第二十八話

 ライフルを構え直しながら、銃身を突き出すようにして身体を背後へ回す。背後から襲い掛かる男の姿を視界にとらえた途端、引き金を引いた。


 セレクターはフルオートの位置に入っている。銃口から連続した炎が飛び、弾丸がコンクリートの地面を抉る。


 反動で銃口を跳ね上げながら、ヴァイパーは男の上半身を左へ薙ごうとする。が、男が左腕でハンドガードを遮り、攻撃を逸らした。


 負傷したはずの右手に逆手で握ったナイフを、ヴァイパーの頭上に振り下ろす。


 左手をライフルの先台から放し、前腕でその右腕を遮った。そのまま左腕をくねらせ、ヴァイパーは相手の右手首を取ろうとする。手首に指が掛かった瞬間、鼻先が爆ぜた。


 視界が一瞬真っ暗になり、潰れた鼻から鼻血が噴き出す。


 頭突き。荒っぽいが、非常に有効な手だ。


 ライフルを押さえつけていた力と、左腕で遮った右腕の重みがフッと消える。


 視界はまだ回復していない。


 マズい、と判断し、ヴァイパーは握りっぱなしのライフルを引き寄せ、腰だめの位置で構え、フルオートで弾丸をばら撒いた。狙いも無く、ただただ敵を寄せ付けないためだけの攻撃。跳ねる銃口を、脇に挟み込んだ銃床で抑え込む。反動が攻撃の激しさを雄弁に物語るが、銃弾が敵の身体を捉える感覚が無い。


 鼻先で炸裂した攻撃で、ブレブレだった視界が段々と安定してくる。目を見開いて、敵の姿を探すが、先程まで眼前に迫っていた相手の姿が見当たらなかった。


「なるほど。聞いていた通りだな、ヴァイパー」


 あかりの父親の声が、廃工場の中に響き渡る。余裕綽々と言った様子だ。


「肩を撃ち抜いたつもりだったけど?」


 ライフルの弾倉を取り換えながら、ヴァイパーはその声に答える。辺りに視線を巡らして見るが、敵の姿は何処にも無い。


 所々に廃棄されているコンテナの裏側にでも身を隠しているのだろう、と彼女は当たりを付け、ライフルをそちらの方へ構え直す。その状態のまま、小股でじりじりと後ろへ下がり、彼女はここへ来た本当の目的の方へ移動した。


「あかり? 無事?」


 ヴァイパーはチラリと後ろを見やり、床に倒れ込んでいたあかりへ声を掛けた。彼女は小さく呻いてから、ゆっくりとヴァイパーの方へ顔を向けようとする。


「ダメ、それ以上こっちを向かないで」


 彼女は言い、大きく後ろへ下がって、自身の脚であかりの視界を遮った。ヴァイパーの眼前、あかりの背後には、酷い光景が広がっている。


「せつ……な……? 刹那なんだよね?」


 ヴァイパーの冷たい声に従い、あかりは恐怖を押し殺した様子で、必死に視界を前に向けている。震える声でそう言った彼女に、が何も言わなかったのは、「違う」と否定したかったからだ。


 が、現実は何も違わない。この状況は本物で、彼女は毒蛇ヴァイパーだ。


 だったら、やるべき事をやる。


「イイ狙いだった。だが生憎、私は何の対策も無しにここへ来るような愚か者では無いのでね」


 廃工場の中に、ガシャンと何か重く、固い物が落とされる音が響いた。鈍い音。コンクリートがゴリッと剥がされるような音も微かに聞こえた。


 鉄かセラミックス、その他何か頑丈な防御服の様な物。あかりの父親はHK416ライフルが使用する五・五六ミリの弾丸を止める強靭な防弾ベストを身につけていたようだ。先程の音は、身体から外したそれをコンクリートの地面へ捨てる音だったのだろう。


 通常、その手の代物は、肩の部分に防弾性能は無い。しかし、彼が来ていたのは、そこにも装甲が施された特注品だったのだろう。でなければ、あれ程機敏にナイフを振れた説明が付かない。


「自身を守る鎧を、自分から捨てたの?」

「ほう。音だけで、それが分かったか」

「造作も無いわ」


 あかりの父親が笑う。


「そうか、悪くない」


 そう言った直後、周りを取り巻く空気が、一瞬ピリ付くのが分かった。


「だったら、これは分かるか?」


 空気の流れが変わる。何処かから攻撃を仕掛けられているのは分かったが、その方向が分からない。


「刹那!」


 あかりが叫ぶ。ヴァイパーは反射的に彼女の方へライフルを構え、振り向いた。


 逆手に持ったナイフをヴァイパーの頭上に刃を突き立てようと、あかりの父親が吹き抜けの通路から飛び掛かって来る。ジャケットを脱ぎ捨て、自由になったネクタイがワイシャツの前ではためいている。


 ヴァイパーは、ライフルのレシーバーで刃を握るその腕を遮った。男の体重がのしかかって来る前に、彼女はそのまま身体を捻り、あかりの父親をコンクリートの地面へ投げ飛ばす。


