第二十七話

 はめ込まれたガラスから覗く眼下に、黒塗りのセダン二台とミニバンが一台乗り付けてきた。後部ドアに真っ黒のスモークが施されていて、明らかに堅気のモノでは無い雰囲気を纏った車だった。


 車の中から、スーツを着た男達がぞろぞろと降りて来る。全員何かしらの得物を手に持っていて、短刀から機関銃までバリエーション豊かだ。


 その中に、丁重にもてなされるようにミニバンから降りて来た白髪交じりの男の姿があった。その隣に、後ろ手に縛られたあかりの姿が見える。


 醜い憎悪が、自分の中で燃え上がるのが分かった。スリングで肩に吊ったライフルをバッグから引き抜き、衝動的に撃ってしまいそうになる。


 歯を食いしばって衝動を押し殺し、息を吐きながらゆっくりとライフルを抜いた。バッグを置いて、ライフルのスリングを肩に掛け、安全装置が掛かっている事を確認する。


 手を放し、腰の辺りに銃を垂らす。コートの裾を広げ、銃本体を裾で覆い隠した。


 部屋に置いてあった、所々が欠けた姿鏡の前に立つ。近くで見ると妙な膨らみが確認できる位で、銃だとは分からない。


 あかりの父親にそこまで近づく予定は無い。偽装としてはこれ位で十分なはずだ。最悪、あの男から、一瞬先手を奪えるだけの時間を稼げればいい。


 ヴァイパーは口から息を吐く。肺から押し出された空気が、唇を擦って掠れた音を鳴らした。


 四方をコンクリートの壁が囲む部屋。そこにポツンと取り付けられた、飾り気のない鉄ドアのノブを握る。


 所々が錆びついていて、動きが悪い。軋むドア押し開け、ヴァイパーはへ赴く。




「来たぞ、ヴァイパー。姿を見せてみろ」


 コンクリートの壁面で構成された建物の中に、男の声が反響する。ヴァイパーはトレンチコートの中のライフルの感触を確かめながら、吹き抜け構造の二階通路を音も無く歩いた。


 彼女があかりの父親を呼び寄せたのは、古い廃工場だった。ここなら銃声が響いたとしても、誰にも気づかれることも無く、放置された配電線からまだ電気が供給されているので、それを罠として利用することも可能だったからだ。


 眼下に見えるあかりの父親が、後ろ手に縛った実の娘を乱暴に引っ張る姿が見えた。奴の後ろには物騒な男達がぞろぞろと続いている。


 が、得物を手に余す連中ばかりのようだ。銃口管理がまるでなっていない。初めての銃器に緊張し、手が震えている者までいた。


「数だけは揃えてきたみたいね」


 ヴァイパーは言った。声を張り上げたつもりは無かったが、芯のある彼女の声は、廃工場の中によく響いた。


 男達の視線が、背後から上がった声の方へ集中する。早々と銃口をこちらへ向ける者まで居た。


 あかりの父親が、ヴァイパーの姿を見て一瞬目を見開く。まさか娘と同じ年頃の少女だとは思わなかったようだ。


「刹那……?」


 釣られて声の方に目をやったあかりが、困惑を隠せない様子で口を開く。サングラスで目元を隠しておいたが、やはりバレてしまったようだ。


「ほう、驚いたな」

 

 余裕を取り繕い、彼は言った。サングラスの奥の瞳でその視線に対峙しながら、ヴァイパーが口を開く。


「そう? なら良かった」

「なるほど。娘と何処で知り合ったのか、見えてきたぞ」

「御想像にお任せするわ」


 喋りながら通路を歩き、元々居た通路とは反対側の通路まで歩いた。銃口のほとんどが彼女の方へ向けられている。その気になった者が一人でもいれば、ヴァイパーは既に死んでいたはずだ。


 しかし、引き金を引く者は居ない。


 正確に言えば、引けなかった。「ボスの会話を邪魔しないように」という自身の遠慮によるもの、と彼等は思いこもうとしていたが、実の所、ヴァイパーが放つ殺気を伴った凄味のせいだという事に気づいている者は、一人もいない。


