第十四話

 刹那は空港近くに停まっていたタクシーを捕まえ、自分が止まる宿に向かうように頼んだ。二人のキャリーケースは幸いにしてそこまで大きくなく、タクシーのトランクルームにすっぽりと収まるサイズだった。おかけで後部座席を広々と使う事が出来そうだ。


 料金の心配をするあかりに、「まかせて」と刹那は一言返す。なにせ、彼女は学生でありながら、仕事をしている。それも、法外な額が動く裏のだ。


 特に使い道が無かったので、仕事で得た賃金の使い道は、ほぼ生活費と学校に払っている金額だけに当てており、彼女の銀行口座にはかなりの額の貯金が残っている。


 見知らぬ地で、タクシーを存分に走り回せるだけの金は持っている。少し位ここで贅沢をしてもいいはずだ。


 タクシーの奥の座席に乗り込み、おどおどしたあかりを車内に引っ張り込む。彼女も始めは緊張した面立ちだったものの、走り出して十分もしない内に運転手のオヤジと和気あいあい喋るようになっていた。


 あかりがオヤジに目玉の観光スポットを聞き、刹那も一言二言その会話に参加する。もっとも、彼女はほとんど車窓の外を眺めていたのだったが。


 そうしている内に、タクシーは彼女が泊まるホテルの前に停車する。刹那が代金を払った後、二人は礼を言って降りた。キャリーケースを取り出し、ホテルの入口をくぐる。


「うわぁ! すっごい!」


 中に入った途端、感嘆の声を漏らしたあかりを止める気にならなかったのは、刹那自身そう思っていたからだった。床には大理石が埋められ、受付の前には赤い絨毯が敷かれている。すれ違うホテルマンは全員背筋が伸びていて、慇懃いんぎんそのものと言った佇まいだった。


 天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられている。その先の天井も高く、一体自分の身長で何人分になるのだろう、と思わず予想してしまう程だった。


 目立つとマズいんじゃなかったのか、とクロウを問い詰めたくなるようなホテルだ。泊めて貰う身としては何も文句は無いが、随分と奮発してくれたじゃないかと刹那は独り言ちる。


「いいな~私もここに泊まりたいな~」


 あかりが周りを見回しながら言う。心の底からの言葉に聞こえた。


 よし、と刹那は決心する。せっかくため込んだ貯金なのだ。使わなくてどうする。


「いいよ。泊めてあげる」

「え?」

「実は、私ってお金持ちなの」


 少し得意げに言った刹那に対し、あかりは遠慮がちに両手を振りながら言った。


「い、いいよ。私、自分で宿探すから」

「ダメ、もう探し回るのも面倒だし、ここで交渉する」

「でも、絶対高いって!」

「大丈夫、言ったでしょ? 私、結構お金持ちだから」


 「でも……」と弱弱し気に言葉を吐いたあかりの手を掴み、刹那はホテルの受付に向かう。「無理しないで」だの「せめて割り勘で」だのわめき散らすあかりに無視を決め込み、刹那は受付に居た女性に言った。


