第二十五話

 バイクを駆り、学校を後にした刹那はあかりの家に向かった。


 つまらない事に時間を使ってしまったが、まだ訪問するのに非常識な時間では無い。荒事に携わった後は、誰かと話したくなる。


 刹那は彼女の家の前にバイクを停め、インターホンを押す。家中からベルの音が響いてきたが、彼女が出てくる気配は無い。


 起き出せないほど体調が悪いのだろうか。


 風邪薬と、雑炊を作るための材料は買って来ている。何より、どんな形でも彼女の顔が見たい。


 刹那は見舞い品を入れた学生鞄をバイクのリアシートから取り上げた。頬を一つ叩き、もう一度インターホンのスイッチに指を伸ばす。


 その時、何か妙な感じを覚えた。彼女の家の中から、誰の気配も無い。


 静かすぎる。まるで、誰かが意図して無人を装っているかの様だった。


 脳のどこか、奥の方の本能に直結している部分が、「マズい事になる」と警鈴を鳴らしている。無意識に右手が腰のホルスターに差した拳銃を引き抜こうとし、自分が制服姿であることを思い出した。


 一度、家に戻って武器を調達してきた方がいいか?

 

 いや。


 刹那は庭先のドアに手を掛ける。もちろん鍵が掛けられているが、彼女はそれを颯爽と飛び越え、庭を横切る短い石畳の道の先にある玄関扉に手を掛けた。


 ノブをゆっくり回し、そっと扉を押す。鍵が掛かっておらず、ドアが音も無く開いた。


 いよいよきな臭くなってきたな、と刹那は思う。玄関に忍び込み、左に置かれていた靴箱に掛かっていた、べっ甲の靴ベラを手に取った。こんな物でも、素手よりはマシだ。


 靴を脱いで、玄関先へ上がり込む。右手に靴ベラを持ち、足音を殺しながら一階のリビングルームに向かう。


 リビングへ続く扉が小さく開いているのが見えた。中の様子までは分からないが、その扉の向こうから漂って来た鉄臭い匂いが鼻に纏わりつく。


 血の匂い。刹那は全身の血が沸騰するのが分かった。扉を力いっぱい引き開け、中の状況を確認する。


 見覚えの無い、ガラの悪そうな男女三人組がリビングの中にたむろしているのが見えた。三人が取り囲む中心には、血だまりの中に倒れた女性の姿が見える。


 背格好からあかりでは無い事は確かだったが、彼女の年齢や、どことなくあかりに似た雰囲気から、刹那は彼女があかりの母親だと確信する。


 いつかここに遊びに来た時、あかりと一緒に勉強していると、ケーキと紅茶を差し入れに持って来てくれた優しい人だった。


 その面影はもう何処にも無い。ひどく殴りつけらえた顔面から血を流し、腹を押さえてリビングの床に蹲っていた。


 半笑いで彼女を見下ろす連中は、そこそこの体格を持った男二人、金髪に染めた女一人の組み合わせだ。


 あかりの母親が来ているカーディガンに煙草の灰を落としながら、突然入って来た学生服の刹那の方に目を向ける。女は彼女を見て少し驚いた表情を見せたが、男達の方は彼女の方を見て、「新しい獲物が来た」とでも言いたげに口角を歪めた。


「オイオイ、何だよねぇちゃん。迷い込んだのか?」


 顎を突き出しながら、男の片割れが刹那の方へ近寄って来る。下心を隠そうともしない。それどころか、見せつける様に唇を舐めた。


 もう一人が、腰から取り出した特殊警棒を振って展開させた。アメリカ映画の悪徳警官がやる様に左手で警棒を打ち鳴らし、噛んでいるガムをクチャクチャ言わせながら刹那の方に近づいて来る。


「このまま帰られると、俺らめんどくせぇことになるんだわ」


 最初の男が言い、左腰に吊るしていた大振りのナイフを引き抜く。リビングの電灯を反射した刃がキラリと光り、刹那の目を一瞬眩ませた。


「まぁ、大人しくしてろや。たっぷり可愛がってやるからよ!」


 男の手に握られたナイフが翻り、刹那の胸元を突いて来る。


 持っていた靴ベラでその攻撃を右へ弾く。突きの慣性に乗り、勢い余って刹那の身体の後ろへ抜けていく男の顔面に、右の肘を叩き込む。靴ベラの先端を左手で掴み、仰け反る男のナイフを握る右手ヘ、柄の先の輪っかを打ち付けた。


 手の甲の骨を折る感覚が、靴ベラを通して伝わった。


 肘で鼻を潰され、鼻血を垂らす男は怒りに任せて刹那の胸元を左手で掴んだ。右手を振り上げ、拳を振りかぶる。


 刹那は右半身を後ろに引き、靴ベラの先端を掴んだまま、自身の左腕を、胸元を掴む男の左腕の下にくぐらせた。そのままぐるりと腕全体を回し、肘で男の左腕を押しのける。


 一瞬にして背後を取り、体勢を崩された男は攻撃のタイミングを見失う。刹那は右手で握る靴ベラの持ち手を、背後から男の右の蟀谷に振り抜く。前によろけた男の鼻先に向かって、続けざまに輪っかを突き出した。


