第七話

 高速道路に乗り、県を二つほど超える。途中のサービスエリアで夕食を調達し、ヴァイパーはクロウが運転するマークXの助手席で腹ごしらえを済ませた。


 会話の無い車内にはマークXのエンジン音だけが響いている。窓枠に肘を付きながら、刹那はぼんやりと窓の外を流れていく景色を眺めていた。


 暫く走り続け、高速道路を降りたのが十一時四十五分過ぎ。下道に降りて少ししてから、クロウは路肩に車を停める。


「……あの建物?」


 ヴァイパーの視線の先、マークXの前方右斜め前にコンクリート製の三階建てビルが建っている。昼間、クロウから渡されたクリップ留めの資料に挟まれていた何枚かの写真の内、一枚があの建物を写したものだった。


「そうだ。ラウは恐らく最上階だ」


 クロウは言い、自身の腰に着けたVZ61を引き抜く。ボルトハンドルを引き、初弾を薬室に送り込み、安全装置を掛けてクロスドローの位置に取り付けたホルスターに戻した。


「言い忘れていたが、これは両面作戦だ。この近くに、ラウが雇った殺し屋が潜伏しているらしい。俺はそいつを始末しに行く。つまり支援はできない。しくじったらそれで終わりだ。いいな?」

「分かった。死なないでね」

「そっちも」


 ヴァイパーはリクライニングを倒して後部座席に移り、バッグからMP5Kを取り出す。空の弾倉と予備弾倉を引き抜き、トランクスルーから九ミリパラベラム弾の箱を引っ張り出して、一発つづ弾倉に弾丸を込めていく。


 最後の弾倉に弾を込め終えると、その一本を銃本体に滑り込ませ、ボルトハンドルを引いて初弾を送り込んだ。安全装置を掛け、引き金から指を外し、銃床を展開して試しに構えてみる。


 MP5K。世界中で使用されている傑作短機関銃のバリエーションモデルだ。銃身を短くし、銃床を廃して携行性を高めたモデルだが、ヴァイパーのそれには折り畳み式の銃床が後付けされている。理由は単純で、彼女にはこの方が構えやすいからだ。


 上部レールには光学照準器が取り付けてある。チューブ型のそれを覗き込むと、中に赤い点が浮かんで見え、そこを敵に合わせて狙いを付ける。所謂いわゆるドットサイトと言われる代物だ。


 銃床を畳み、スリングで銃本体を肩に掛けた。予備弾倉を腰のポーチに差し込み、拳銃を引き抜いて初弾を送り込む。安全装置を兼ねたデコッカーで、起きた撃鉄を元の位置に戻し、ホルスターに戻す。


「準備できた」


 そう言って、彼女は助手席に戻り、シートのリクライニングを起こす。クロウは何も言わず車を発進させ、車をUターンさせてビルの手前に停めた。


 ヴァイパーは静かに車から降りた。背後でマークXが発進し、何処かへ走り去って行く。


 ポケットから出したサングラスを掛け、歩を進める。ビルの扉を押し、中に入った。


 褐色で淡い暗めの照明がタイル張りの床を照らしていた。扉のすぐ側に黒いスーツに身を包んだ男が二人、突然扉を開いて静かに建物に入って来たヴァイパーを見て、間の抜けた表情を浮かべて固まる。


 残念、とヴァイパーは心の内で呟いた。その一瞬が命取りになる。


 スリングで吊ったMP5Kの銃把を握り、安全装置を解除。左の男のへ銃口を向ける。短く引き金を引き、一瞬の内に四発の弾丸を男に浴びせた。


 連続した銃声が建物のフロアに響き渡る。発射炎が閃き、タイル張りの床に赤黒い血が飛び散った。


 右手だけで保持した短機関銃の銃口を、そのまま右へ滑るように移動させる。もう一人の男が表情を歪めながら、腰に差している拳銃を引き抜こうとする。


 が、ヴァイパーの照準の方が早かった。少し長めに引き金を引き絞る。六発もの銃弾が、男の身体をハチの巣へと変える。男は撃たれながら引き抜いた拳銃を反射的に発砲するが、狙いはそっぽを向き、銃口はビル内部の適当な所に穴をいくつかこしらえただけだった。


 着弾の衝撃で痙攣を起こしたように身体を跳ねさせた末、男は身体から力が抜ける様にその場に崩れ落ちた。糸の切れたマリオネットがその場で膝を折って座り込む姿を思い出す。


 呆気ないものね。


 ヴァイパーは銃床を展開し、MP5Kの前方に取り付けられたグリップを握り込んでしっかりと構えなおす。進む先に油断なく銃口を向けながら、彼女は建物の奥へ進んだ。


 右へ折れる曲がり角。ヴァイパーは壁に背中を預け、銃を左手に持ち替えた。一旦しゃがみ込み、被弾面積を抑えながら、銃口と共に角の先を覗き込む。その先には通路が繋がっていて、左側に上へ上がる階段が見えた。