「すみません、今日止まる予定の間宮という者なんですが」

「はい、間宮様ですね。少々お待ちください」


 そう言うと、受付の女性は手元の端末を操作し、言う。


「はい、承っております。これからお部屋にご案内しますね」

「あの、少し話があって」

「はい?」


 怪訝そうな表情を向ける彼女に対し、刹那はあかりの方に一度目をやってから答えた。


「彼女の部屋も用意してほしいんです。出来れば二人で寝れる部屋に」

「はい? あの、えっと……」

「急なお願いで申し訳ありません。でも、彼女、今日――」


 刹那の交渉する声を遮るように、あかりが慌てた様子で声を張り上げた。


「ち、ち、違います! ホントに大丈夫ですから! 私、自分でホテル探しますから~!」


 その声に被せる様に、刹那も声を上げる。


「彼女はこう言ってるんですが、無視してください」


 あかりの申し出を撥ねつけるような調子で言い、刹那は議論を打ち切った。受付の女性が困った様子で苦笑いを浮かべている。


「追加料金の事なら気にしないで下さい。私が払いますので」

「ま、待って! せめて割り勘で――」

「私が払いますので」


 あかりの口を押え、刹那は言い切る。彼女の眼力に押され、受付の女性が少したじろぎながら言った。


「いえ、そうでなくてですね」

「部屋が埋まっている、とか?」


 刹那が食い気味に言うと、女性は顔を傾げながら言った。


「いえ、間宮様は元々ダブルのお部屋でご予約されておりますが」

「え?」

「へ?」


 刹那とあかり、二人が上げた素っ頓狂な声が同時に重なる。


「いえ、今日のお昼ごろ、電話があったんですよ。部屋を変更したいと」


 目を丸くしながら、刹那が何も言わずにいると、女性がふふっと笑って続けた。


「人数が一人増えたので、ダブルの部屋をお願いします、と」


 男の声。刹那がこのホテルに宿泊するする事を知っている男と言えば、心当たりは一人しかいない。


「男性の声でしたので、もしかするといたずら電話かも知れなかったんですが」

「いえ、それでお願いします」


 刹那は即座に答えた。彼の意図は分からないが、何にせよ、あかりと二人で泊まれるのなら好都合だ。


「しかし、お二方は双方とも女性では……」

「電話をしてくれたのは、私の兄です。予約の手順が分からなかったので」


 適当な事を言ってごまかす。受付の女性は腑に落ちない様子だったが、「まぁいいか」という風に一度頷いた。


「では、お部屋の方にご案内させていただきます」


 刹那とあかりは顔を見合わせ、二人してホッと胸を撫でおろす。重なった動作が面白くて、二人で意味も無く笑った。


「あ、そうそう。その男性の方から伝言を預かっていたんですよ」


 受付の女性が思い出したように口を開いた。刹那は彼女の方に目を向ける。


「今回だけだぞ、だそうです」


 今回だけ、か。


 刹那は柄にもなく舌を出して応じる。


 随分と気の利いた事をやってくれるじゃないかと、心の中でクロウに礼を言った。




 とにもかくにも、二人一緒に泊まれることになった刹那とあかりは案内された部屋に荷物を置き、必要最低限の物を持ってホテルを後にした。観光の足に再びタクシーを捕まえようと思ったが、「さすがにもうやめて」とあかりに縋りつかれたため、刹那は別の手段を調達することにした。


 ホテルから徒歩十分ほどの距離にあるとある店に向かう。そこではバイクのレンタルをやっており、ヘルメットも借りる事が出来る。


 先に電話しておいたので、店に着くとすんなりと手続きが済んだ。二人の頭にぴったりのジェットヘルメットを用意してもらい、店員の一人が奥から借りたバイクを店の外に運ぶ。


「すみませんねぇ、今はこれしか無くて」


 そう言いながら、店主は二百五十ccのビッグスクーターを二人の前に持って来た。二人にとってはむしろ好都合だ。リアシートも広いうえ、座席の下にヘルメットを収納するスペースもある。刹那とあかり、二人分の体重が乗っかったとして、十分な速度は出せる位のエンジンパワーもある。