 そのまま後ろよろけ、倒れ込もうとする男の左腕を掴み、グイと自分の方へ引き寄せ、顎下に左膝を叩き込む。仰け反った頭を、靴ベラを握ったままの右手で押さえつけ、側にあったテーブルの角に顔面を叩きつけた。


 男の身体から力が抜け、ズンと重くなる。刹那は容赦なく身体を掴んでいた手を放し、地面に崩れ落ちるままにした。


 もう一人の男が一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに怒りに歯を食いしばり、特殊警棒を振り上げ、奇声を上げながら刹那に襲い掛かった。


 刹那は前に踏み込み、男の懐に入り込んだ。左腕で防御態勢を取り、振り下ろされる特殊警棒を握る男の右腕を止める。そのまま男の右手首を取り、左へ捩じり上げながら、靴ベラで喉元を突いた。


 喉を潰され、男の呼吸が一瞬止まる。無防備になった顎下に右肘を振り上げ、男の顎を叩き割る。叩き折られた歯が血飛沫と共に宙を舞った。


 右手を放し、男が背後に倒れ込むままにする。顎下を突きあげられ、後頭部から倒れた男の顔面に、両手で握り直した靴ベラを思い切り振り下ろす。折れ飛んだ先端が刹那の右腕を裂き、鮮血が細かく舞った。


 眼下に見下ろす男が動かなくなる。意識を飛ばしたようだ。刹那は肩で息をしながら、あかりの母親の方に目を向ける。


 その時、腰に鋭い痛みが奔った。針を突き立てられ、それで肉をかき回されるような、強烈な痛みだ。


 短い呻き声を上げながら、刹那は前に倒れ込む。今しがた片づけた男の身体につまづき、膝を打ち付けながら地面に崩れ落ちた。


 左手で腰を押さえながら、身体を回して、激痛をもたらした元凶の方へ身体を回す。男との戦闘で、その存在をすっかり忘れていた。


 金髪に染めた女が、右手にスタンガンを持っているのが見えた。飛び出た二本の電極から青白い電流が迸り、巨大な羽虫が羽ばたいているかのような、不気味な音を響かせている。


 怯えと怒りが混じったような表情に顔を歪ませ、女は半狂乱にスタンガンを振り回す。痛む身体を懸命に捩じりながら、刹那は女の右手を捌く。


 前腕や肩を掠めた電極が、容赦なく彼女の身体に電流を走らせた。そのたびに激痛に襲われ、何度も抵抗する気力を削がれそうになる。


 その内限界が来る。そう悟った刹那は、思い切って賭けに出た。


 左手を開き、突き出されるスタンガンを真正面から握りに行った。掌に突き立てられる電極から、三万ボルトの激痛が容赦なく全身を奔り回った。


 刹那は怒号を上げ、痛みを振り払った。右手に握る折れた靴ベラを女の右手に突き立て、彼女の手をスタンガンから引き放す。


 痛みと恐怖に顔を歪め、女は自身の右手首を掴み、弱弱しく後ろへ後退る。刹那は獣の様な唸り声と共にに立ち上がり、左手で奪い取ったスタンガンを投げ捨てた。


 踵を返し、逃げ出そうとする女の首根っこを掴み、引き倒して両腕を首に回す。獲物に巻き付いた蛇の様な力で女の気道を圧し潰す。


 女は刹那の腕を力なく叩くが、彼女にとっては何の事は無い攻撃だ。そのまま力を強め、女を閉め落とす。


 女の抵抗が弱まるが、意識を失う直前、彼女は目の前に転がっていたナイフに手を伸ばした。一番先に片づけた男が持っていた得物だ。


 ナイフに右手が届き、女はそれを掴む。彼女の目に力が戻り、握ったそれを背後の刹那に突き立てようとする。


 何もしなければ、死ぬことは無かったのにね。


 刹那は女が攻撃を仕掛けて来る前に、彼女の首を腕でへし折った。


 力が抜けた死体を、刹那はリビングルームの床に放り出し、刹那は蹲っているあかりの母親の方に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 彼女を仰向けに転がし、刹那は頭を支える。虚ろな目で顔を見上げるあかりの母親が、右手を刹那の方に掲げた。


「……何ですか、これ?」


 その手に握られていた携帯電話を受け取り、刹那は言う。彼女が使っている機種では無い。


・・・」


 彼女はそう一言残し、ふらりと意識を失った。刹那は目を見開いて、彼女の顔を見下ろす。


 ヴァイパー。彼女は確かにそう言った。


 どうして、その名前を知っているの?




 




 

 



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