 彼は前転で受け身を取り、身体をヴァイパーの方へ向けて着地する。


 セミオートに切り替え、彼へ狙いを付け、ヴァイパーは引き金を引く。その瞬間、あかりの父親は右へ転がり、側にあったコンテナの裏へ身を隠した。


 発射された弾丸がコンクリートの地面を砕き、破片が細かく舞う。


「クソッ!」


 悪態を付き、彼の後を追うために駆け出そうとしたヴァイパーの背後に、あかりの声が掛かった。


「刹那!」


 その悲痛な声に、彼女は思わず足を止める。


「あの人を、お父さんを、どうするつもり?」


 ポツリ、ポツリと口から零すようにあかりが言う。ヴァイパーは少しの間沈黙し、それから答えた。


「始末する」

「それって、殺すって事?」

「えぇ」


 冷たく、容赦の無い声。銃を手に持った時、自分はこうも冷たい言葉を吐けるのかと、はあかりに背を向けたまま、弱弱しい笑みを浮かべた。


「ねぇ、刹那」

「……何?」


 あかりは刹那の名前を呼び、彼女はそれに応じた。それは、ただの同意だけの意味を持つ返事では無かった。


 もう、隠すことは出来ない。


 そう判断した彼女の、最後のケジメだった。


「もし、あの人を殺すなら」

 

 あかりが言った。彼女の声が、冷たく響くのを、ヴァイパーは聞き逃さなかった。


「キチンと、確実にやって」

「分かった」


 実の娘の腕を縛り上げ、寒空の下、夜闇の中を連れまわし、銃を持った男の真ん中に放り出すような父親だ。元からあまり優れた父親では無かったのだろう。彼女の母親、かつて愛したはずの女でさえ、ヴァイパーを呼び寄せるために乱暴するような男なのだ。


 そして、あかり本人の了承。


 もはや、躊躇する理由は無い。


「実の父親に向かって、酷いじゃないか、あかり」


 あかりの父親の声が響く。と同時に、立て続けに二発銃声が上がった。


 ヴァイパーは咄嗟に身体を右へ倒し、弾丸をやり過ごす。背後から飛んで来たそれが、彼女の左頬を薄く裂いた。鮮血を振り飛ばしながら、彼女は背後へライフルを構え直す。


 右手に持った趣味の悪い拳銃を下げ、左手に握ったナイフを振り上げながら駆けて来るあかりの父親に対し、セミオートで三発叩き込む。狙いをそこそこに、素早さを重視した射撃だったため、最初の一発がコンクリートの地面を打ち砕く。


 残りの二発が、右の肩、左の腿を撃ち抜いた。


 呻き声を上げながら、彼は右手から拳銃を取り落とす。が、痛みを振り払う様に目を見開き、口から怒号の様な呻き声を上げながら、あかりの父親は左手のナイフをヴァイパーへ振り下ろした。


 逆手に持ったそれを、ヴァイパーはライフルの銃床で受け流し、その後端で相手の腹を突いた。身体を折ったあかりの父親を右の前蹴りで突き飛ばし、距離を取ってからライフルを構え直す。


 その時、失敗した、と彼女は悟った。あかりの父親は、飛ばされた先で座り込んでいたあかりの背後に回り、喉元にナイフを突きつける。


「貴様……!」

「ありがたいな、ヴァイパー」


 額に玉のような汗を浮かべながら、あかりの父親は言う。


 ライフルに掛かった人差し指に力が入る。それを見透かしたように、笑みを浮かべながら彼は言った。


「おっと、よしてもらおう」


 そう言われ、ヴァイパーは人差し指を離す。


「それでいい。ライフルを離せ」


 歯を噛みしめながら、ヴァイパーはゆっくりとライフルを手放した。


「刹那! ダメッ!」


 懇願するように叫んだあかりの喉元に、父親の握るナイフの刃先がプツリと侵入する。薄く、小さく肉が裂け、玉を作ってから血液が流れ出た。


「おおっと、パパに優しくしてくれよ、あかり」


 そう言って、彼は口から出した長い舌で、彼女の耳を舐めた。


「貴様ッ!」


 力いっぱい閉じられたあかりの瞳から伝う涙を見て、が怒りの声を上げる。


「さて、お別れの時間だ」


 あかりの父親は、そう言うと同時に、目にも止まらぬ速さでナイフの刃の方へ持ち替え、投擲フォームを取る。


 一瞬とは言え、怒りに囚われていたヴァイパーは判断が遅れ、腰の拳銃を引き抜く動作でワンテンポ遅れを取った。


 危険を前にして、視界がスローモーションに変わる。


 相手の蛇の様にうねった腕がゆっくりと前に伸び、刃先を握った指が段々と開いて行くのが見えた。


 ヴァイパーが手を伸ばした拳銃は、まだホルスターに収まったままだ。


 やられる。


 そう悟った瞬間、ここには居ないはずの銃声が、工場の中に響いた。


 思わず身を強張らせ、ヴァイパーは目を閉じる。が、撃たれた後に感じるはずの衝撃が来ない。


 ゆっくりと目を開ける。彼女の目が捉えたのは、頭を撃ち抜かれ、血だまりの中に横向きに倒れたあかりの父親の姿だった。あかり本人は、彼の死体の前で身を震わせている。


「……そう」


 ヴァイパーが言い、銃声の方に目を向ける。


「来たのね、クロウ」


 そこには、かつて相棒だった男が立っていた。


 


 


 

 


 


 




 




 




 

 

 

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