第二十四話

 次の日、刹那はいつも通り学校へ登校した。あかりは今日も休むらしい。朝早く、メッセージアプリにそう通知が入っていた。


 今日の帰り、彼女の家に寄って行くとメッセージアプリで告げると、「それはダメ」と一言だけ返事が帰って来た。刹那に迷惑を掛けないようにと遠慮しているようだったので、「わかった」と一言だけ返しておいて、アポなしで乗り込むつもりだ。


 学校に着き、教室の中に入る。昨日の様な、嫌な視線は感じなかったが、何処か遠慮されているような感覚を覚えた。人前で殴られたのを気にしている、とでも思われているのだろうか。


 刹那は気にせずに教室の中を進み、自分の席に着いた。三学期が始まって、登校二日目だ。今日からもう六時間授業が始まる。ハッキリ言って憂鬱だ。


 狭い部屋に見知らぬ人間と一緒に押し込められ、半日近く面白くも無い授業を聞かなければならない。たまに面白い授業もあるが、大半の授業内容は退屈甚だしく、起きているのでやっとだ。


 加えて、今日もあかりが居ない。神様がいるのなら、どこまで私に退屈を味合わせるつもりだと問い詰めたくなる。


 教室の中に視線を巡らす。獅童の席が空いているのが見えた。


 そういえば、アイツは停学になったんだっけ、と刹那は心の中で呟いた。まぁ、ハッキリ言って視界に入っても不快感しか覚えない奴だったから、丁度いいだろう。


 黒板も見えやすくなった。見えた所で、授業内容をノートに取る予定は無いが。

 

 獅童、と彼の名前が頭の中をよぎった。刹那は席の前列、誠也たちの方を見る。


 彼等はいつも通り、一見楽しそうに喋っているが、いつもより盛り上がりが少ないように見えた。一人いなくなった事で、勢いを失ったのだろうか。少し声のトーンが落ちているような気がする。


 うるさい連中が一つ減って結構な事だったが、視線を悟られないように彼等の方を観察していると、何か企んでいるような喋り方をしているのが分かった。


 始めに言いだしたのは誠也の様だった。残りの二人は少したじろいでいるが、どうも彼に怯えているような態度で弱弱しく頷いている。


 そういう状態の集団が考えていることは、大抵悪事だと相場が決まっている。


 それに、刹那自身も仕掛けられた経験がある。三者面談の帰り、刹那は誠也に妙なからかいを受けた。彼女は端から彼等の事をよく思っていなかったから避ける事は出来たが、腐っても彼はクラスの中の中心人物。憧れを抱いている女子生徒は少なくない。


 もし、あの誘いを受けてしまった場合、連中が何をしてくるのか分からない。


 いや、と刹那は自分の中に浮かんだ考えを否定する。うっすらとは感づいている気がする。ただ、そこまでやる連中だという確証がない。


 念のため、目を光らせておいた方がいいか。


 刹那は連中から視線を外し、窓の外に目を移した。




 六限全ての授業が終わった。案の定、どれもこれも面白い授業内容では無かった。好きな科目はあるが、見事にそれを外してきた時間割だった事もあり、今日一日は本当に退屈だった。


 ホームルームが始まり、刹那は通学鞄の中に教科書を放り込む。担任の話を聞いて、帰りの挨拶。


 教室の外に出ようとした時、ふと彼女は足を止めた、誠也たちの後方へ回り、彼等の方へ目を向ける。


 彼が立ち上がり、取り巻き連中たちに何か一言二言伝えるのが見えた。二人は怯えたように頷くと、教室の前のドアから出て行く。


 刹那は後ろのドアから出て、彼等に気づかれないように後を付けてみる。


 すると、案の定だった。


 二人は下駄箱の方へ向かい、一人で下校しようとしている地味目の女子生徒に声を掛けた。女子生徒が怪訝そうな表情で彼等を見つめ返すが、突然、目の色が変わり、その中に隠せない期待が浮かび上がる。


 ちょっといい? 誠也から話があるんだけど。誘い文句としてはそんなところだろうか。


 会話が進み、女子生徒が頷くのが見えた。取り巻きの二人に案内され、彼女はのこのこと連れられるままに彼等の後をついて行く。


 あまりに無防備な姿に、刹那は小さく溜息を付いた。自分と同世代の少女たちが、どうしてこうも危機感が無いのかいつも疑問だった。少し有名な人間の名前を出されるだけで、こうも簡単に気を緩めてしまう。


 刹那は壁から離れ、二人と、女子生徒に気づかれないように彼等の後を付けた。取り巻き二人は、冬休みに入る前、刹那が獅童に連れられて歩いたルートと同じ道を通り、誠也達がたむろしている場所に女子生徒を案内する。


 やはりここか、と刹那は息を付いた。


 そこからはまさにデジャヴだった。人気のないその場所で、誠也が女子生徒に告白する。刹那がやられたそのままの光景が、再びその場所で繰り返される。


 違うのは、女子生徒の反応だ。彼女は心底驚いた様に目を見開き、顔を真っ赤にしてそわそわし始めた。どうやら、誠也の告白を本気だと勘違いしているらしい。彼の顔に浮かぶいやらしい笑みは、彼女の目にはさぞ魅力的に映っている事だろう。