 その階段の奥で足音が聞こえた。距離はまだあるが、段々と音が近くなってきている。どうやら、上から敵が降りて来るようだ。


 ヴァイパーは銃のセレクターを切り替え、セミオートの状態へ切り替えた。足音の歩幅から敵の身長を予測し、敵の頭が来るであろう位置にドットサイトの照準点を持って行く。


 数秒待つ。階段の奥から話し声が聞こえてくる。中国語だったので何を言っているのかはわからないが、どうやら罵り言葉らしい事は想像がついた。


 足音が一段と大きくなり、怒鳴り声を上げながら男が階段から姿を現した。先程仕留めた連中と同じ、黒いスーツに身を包んでいる。


 男の鼻先に、赤い照準点が重なって見えた。ビンゴだ。


 引き金を静かに引く。鋭い銃声が刺すように響き渡り、男の頭部が吹き飛んだ。怒鳴り声が一瞬にして止み、大股で歩いていた男の身体が何の抵抗も無く前へバタンと倒れ込む。

 

 その後ろから、また別の男が姿を現した。右手に拳銃を握っていて、警戒を怠っている様子は無いが、目の前の仲間が一瞬の内にやられるとは思っていなかったらしい。罵り言葉を吐いて、物陰に戻ろうとする。


 が、ヴァイパーはそれを許さなかった。セミオートの状態で、狙いをそこそこに素早く三連射。内二発が男の右肩と腹に直撃し、男は拳銃を取り落として階段近くの物陰に倒れ込んだ。


 男が身を隠した階段フロアの向こうから、怒鳴り声が聞こえてくる。どうやらまだ生きているようだ。


 ヴァイパー立ち上がって、銃を右手に持ち直す。早足で階段フロアまで向かい、男との距離を詰めた。銃を構えながら、身を隠した壁面を回り込む。


 腹と肩から血を流し、額に汗をにじませた男の姿が見えた。苦痛、憎悪に燃える表情で彼女を睨みつけるが、肩と腹の負傷が彼の戦闘不能を物語っている。その表情のまま、彼は口を開いた。ヴァイパーに何か罵倒を投げつけようとしていたらしい。


 彼女はそれに耳を貸す事無く、男の額に突きつけた銃の引き金を引いた。


 脳髄が破裂し、壁に赤黒い花が咲く。


 銃を階段の方へ向け、ヴァイパーは目標の三階へ向かう。階段は二階で途切れていた。二階フロアに上がった先。真っ直ぐに伸びた廊下の両端に、小さな部屋へ続くドアが二つづつ、計四つ建てつけられている。廊下の奥には別の階段があり、そこからでないと三階へ上がれないようだ。


 やりづらい間取りだ、とヴァイパーは舌を打った。ドアの向こうに敵が隠れていてもその存在を察知しづらく、奇襲を掛けられると対処しづらい距離だった。


 銃を構えながら廊下を進む。足音を殺し、気配を消しながら進むが、敵の方も好機を狙っているのが肌で分かった。標的のボディーガードは六人。階下で四人仕留めたので、残っているのは後二人。


 左のドアを背にして、右のドアに銃口を向ける。やはり狭い。


 そう思った矢先、背後でドアのヒンジが軋む音がした。ヴァイパーは素早く振り向いて、引き金を引く。撃発された弾丸が空を撃ち抜き、ドアの真ん中に小さな穴を三つ穿った。


 フェイクだ。やられた。


 その途端、示し合わせた様に背後でドアが開いた。大股の足音。殺気立った気配が背中に飛び掛かって来る。


 ヴァイパーはMP5Kのグリップから左手を放し、背後の敵に向かって裏拳を繰り出しながら振り返る。目の端に鈍色に光るナイフの切っ先が見えた。


 左の前腕が敵の右腕、ナイフを逆手に持った手を阻む。頭蓋骨に深々と突き立てられようとしていた刃が、ヴァイパーの額を小さく裂いただけにとどまり、鮮血が細かく散った。そのまま左腕を絡ませて得物を封じ、右手の短機関銃を敵の腹に突きつける。


 容赦なく引き金を引き、接射された二発の九ミリパラベラム弾が鮮血と肉片、内臓の砕片を撒き散らしながら、敵の背中を貫通した。敵の男が身体を折り、得物を持った腕から力が抜ける。


 ヴァイパーは左手を放して敵の襟首を掴み、身体を右へ回す。その勢いに乗せ、敵の身体を背後から迫って来ていた別の敵へ投げつけた。


  先程、背後のドアを開き、ヴァイパーの気を引いた男だっだ。彼が囮になって、もう一人のがナイフで彼女に襲い掛かる算段だったらしいが、それが失敗したので自分でケリを付けに来たといったところだろうか。


 投げ飛ばされた身体に押しつぶされて、その男はナイフを取り落として地面に仰向けに倒れ込む。銃のセレクターをフルオートに切り替え、ヴァイパーは弾倉に残っていた銃弾を全て二人へ向けて吐き出した。


 背中から入った銃弾が腹の方へ貫通し、下敷きになった男の身体を撃ち抜く。狭い廊下に大きな血だまりが作られ、その上に男が二段重ねになって倒れ込んでいるという奇妙なオブジェクトの出来上がりだ。