 仮に、その時引き金を引いたとして、一発として彼女に当たらない。彼等の深層心理にそう刻み付ける程、彼女の身のこなしは堂々としたものだった。


「それで? なにが望み?」


 ヴァイパーは吹き抜け通路の手摺に身を預け、あかりの父親に挑発的に言う。


「もちろん、ただ一つだ」


 彼は開けたジャケットを翻し、空いている右手で腰から拳銃を引き抜く。派手な金色の遊底が照明を反射した。


 派手な彫刻の施された、M1911ガバメント。百年以上使用され続けている信頼性の高い銃だが、趣味の悪い彫刻のせいで機能美が台無しだ。


「お前の命」

「ダメ!」


 言いながら、銃口をヴァイパーの方に向けた父親を、あかりの叫び声が遮った。


「お願い! 刹那にだけは酷いことしないで!」

「あかり、お前は黙っていなさい」

「お父さん! お願いだから――」


 あかりの父親は、後ろ手に縛った実の娘を離し、自由になった左手の甲で彼女の頬を殴りつけた。


 意識せず、ヴァイパーの眉がピクリと動いた。胸の中に苛立ちが沸き立つ。


「あかり、お父さんの邪魔をするな、といつも言っているだろう」

「でも……」

「また、お仕置きだぞ」


 父親から睨みを聞かせた目を向けられ、あかりは無力さを胸に目を逸らす。


 プツリ、との中で何かが切れるのが分かった。


 アイツ、今何を言った?


「さて、ヴァ――」

「今、何て言った」


 ヴァイパーの声色が変わる。周りの空気が一瞬で凍てついた。素人でも危機を直感できる程の、凄まじい殺気だ。


 眼下の男達の銃を握る手に、反射的に力が入る。銃口がカクリと一瞬揺れた。


「うん?」

「お仕置き、って何?」

「あぁ、それは――」

「彼女、さっき私にはって言ったわ」

「そうだったな、だから――」


 ヴァイパーはヒキガエルを睨みつける蛇の様に目をぎょろりと開き、サングラスの奥からあかりの父親を睨みつける。


 視線は見えないが、気迫は伝わったようだ。彼は一瞬身体を震わせ、ごまかすように笑い声を上げ、言った。


「ちょっとした、だよ。何、彼女の為さ」


 何処か誇らしげに言った自分の父親から、あかりが気まずそうに視線を外すのが見えた。彼女の方をよく見てみると、殴られ、倒れた時にめくれ上がったスカートの奥の内腿に、不自然な痣が見える。


 その視線に気づいた彼女が、痣を隠すように脚を曲げた。


 あぁ、そう。


 実の父親にどんな目に遭わされたか。全てを悟ったヴァイパーは、天井を仰ぎ、大きく息を吸った。


 よかった。これで、遠慮なくやれる。


「そう。もういいわ」


 神経を逆撫でする笑みを浮かべるあかりの父親に対し、彼女は冷たく言う。


「刹那……?」


 声色が変わった事に、何か予感を感じたのだろう。あかりが恐る恐るといった様子で、か細い声を上げた。


 視線を彼女の方へ向け、は言った。


「あかり、ごめんね」


 もう一度深呼吸し、ヴァイパーは視線を彼女の父親に向ける。


「もう、容赦するつもりもなくなったわ」


 その言葉に、彼は思わずと言った様子で噴き出した。


「何? この状況で、容赦しないだと?」


 勝ち誇るような笑い声を上げる彼等に対し、ヴァイパーは冷徹に続ける。


「やっぱり気づいてないのね、自分たちが狩場に飛び込んだことに」


 ポケットの中からスイッチを取り出し、彼等の方へ掲げた。


「蛇の毒は、ゆっくり回るのよ」


 そう言って、彼女はスイッチを押下した。


 瞬間、バチンとヒューズが溶断する音と共に、工場内を明るく灯していた電灯が消え、視界が暗転する。


「何だ!?」


 突然視界を奪われ、眼下の連中が狼狽えたのが分かった。声を張り上げたのはあかりの父親だったが、戦意を失っていないのは彼だけのようだ。


 ヴァイパーは掛けていたサングラスの暗視機能をオンにし,トレンチコートの前を翻してライフルを構えた。


 ハンドガードのアクセサリーレールに取り付けた、赤外線レーザーモジュールを起動する。暗視装置を介して、銃前方から線が伸びるのが見えた。これなら、暗い場所でも大方の狙いを付ける事が出来る。