 おめでたい話だ。と刹那は思う。どうやら、この先の展開は彼女が予想した通りになりそうだ。


 女子生徒が嬉し涙を流しながら、小さくコクリと頷く。誠也の告白を受け入れたらしい。


 刹那はため息を付き、額に手を当てて顔を左右に振った。


 さて、面倒なことになるぞ。


「じゃ、さっそくだけど」


 誠也の声が、少し離れた位置に隠れている刹那の方まで聞こえてくる。獲物を手中に収め、思わず声が大きくなっているようだ。


 所詮、悪党としてもその程度か、と刹那は心の中で毒づいた。これから行おうとしている悪事を前に、気が逸るのは二流の証だ。クロウがそう言っていた事を思い出す。


 どうやらその通りだったようだ。


 キョトンと顔を傾げる女子生徒を、誠也の取り巻き二人が挟み込み、彼女の腕を取り押さえた。

 

 突然の事に、女子生徒が戸惑いの声を上げる。誠也と取り巻き二人はその声をまるで気する様子も無く、近くにあった、もう使われていない小さな倉庫に彼女を連れて行く。


 その段になって初めて何かおかしいと気づいたのか、女子生徒が「放してください!」と声を上げるのが聞こえた。続けて叫ぼうと口を開くが、取り巻きの一人が彼女の口を力づくで塞ぐ。


 誠也が錆びた倉庫のドアを開き、女子生徒を中に連れ込む。誠也が最後にドアの中に消え、ドアが閉まった。


 刹那は隠れていた物陰から出て、倉庫の方へ向かう。道中、ドアにはめ込まれた磨りガラスの向こうの人影が動き、カチリと言う小さな音が響くのが耳に入った。誠也がドアの鍵を閉じたようだ。


 準備完了、って訳?


 倉庫のドアに手を掛け、音が鳴らないようにノブをゆっくりと回した。誠也がやっていたように、押して中に入ろうとするが、ドアが開く気配は無い。


 その時、ドアの向こうからくぐもった悲鳴が聞こえた。


 刹那はドアから少し離れた。倉庫のドアは見た所アルミニウム製。右脚を振り上げ、踏み抜くようにノブの少し右側に蹴りを炸裂させる。


 ドアの鍵部分がへしゃげ、鍵の部分が破断して、倉庫の内側へドアが開いた。


 蹴りの勢いに乗ったまま、刹那は倉庫の中に闖入する。睨み上げる様に左の方に目を向けると、誠也と取り巻きが女子生徒に襲い掛かっている最中だった。


 黒い学生服が引き剥がされ、その下に着ている白い下着が露わになっている。顔は恐怖に歪み、彼女の手には、何処から用意したのかわからないガムテープが何重にも巻かれていた。


 誠也と取り巻き二人は、突然ドアを突き破って参上した刹那の方を向いたまま、目を見開いて固まっている。


 あまりに予想通りの光景に、刹那は思わず吹き出した。


「心底つまらないわ、アンタたち」


 見下げ果てた感情を隠そうともせず、彼女は吐き捨てる様に言う。ようやく目の前の状況を理解したのか、取り巻き二人が誠也の方を見た。


 誠也は二人の視線を見返し、それから刹那の方に目を移す。


「何、お前?」


 彼は無理に低くした声で言った。動揺を必死で隠そうとしているのが分かった。声が少し震えている上、視線が小刻みにあちこちへ揺れている。


「妙な事やってるから、つけて来た」

「だから何? これ見てどうする気?」

「さぁ、どうしよっか?」


 刹那は鼻で笑い、誠也に相対する。


「先生に言う? それとも――」


 視線を女子生徒の方へ移し、彼女はわざとらしく言った。


「警察、の方がいい?」


 誠也が大げさに声を出して笑った。首筋に冷や汗が伝うのが見えた。無理をしているのがバレバレだ。


「アイツ等に言って信じると思ってんの?」


 その調子を助長するように、刹那は同じ調子で返す。


「試してみる?」


 眉を歪めながら、状況を楽しむ様に声を震わせてみる。誠也の目が、一瞬見開かれるのが分かった。


 もう一押しか。


「た、助けてください!」


 その時、すっかり蚊帳の外だった女子生徒が震えた声を張り上げた。口にはガムテープが張られていない。取り巻きの片割れがまだ手に持っているガムテープは、彼女の口を塞ぐための物だったようだ。


