誠也が見せるその顔を見逃すようでは、彼女はとうの昔に命を落としていただろう。


「俺、間宮のこと好きなんだよね」


 連れて来られた刹那に、彼はさらりと言った。刹那には何の驚きも無かった。案の定、彼の顔が例の表情に歪んでいたからだ。


 いや、と刹那は思った。どうもあの表情が浮かべているのは、嘲笑の様に見える。


 残りの二人、男子生徒一人と女子生徒一人は特に知らない二人だった。双方、髪を怒られない程度に明るく染め、着崩した感じで制服を着こなしているが、名前すら憶えていない。同じクラスだったような気はする。


「そう。それで?」


 内心うんざりしながら、刹那は淡々と言った。その場に居た全員の顔が、一瞬驚愕に歪む。どうやら、彼等は二つ返事で刹那がオーケーを出すと思っていたようだ。


「えっ……いや、だからさ――」

「好意を抱くのは勝手だけど、だからどうしたいの?」


 「浅ましい」と刹那は胸の中で毒づく。よくある揶揄からかいの手法だ。暗い雰囲気の生徒に美男や美女が告白し、舞い上がる相手を面白可笑しくはやし立てる。


 残念。引っかかると思った?


「何も無いなら、帰る。私忙しいから」


 そう言うなりくるりと向きを変えて歩き始めた彼女の背後から、獅童の声が投げかけられる。


「え? いいの? どうなっても知らねぇよ?」


 ちんけな脅しだ。内心鼻で笑いたくなるのを堪えながら、刹那は振り返りもせず言った。


「好きにして」


 そのまま校門の方へ向かう。背後で舌を打つ声が聞こえた。獅童のものでは無い。もう一人の男子生徒か、恐らく誠也の物だろう。


 案の定だ、と刹那は思う。人を騙したいなら、もう少し上手くやるべきだ。

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