 眼下で右往左往する連中。その先頭に立っていた、あかりの父親の胸元に向け、レーザーサイトで狙いを定める。


 そして、が叫んだ。


「あかり! 走って!」


 あかりは声を聞き、両腕を縛られた状態のまま、器用に立ち上がり、そのまま正面へ走り出した。幸運なことに、そっちは彼女の父親から離れる方向だ。そこまで離れてくれれば、流れ弾には万が一にも当たらないだろう。


 ライフルの安全装置を解除し、兼用のセレクターをセミオートの位置に入れる。銃本体を少し斜めに構え、赤外線レーザーと彼女自身の視線を同軸上に持って来る。


 その時、何かを悟ったのか、あかりの父親が連れてきた連中の一人が、叫び声を上げながら引き金を引いた。運の悪い事に、その男が持っていたのは小型の短機関銃で、続けざまに上がる発火炎と銃声で廃工場の中が騒がしくなる。


 それを皮切りに、他の連中も得物をあらぬ方向へ向け、半狂乱になって乱射し始めた。古い戦争映画のように、野太い雄叫びを上げながら、狙いも付けなければ当たりもしない弾丸をそこかしこに撃発させる。


 まるで、そうすれば暗闇の恐怖から逃れられると確信しているかのように。


 そんなはず、無いのにね。


 ヴァイパーは赤外線レーザーを相手の胸元に向け、喧騒が支配する廃工場の中、一つ息を付いた。引き金に指を掛け、相手の心臓を指先で撫でるかのようにそれを引き絞る。


 騒ぎ立てる後ろの連中に気圧された様子で、ヴァイパーが居た方向に当たりを付け、情けない構え方でガバメントを発砲していたあかりの父親が、ふと身体を動かし、ライフルの射線上からずれた。


 狙いが逸れ、五・五六ミリ弾が右肩を撃ち抜く。彼は叫び声を上げながら、咄嗟に左へ駆けた。その先にあった、廃棄されたコンテナの裏側へ運よく飛び込み、ヴァイパーの狙いから逃れる。


 舌を打ち、ヴァイパーは、銃口を眼下で騒ぎ立てる連中の方へ向ける。セレクターをフルオートに入れ、狙いそこそこに引き金を引いた。


 すぐ眼前で発火炎が上がり、暗視装置越しの視線が真っ白になる、照準も何もあったものではなく、折角取り付けた赤外線レーザーモジュールが何ら意味を成していない。


 それでも彼女は銃を小さく左右に揺らし、撃ち漏らしが無いように満遍なく弾丸を人溜まりの中にまき散らした。素人むき出しで密集していた連中だ。正確に狙いを付けれなくても、誰かには当たっているだろう。


 弾倉の中の弾丸を吐き切り、視界が開ける。暗視装置越しでも、眼下の惨状がハッキリと分かった。


 あと、二秒。


 ヴァイパーは心の中でカウントする。二秒後、廃工場の電源が予備電源に切り替わり、蛍光灯への電力供給が再開される。


 周りがパッと明るくなり、惨状が露わになった。


 死体の山に、巨大な血だまり。


 見慣れた光景。


 だが、あかりが近くにいる時には、死んでも見たくない光景だった。


 ヴァイパーは二階通路の柵を乗り越え、下へ飛び降りる。転がって着地の衝撃を分散し、素早く立ちあがって、ライフルの弾倉を取り換えた。


 あかりは何処に身を隠しているのだろうか。この光景を見て、叫び声を上げずにいられる子では無い。しかし、そんな声は聞こえない。広がる惨状はまだ見ていないという事か。


 替えの弾倉を叩き込み、ボルトハンドルを引く。


 そして、あかりの捜索を開始しようとした時、背後から、何かが飛び掛かって来る気配を感じた。


 


 


 

 


 

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