 刹那は携帯を取り出し、堂々と三人の前で操作して見せる。


「何、やってんの?」


 さすがにマズいと考えたのだろう。誠也の声に焦りと怒りが混じって来た。


「彼女に言われたから、警察に通報するの」


 刹那は女子生徒の方を顎で示し、言った。


「はぁ?」


 誠也がそう威嚇する。分かりやすく怖がらせようとしている声色だ。


 口は達者だが、態度が伴っていない、と刹那は誠也の所作を観察しながら言う。彼の膝が少し笑っている。本当は全部ほっぽり出してここから逃げ出したいのだろう。


 刹那は女子生徒の方に指を差して言った。


「してほしくないなら、やる事、あるでしょ?」


 彼女を解放しろ、と言っている風を装った。正直な話、彼女の事はどうでもよかった。ただ、これからの展開を予想した時、彼女がいると後々面倒なことになりそうだったから、ここから離れてもらう事にしただけだ。


 誠也は舌を打った。口惜しそうに女子生徒の方を見た。


 子生徒は自力で立ち上がり、震える足で刹那の方に駆け込んでくる。バランスを崩し、倒れ込んだ彼女を支えてやらなければならなった。


 刹那は彼女の身体を起こし、腕に巻かれたガムテープを素手で引き剥がす。かなりの痛みが手首に奔ったはずだが、女子生徒は気にする様子も無く倉庫から走って逃げ出した。


「あーあ、行っちゃった」


 刹那は言い、携帯の画面を誠也の方に向ける。そこには、サイレントモードで撮影した、はだけた学生服姿の女子生徒の姿が写っていた。


「お前! ふざけんな!」


 焦燥に駆られた誠也が大声を上げる。取り巻き二人も動揺を露わにし、お互いに顔を見合わせた。


「別に、これをどうこうしようって気は無いわ」


 ドアの外、逃げ去って行った女子生徒の方を指で示し、刹那は言った。


「でも、あの子が警察に届け出た時、提出を求められたら応じるつもり」


 誠也が悔し気に歯を食いしばる。取り巻き二人が彼の方に向き、三人は何か覚悟したようにうなずき合った。


 彼等の目が刹那の方に集中する。身体を半身に引き、上体を少し前に倒す。


 ファイティングポーズだ、と刹那は判断する。当人らは無意識だろうが、刹那にとっては分かりやすい位の戦闘意思表示だ。


 刹那は右手に携帯を持ったまま、肩を竦めて言った。


「やめておけば?」

「それ、寄越せ」


 刹那に被せる様に、誠也が言う。脅しているつもりの様だった。取り巻き二人も目をぎらつかせ、今にも彼女に襲い掛かろうとしている。


 が、その目の中に小さな慢心が浮かんでいるのを、刹那は見落とさなかった。


 殴られて泣くような女だ、楽勝だろ。そんなとこだろうかと刹那は予想する。


 さぁ、どうかしらね。


 刹那は腕を垂らし、肩を下げる。


「断る」


 そして、冷たく言った。が少し顔を出したのが分かった。


 周りの空気を凍り付かせるようなその語気に、三人が小さくたじろぐのが分かった。誠也は動揺を隠そうともせず目を見開き、その場に固まる。


 取り巻きの一人が、恐怖を振り払う様に雄叫びを上げ、刹那の方に突進した。右手に持つ携帯に手を伸ばし、血走った目がそちらの方を注視している。


 もう一人の反応が遅れ、歯を食いしばりながら数歩遅れて刹那に襲い掛かる。


 刹那は、わざと携帯を掴みやすい位置に突き出した。先に突っ込んで来た取り巻きがそちらに両手を伸ばし、血走った眼がそちらを注視する。


 彼の両手が刹那の右手首を掴んだ。彼女の手から携帯を奪い取ろうとする。


 刹那は半身を引き、腰の入った左フックで彼の右頬を殴りつけた。顎を一発で砕かれた彼は一瞬で意識を失い、そのまま隣に置いてあった授業用の機材に倒れ込む。


 携帯を左手に持ち替え、握り込んだ右の拳を殴りかかって来るもう一人の取り巻きの蟀谷に叩き込んだ。当たり所が悪く、一発で気絶までは持って行けなかったが、体勢を崩して地面に倒れ込んだ彼の顔面に、左のつま先を振り抜く。


 相当な量の鼻血を吹き出したのにも関わらず、彼は一言も発しない。どうやら気絶したようだ。


 一瞬にして二人を片づけた刹那が誠也の方を見ると、先程までやる気満々だった彼がその場にへたり込み、だらしなく失禁する。


 刹那は溜息を付き、さぞ呆れたように言った。


「だらしない」


 誠也が歯をガタガタと打ち鳴らしながら、精一杯に口を動かす。


「こ、こんな事して、どうなるか分かってんのか?」

「どうかするの?」


 眉を歪めながら、刹那は言う。


「出来ないよね? 貴方達が女に負けるわけがないもの」


 嘲笑混じりに言う。誠也は口をパクパクと動かすが、何も言わなかった。


「じゃあね。あの子がどういう対応を取るか、楽しみに待ってるわ」


 そう言って、彼女は倉庫を後にする。


 通学鞄を持ちながら、駐輪場に向かう途中、胸が透くような思いと共に、彼女は笑い声を上げた。


 いい気分だ。本当にいい気分だ。






 


 


 


 


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