「全然大丈夫です! 気にしないで下さい!」


 あかりが言う。強がった事を言っているが、膝が小刻みに笑っていた。


 制限速度以上は出せそうも無いな、と刹那は思う。何の事は無い。いつもの事だ。


「貸出期間は三日です。それ以上になると、延滞料をいただきます」

「分かりました。もしかすると、その前に返す事になるかも知れません」

「その場合でも、返金には応じられませんが大丈夫でしょうか」

「えぇ、構いません」


 刹那はそう言うと、ヘルメットの顎紐を閉めてスクーターに跨った。あかりが後ろに乗るのを待ってから、エンジンを掛ける。


「それでは、気を付けて行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」


 そう言って、刹那はスクーターを発進させた。狭い路地から広い道に出て、ヘルメットに取り付けられたインコムに向かって言う。


「まずは何処に行くの?」

「ちょっと早いですが、晩御飯を食べに行きます。博多ラーメンです!」

「了解。ナビをお願いできる?」

「もちろん! その後の予定はお店で決めよ」

「分かった」


 刹那はあかりのナビを頼りに、ラーメンの店へ向かった。




 そこからそこで決めた観光ルートを辿り、流行のスイーツやきれいな写真の取れるスポット等を回った。あかりが決めたルートなので、かなり女の子好みの場所ばかりだったが、それでも二人で回る見知らぬ土地はとても楽しかった。


 ふと、自分が何のためにここに来たのかが分からなくなる。ここへは身を隠しに来たのだったが、楽しんでばかりでいいのだろうか。


 いいはずが無い、と心のどこかで分かっていた。だが、飛び切りの笑顔を浮かべるあかりに名前を呼ばれるたび、その心配事を頭のどこかに押しやってしまう自分が居た。


 そして、刹那自身この旅行を心の底から楽しんでしまっている事も理解している。頭の中で不安と格闘しながら、彼女は本日最後の観光スポットに向かう山道を登っていた。


「刹那! こっちこっち!」


 あかりが手招きしながら言う。手には携帯を持ち、写真を撮る気満々と言った様子だ。今日一日で、彼女の携帯にはかなりの量の写真が追加された。


 対して、刹那の携帯に増えた写真は両手で数える位しかない。それも、あかりがやるような加工を施した写真、所謂いわゆる「盛った」写真では無く、そのまま撮った写真ばかりだった。


 山の中腹にある展望台だったので、足元がおぼつかない。時刻が夜という事もあり、刹那は慎重に山道を進んでいたのだが、あかりは待ちきれない様子で、眺めのいいスポットまで先に駆け上がって行ったのだった。


 展望台の向こうに広がる夜景が見えて来た。あかりに急かされたのもあって、刹那は土の坂を駆け上がり、あかりの隣へ並ぶ。


「すごい……」


 眼下に広がるその夜景を見た途端、刹那は思わずそう漏らしてしまった。夜の街は彼女、いや、ヴァイパーの仕事場でもある。しかし、通い慣れたその景色を少し引いた位置から眺めた時、こんな風に目に映るとは思っていなかったのだ。


「実はね、ここが一番来たかった所なんだ」


 あかりはそう言って、展望台に設置されているベンチに腰を下ろした。


「あかり?」

「私、高校を卒業したら音大に入って、本格的にプロを目指そうと思ってるの」

 

 夜景の方に目を向けながら、彼女は刹那に背を向けた状態で言う。


「そしてプロになれたらね、こういう場所で、一番大切な人にだけ、私の演奏を聴いてもらうの」


 彼女は何処か愁いを帯びた笑みを刹那の方に向ける。


「それが、私の夢」


 刹那も笑みを返し、あかりの隣に腰を下ろした。


「素敵な夢」

「……ありがと」


 冷たい夜の風が二人の間に吹いた。あかりの身体がブルッと震えた。


「寒い?」

「ちょっと」

「ホテルに戻る?」

「……まだ、もうちょっといる」

「そう」


 夜景の中心に通る高速道路の上を、ヘッドライトやテールライトの明かりが滑るように動いている。


「その時になったら……もしそうできたらね、刹那」


 目を伏せながら、あかりが言った。


「私の演奏、聞いてくれるかな?」


 顔を赤くしながら、彼女は刹那の方へ顔を向ける。刹那は一瞬目を見開いて、暫く目を閉じてから、言った。


「うん、いいよ」

「やった」


 あかりは刹那の左肩に頭を預ける様に倒れ込む。刹那はそれを何も言わず受け止めた。


 遠くで鳴るパトカーのサイレンが、微かに耳元に響いて来る。


 あかりに付いた嘘で、刹那の胸がチクリと痛む。


 その夢が叶わない事は、刹那自身が一番良く分かっていた。








 




 


 



 


 



 


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