 ヴァイパーは短機関銃から弾倉を引き抜き、ボルトハンドルを引いて、フレーム部分のHKスラップと呼ばれる切欠きにそれを引っ掛けた。腰から引き抜いた新しい弾倉を銃本体に差し込む。切欠きに引っ掛けたボルトハンドルを手刀で弾き、固定が外れたそれが金属の擦れる音と共に前進し、初弾が薬室に装填された。


 左手でグリップを握り、銃を構え直す。銃口を前方の階段へ向け、そこを上がった。


 上へ続く一直線の階段だった。廊下と同じくらいの幅があり、一段一段の幅がかなり広い。上がった先には左右開きの重い鉄扉が行く手を塞いでいた。ヴァイパーはドアノブを捻ってみる。何の抵抗も無く回った。鍵は閉められていないようだ。


 ラウのボディーガードは六人。さっき始末した二人が最後だ。


 一度深呼吸し、彼女は息を整えた。それから銃把を握り直し、鉄扉のノブを回して小さく開く。瞬間、少し扉から離れ、右脚で扉を蹴り開けた。素早く中へ突入し、部屋の中に照準を巡らせる。


「……え?」


 部屋の中を確認した彼女は、思わず声を漏らした。扉の先に広がっていたのは、ほぼもぬけの殻と言っていい空き部屋だったからだ。人が居た様子も無く、ラウの姿もどこにも見当たらない。


 そのもぬけの殻の中心。あまりに生活感の無い空間のど真ん中に、猿轡を噛まされた一人の少女が椅子に拘束されているのが見えた。彼女は突然入って来たヴァイパーを見るや否や、目を見開いて半狂乱の呻き声を上げる。


 爆弾等が仕掛けられている様子は無い。目の前の少女は、この寒い中タンクトップとパンツだけの下着姿だった。銃器を隠し持つことは出来ないだろう。


 人身売買の商品。ヴァイパーは彼女をそう結論づけた。念のため、油断なく銃口を突きつけながら、彼女の方へ接近する。


 銃口を向けられる心地の悪さからか、彼女は金切り声を上げながら、必至で拘束された手足をバタつかせ、ヴァイパーから逃れようとする。近づいて改めて分かった事だが、彼女は年が十歳くらいで、痩せこけた体をしていた。浮き上がったあばら骨が痛々しい。


「落ち着いて。貴方に危害を加えるつもりは無い」


 ヴァイパーは言い、左手をサングラスの方へ持って行く。通信をクロウへと繋ぎ、彼の応答を待った。


「こちらヴァイパー。少女を一人見つけた。連中のの内の一人だと思う」

「こちらクロウ。ヴァイパー、すぐそこから逃げろ! これは罠だ!」

「どういう事?」


 彼女がそう聞き返した時、目の前の少女の視線がヴァイパーから外れるのが見えた。ヴァイパーの少し左、そこに向けられた彼女の瞳が、何かに怯える様に大きく見開かれる。


 銃を構え直し、彼女の視線の先へ振り返る。薄暗い部屋の中、黒い刀身が翻るのが見えた。


 咄嗟にMP5Kで刃をガードする。刀身の前に突き出した銃が機関部から真っ二つに斬り裂かれ、内部パーツがバラバラと零れ落ちた。


 左から右への斬撃。返す右腕の先に握られたマチェーテで、襲撃者はヴァイパーの胴体を左から切り裂こうとする。


 ヴァイパーは前に踏み出し、左肘を突き出して振り抜かれる敵の右腕を遮った。マチェーテの刀身はヴァイパーの頭の後ろで止まる。


 相手に反撃の隙を与えず、左手を伸ばして敵の後頭部を掴み、鼻先にヘッドバットを炸裂させる。鼻血を吹き出して後ろへ仰け反った敵の顎下に右のフックを叩き込み、そのまま身体を回して左の後ろ回し蹴りを浴びせた。


 されるがままに、奇襲者は回転しながら地面へ倒れ込む。ヴァイパーは腰の拳銃を引き抜いて、敵が起き上がって来る前に頭を二発撃ち抜いた。周りを確認し、これ以上の脅威が無い事を確認してから拳銃をホルスターに戻した。


「遮ってごめん。それで?」

「例の殺し屋だが、潜伏場所に行ったら居なかった。そっちに居る可能性が高い」

「居た。もう始末したけど」

「上出来だ。作戦は中止、すぐそっちに向かう」

「了解」


 クロウからの通信が途絶え、ヴァイパーは少女の方へ向き直る。彼女の拘束を解こうとポケットに入った折り畳み式のナイフに手を伸ばした時、突如男の声が部屋に響き渡った。


「ほう。奴を仕留めるとは中々やる」


 ヴァイパーは再び拳銃を引き抜き、周りを確認する。誰も居ない。


「殺すには惜しいが、その娘を連れて行かれると少々面倒なことになるのでね」

「貴方がラウ?」

「御名答。そしてさようならだ」


 スピーカー越しにそう言った直後、スイッチを押す音と共に声が途切れる。


 その途端、何処かで爆発が起こり、建物全体が揺れた。

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